レポート

旅先で体験したタイムスリップ/『縄文語の発見』

公開日 : 2018年03月25日
最終更新 :

https://bbs.arukikata.co.jp/bbs/tree.php/id/974718/-/parent_contribution_id/475664/

『縄文語の発見』をご紹介くださったMuumilaaksoさんの「感想をお聞かせいただければ幸いです」への返事なのですが、1か月以上もたってしまいましたので、新たにトピックを立てます。せっかくなので、トピックのお題は、「旅先で体験したタイムスリップ」としておきます。

  • いいね! 0
  • コメント 10件

10件のコメント

  • 言葉の旅はこれにて

    みなさま、お付き合いありがとうございました。

    フィンランドから出発し、いきなり縄文時代へ、ラテン語世界にウィルキンゲトリクスが攻め入り、南インドから謎の長江経由で弥生時代に、そしてついに南アフリカへと、空間も時代も飛び越えた言葉の旅行を楽しませていただきました。

    とりあえずの中締めにて、旅先の言葉のタイムスリップ話しを思い出した方々、お時間のあるときにでものんびりお聞かせください。
    またどこかでお会いしましょう。

    • いいね! 0
    • コメント 0件
  • Re:旅先で体験したタイムスリップ/『縄文語の発見』

    夏草やさん、こんにちは。

    おもしろそうですねえ。値段が高い(!)のがやや問題なのですが、いずれ挑戦しようと思います。

    先日行った南アフリカのヨハネスブルクを走っているハウトレインは「次の停車駅は~」というのを4言語で表示していて、英語、アフリカーンスは分かるのですが、もう2つはアフリカの言葉(片方はズールー語と思いますが、もう一つは分からないです)で表示されます。変な言い方ですが、南アにおける「アフリカ語」はきちんと正書法も定まっていて、案外きちんとしてるんだ。と実は感心してしまいました。今まできちんとアルファベット(アラビア文字でも漢字でもいいのですが。)で表記しているアフリカ語はスワヒリ語しかみたことが無かったので・・・。

    当地で最大の語族であるズールー語はスワヒリ語と同じバントゥ語群・・・つまり同系統の言葉と比定されているんですね。ソマリアあたりから、南アフリカまで同系統の言葉・・同じ南アのソト語、ジンバブエのショナ語なども同じそうなのですが、例えばどんな風にズールー語とスワヒリ語は似ているのか・・・とか、誰か日本語で研究してくれないですかね。また、ボツワナというのは「ツワナ人の国」という意味なのですが、実はボツワナにいるツワナ人よりも南アのツワナ人の方が人口が多く、ツワナ語話者も南アの方が多い、とかトリビア系なのか深刻な問題なのかよく分からない話も耳にしました。

    一連のレスを読んでいて、上のような話を思い出しました。我が日本語に仲間がいないとなると残念です。・・・

    • いいね! 0
    • コメント 2件

    ひょっとしてコサ語?

    高島さん、こんにちは

    『縄文語の発見』は、そもそも高島さんが立てたトピックで出てきた話題にて、とんだ方面に向かって荒れることがなければ、私も高島さんのトピの中でのんびり感想を書いていたはずです。高島さんの元トピに感謝しています。

    高い? 私は状態の悪い古書で買ったので安かった(笑)。元の持ち主による傍線が目立ち、なぜここ?との驚きを含めて楽しみました。

    南アフリカ旅行いいですね~。
    行ったことはありませんが、南ア出身の知り合いがあります。
    車内放送の4つ目の言語とは、マンデラ首相の出身部族コイサン族のコサ語かなと思いました。
    あの人たちは、髪質以外は日本人に外見がよく似ているんですよね。画像で見るに、パンチパーマをかけた日本人のような外見というか。旅先で実際に会いましたか? あんなに遠いのに不思議です。コサ語は膠着語で現在はアルファベット表記と聞きました。

    そうなんですよ。アフリカは南北にデカイのに、”同系”の言語が広がるという謎。東西方向の広がりは、環境条件が似る場所も多いからまだ理解できるのですが、南北はねえ、なんでであろうか。
    さらには、いかなる観点でAB言語は同系とされるのか、の謎が私にはあったもので、この本でなんとなくではありますが方法論がわかり、”同系”との説に賛成するか否かを自分なりに判断ができるようになったことが大きな収穫でした。もともと方法論を知っていた人々には、さらに先の収獲がありましょう。

    >我が日本語に仲間がいないとなると残念です。・・・

    聞いているうちになんとなくわかってしまう言語が周辺にないのは、たしかに残念ですね。
    見てわかる言語は、中国語がど~んとあるんで、楽しいんですが。

    ではまた。


  • 私は日本人の血というのは南方系のほうが濃いとおもってます。

    こんなところにも書いているように。

    https://bbs.arukikata.co.jp/bbs/tree.php/id/894504/-/parent_contribution_id/455655/

    大陸系(弥生人)よりも。 だからそれが縄文語をしゃべる人たちなのかどうかしらないけれども。 縄文語といってもたぶんいろいろあったのでしょうね。

    これは私の個人的な経験(旅行とかの)に元ずくもので、 学術的なものじゃないです。

    こういったことは言語学だけじゃなくて、 多方面から攻めないとわからないのでしょうけど。 

    • いいね! 0
    • コメント 2件

    ところがDNAを調べるとシベリア・朝鮮半島(大陸)・そして南からの島伝い

    つい数日前TVでやっていました。

    成功を祈る!

  • みなさまに提案です

    フィンランドから縄文へ。
    なんと素敵な時空を超えたロマンでしょう。これをタイムスリップと言わないで何を言いましょう。

    夏草やさんのこの素敵なトピにケチをつけている人が約2名いますが、ここで皆様にご提案です。
    その約2名のことは放っておいて楽しいタイムスリップの話題を続けませんか。
    このまま相手をしていたら、早晩この崇高なトピも荒らされて、枝ごと削除の憂き目に遭うでしょう。
    そうさせないためにも、あの約2名がトピの周りをウロウロするのは仕方がないにしても、一切相手をしないということにしませんか。

    私も夏草やさんのファンです。

    • いいね! 0
    • コメント 4件
    退会ユーザ @*******
    18/03/26 08:52

    フォロワー0

    誰も乗ってきませんでしたねえ。人気ないのかな?

    見ていられなかったので、コメント入れさせていただきました。弱連のモチベーションは批判や批評ですから、このコメント読んだ人が同情してくれて、楽しい弱連トークができるといいですね!

    4月から配属される場所が決まりました。残業・出張なしの楽なポジションです。消えようと思っていましたが、お預けになっている問題もありますので、これからもウロウロすることにします。残念なお知らせでしたね。

    • いいね! 0
    • コメント 0件
  • 旅行に関係ないトピはご遠慮ください

    ここは旅のQ&Aです。

    • いいね! 0
    • コメント 1件

    マルコポーロ3(さん)にも旅行と関連付けたお話しを期待します

    マルコさんの旅行の知識は検索で得たものばかりでなく、若い頃は本当に旅行したことがあるのでは。

    言葉は何か国語もマスターしていると自称するマルコさん。
    旅行の合間に、言語間の類似に気づいたり、同じ言語と思っていても地域によって思いがけない意味の違いがあって失敗したことなど、興味深い話題をお持ちなのではないでしょうか。

    言語と民族、人々の生活は密接に結びつきます。マルコさんならではの体験を聞きたいものです。

  • 18/03/25 23:30

    面白いですが

    掲示板依存症にはなりたくないので、最低限しか書き込まないつもりが、ダラダラと続けている馬鹿者です。

    この話題に関しては前のトピの時から関心があったのですが、言語学に関して全く知識が無いのと、この本は私には理解できないだろう思っていましたが、もう一つは疑問があるからです。
    言語学的には後世の文書や現在の方言などから遡って類推する様ですが、それは考古学的見地との整合性はあるのでしょうか?
    考古学的に時代の連続性や地域の関係性は、遺物と遺構の比較で考えます。
    地域の関係性は土器の様式に強く表れますし、特徴的な石材でも、地域間の関係が判ります。
    その実証的考古学の成果は十分に考慮されているのだろうかと、一部の書評から疑問なまま、自分では読んでないのです。

    話しを少し旅行に関連づけると、遺跡を訪ねる時は、是非周りの地形もみてほしいと思っています。 

    ところで、この話題が面白いかどうかは個人に依るので、敢えて挑発に乗る必要もなく軽く無視すると言う訳にはいかないでしょうか?
    本を読んでから意見を言えとか、旅行に関係無いだろうというわたしへのご批判があれば、黙ってお受け致します。

    以上、お邪魔致しました。

    • いいね! 0
    • コメント 2件

    Re: 面白いですが

    REI007さん、こんばんは

    私のようなド素人読者にも配慮の効いた読みやすい本でしたよ。

    >言語学的には後世の文書や現在の方言などから遡って類推する様ですが、それは考古学的見地との整合性はあるのでしょうか?

    比較言語学の本を読むのは初めてだったのですが、このように↓理解しました。詳しい方、間違っていたら、訂正を入れてくださるとありがたいです。

    考古学(=出土物などのモノから過去を再現する)や歴史学(=文献から過去を再現する)は、扱う素材が違うだけでなく、それぞれが独立の研究手法群を持つため、考古学と歴史学では、同じ時代を再現しようとしても別の結果が出ることもあって当たり前なのでしょう。

    たとえば邪馬台国はどこ?との問いには、考古学では奈良が有力になりますが、歴史学では九州が有力になるんじゃないかな。両者の違いは、いったんそれぞれの領域内で結果をだしてから、違いをどのように説明するか、結果を出すための手順は妥当だったのか検討する段階に進むのだと思います。

    ところが比較言語学だと、他領域(考古学や歴史学)の成果を前提や土台として組み込むという研究手法を使うため、出てくる結果は、組み込んだ他領域の結果に依存するのでしょう。むしろ整合性が高さが読む方の不安を高めると言いますか。そんな風に思いました。

    理屈まみれですんません。

    >話しを少し旅行に関連づけると、遺跡を訪ねる時は、是非周りの地形もみてほしいと思っています。

    遺跡めぐりの旅行はやはりゆっくり徒歩ですよね!
    トルコのギョベクリ・テペ遺跡を歩いてみたいです。

    では!

    • いいね! 0
    • コメント 0件
  • 縄文語の発見について

    夏草やさま、新しい概念の紹介ありがとうございます。

    縄文語が出てきたのはフィンランドのカテゴリーのやりとりで、言語学やフィン語に関する知識がないことと話がそれて長くなったスレは見ないようにしていますので、今回の夏草やさんのトビであらためて気に留めました。

    ヨーロッパ出自の言語学では、諸族の共通祖語を仮定してそこからさまざまな言語が分岐していったと考えますね。
    基本的な語彙(例えば親族名称)が各言語でどのくらいの共通性があるのかを数値化して、言語の分離した時期や言語間の距離を推定します。幹から枝分かれしていくイメージです。

    日本語の場合はどうでしょうか。海流に乗って列島へ流れつく種子のようにいろいろな時代に色々な人々が海を越えてやってきた、わたしは日本語に流れ込み型の言語イメージを持っています。

    縄文時代の言語は文字のない時代です。どんな言葉が話されていたのか、隣の文明国にも記録はありません。

    弥生時代になって、縄文の文化・言語は駆逐されたのか、そうではないのか、この小泉保さんの本を読んでいないのでここでは何とも言えません。

    そもそも弥生の農耕文化に関わる古い語彙は、南インドのパミル語と共通性があることは大野晋博士の研究で明らかになっています。
    狩猟採取の文化から農耕文化へ移行するときに暮らし方の大変化が起き、言語も新しいものを取り入れていったことは想像できます。その狩猟採取の文化の言語、縄文語がどんなものだったのか、アイヌ語に近いものだったのか、上代語に近いものだったのか、わたしには何とも言えません。

    少なくとも出雲方言と津軽方言のアクセントや語彙の類似は、縄文時代ではなくもっと後の時代(近世)北前船の時代に考えることは可能だと考えられます。

    もう一つ、ヒントになるのは上代の渡来人で、かなり多くの半島人が優れた文化を携えて渡来するわけですが、言語的には日本語の中に溶けてしまって、渡来人語彙のようなものが明確にならない。
    これは何なのか。
    現存する書かれたものは8世紀以後のものですから、渡来人の渡来以前の文献は存在しないものの古い日本語を考える上では大事な点だと思っています。

    新大陸への西洋人の流入は、やはり言語の変化を考える重要な歴史の証拠ですが、このあたりも考えてみたいものです。

    まとまりませんが、旅行掲示板ですからこんなところでひとまず失礼します。

    • いいね! 0
    • コメント 1件

    いやあ、おもしろいです!

    ろっきいさん、こんばんは

    こんなレスをもらえるのだから、投稿してよかった。
    これまでモヤモヤと感じていた英語と日本語の間の違いを言語化してもらったような気分です。

    >ヨーロッパ出自の言語学では、諸族の共通祖語を仮定してそこからさまざまな言語が分岐していったと考えますね。

    >日本語の場合はどうでしょうか。海流に乗って列島へ流れつく種子のようにいろいろな時代に色々な人々が海を越えてやってきた、わたしは日本語に流れ込み型の言語イメージを持っています。

    上記の対比は、言語の成立過程の考え方の違いですよね。両者の説明はしっくりきますし、たしかに両者はぜんぜん違うなあ。

    この違いは、言語そのものに感じていた癖とも一致して、腑に落ちましたよ。いったん全体像を仮想して、その仮想の全体像の中に実際の要素を位置づけていくという手順は、英語という言語の癖だという気がしていました。具体的には、主語と動詞を先に固定することによりセンテンスの全体像を決定し、その後ろに各要素をですね、全体像と整合する形で突っ込んでいく。これに対して日本語は、型にいろんな要素を流し込んで行く過程でジワジワと全体像を浮かび上がらせていく。

    何と言いますかねえ、英語は分析的に、つまり各要素をいったん定義してからそれぞれの関係を述べたいときに強く、全体像をまるごと表現したいときに面倒な言語だ。日本語は要素を分解せずに全体像を述べるときに便利で、分析的に話したいときには面倒だ、と思っていました。思考は使う言語に引きずられるはずだから、母語が違えば、眺める世界も違うかもなあとも。

    >そもそも弥生の農耕文化に関わる古い語彙は、南インドのパミル語と共通性があることは大野晋博士の研究で明らかになっています。

    大野晋さんのタミル語と日本語の比較は、ずいぶん前に『日本人の神』(2001年)で目にしたことあります。農耕文化関連の単語に共通性があるとしたらたしかに重大だなと思ったものの、タミル語の単語と日本語の単語の対比表を見ても、似ているとも似ていないとも私にはわからず理解をあきらめました。本を買った理由は「神」だったこともあり。しかし、比較言語学の方法論がなんとなく分かったいまなら自分なりの判断ができるかもしれません。近く再読してみます。

    『縄文語の発見』には、大野さんのタミル語研究もレビューもされていて、小泉さんは、同系であると判断できるだけのたしかな規則性ではないと書いています。他の章で、比較言語学の手法は5千年前までが限度だとの説明があり、さらに別の章で、縄文語の源流をスンダランドのオーストロネシア人の言葉に求めているんですね。比較言語学の手法ではどうにもならない昔にタミル語と日本語が分岐し、いまでは偶然ともたしかな規則性ともいえない類似がちらつく、とでもお考えだったのかもしれません。

    稲作の広がりとともに稲作用語が世界の各言語に広がったが、言語そのものに影響は与えなかった、と私は考えます。現在のたとえばコンピュータ関連用語が日本語に大量に流入している状態のように。

    >弥生時代になって、縄文の文化・言語は駆逐されたのか、そうではないのか

    ここらへんはですねえ、本当に知りたいところです。
    いずれ決定打が出ますかね。

    では!

  • 退会ユーザ @*******
    18/03/25 20:54

    タイトルにご注意ください

    タイムスリップとは、タイムマシン等を使って時空移動するという意味です。宇宙人とのコンタクトがあるのか、ないのか、微妙ですが、タイムスリップという語句は、使い方に注意してください。期待して読んだら、なんとも下らない内容で時間を無駄にしました。

    • いいね! 0
    • コメント 2件

    期待して読んだら、なんとも下らない内容で時間を無駄にしました

    ご自分で読み返して、何とも失礼な表現だと思いませんか。
    これではタイトルに敬語表現を用いる意味がありませんね。
    掲示板にもマナーは大切だとお感じになりませんか。

    勝手ながらご意見させていただきました。

  • 旅先で体験したタイムスリップ

    『縄文語の発見』は、現在の方言のバリエーションの背後に、歴史流れが潜む話でした。
    空間移動をした旅先で出会う言語のブレが、時間をさかのぼるタイムスリップでもある、ということですね。
    旅先で「おや?」と思うブレなどのアレコレから、歴史、時間の流れを感じることってあるなあと思ったのでした。

    ではまた!!

    • いいね! 0
    • コメント 1件
    退会ユーザ @*******
    18/03/25 23:33

    言語のブレ

    夏草や様、こんばんは

    言語学そのものを学んだことがなく、アジアの言語の相関関係にも疎いので、勉強になりました。

    日本では方言のバリエーションに歴史的推移を重ねることができますが、ヨーロッパでは各言語でそれを感じることができます。
    言語学素人でもすぐに気がつくのは、意外と欧州の周辺地域の言語にラテン語の語彙や構造が残っている、ということです。イタリア語よりもスペイン語やルーマニア語に見られます。まさに柳田の理論がそのまま当てはまるような気がして面白いと思っていました。
    そのような形で、言語を比較する際に時間と空間の差を見て遡って旅ができると思うのです。

    全くとりとめない話ですがこれもまた旅行の楽しみということで・・。

  • 『縄文語の発見』

    ウラル語を専門領域とする比較言語学者が、縄文晩期からヤマト王権成立期にかけて起きた「縄文語」の変化と分岐の復元に挑むという、最高に刺激的な本でした。

    稲作開始期(=弥生期)の渡来集団の言語は、当時の日本列島の言語(=縄文語)を駆逐するほどの影響力を持たなかった、との立場から出発しているところが本書の肝。私もさしたる根拠なく日本語の発生は弥生期だと思い込んでいました。

    日本列島周辺の諸言語、朝鮮語、モンゴル語、ツングース諸語、アルタイ諸語、タミル語、チベット・ビルマ諸語、インドネシア語などと日本語との間で基本単語を比較しても、インド・ヨーロッパ語族間(たとえば、ラテン語と英語)やウラル語族間(たとえば、フィンランド語とハンガリー語)にみられるような、規則的な音声の対応関係が発見できないことから、現代日本語の直接の先祖は、弥生期以降の渡来集団の言語ではなく、一万年以上前に地理的に孤立して以来長い時間をかけて列島内で形成された縄文語であると前提するわけですね。

    この大前提が正しいのであれば、インド・ヨーロッパ語族の分岐の根本に存在したはずの「祖語(=理論的に構築された仮説上の言語)」を再構する手法を、日本各地の諸方言に適用することによって浮かび上がる「祖語」が縄文語の原型であるはずだ、との何とも壮大な話しで興奮しました。

    実際に、沖縄から東北まで各地の方言形のバリエーションの中に見いだされる音声変化の規則性からアキヅ(トンボの古語)の祖形を「アゲ(ン)ズ」であったと推測してみせることからはじまり、沖縄縄文言が九州縄文言から分岐した年代を推測したり、出雲や東北に残る濁音に原縄文語の痕跡を見出したり、弥生期の渡来集団のアクセント(高・低・上昇・下降)が北九州縄文語に作用しそれが関西へと東進する様子を推測するわけですが、推測のための手法だけでなく限界までを丁寧に説明しているので、私のような比較言語学をはじめて読む者にも理解できました。

    おかげさまで、A言語とB言語が同祖だとか、分岐は何年前あたりだとか、A言語のaという単語の語源はB言語のbであるとか、いったい何を根拠に議論しているのだろう、との長年の疑問が解けすっきりしましたよ。インド・ヨーロッパ語族の研究において、基本単語の音を言語間で体系的に比較分析する手法が確立されていたのですね。

    分析の前提(=渡来集団の言語に縄文語は置換されない)や土台(=柳田国男の「方言周圏論」)が、分析の結果と循環する全体構成にやや不安を覚えるものの、再現された縄文語の各地域方言のが『日本書紀』や『古事記』の描く歴史と一致しているところにも驚きました。一致をそにまま受け入れていいものか、これからゆっくり考えます。

    ご紹介ありがとうございました。

    • いいね! 0
    • コメント 2件

    感心しました

    本の細かいところは憶えていないのですが,夏草やさんはよく緻密に読んでいらっしゃると感心しました。この本自体がそうですので,まさに正しい読み方だと思います。

    題名は「縄文語」ですが,実は後半の弥生語,特にアクセントの変遷やバリエーションに関しても大変興味深かったと思います。

    どの言語でも方言の比較や分析は面白いですが,日本語は特にそうですね。ネット社会で地域性がなくなりそうで,方言の存続が危惧されますが残っていって欲しいものだと思います。