退会ユーザ @*******
06/02/21 00:52

Re: ウィキ~を調べました

私は、パソコンのほんとのとこがわかっていませんので、ウィキぺディアの項目ごとのリンクがどうして貼れないのか、どうも構造がよくわからないのですが....

それはさておき、当時の報道のことですが、そりゃやはり、オリンピック中のことでしたので、扱いは大きかったですよ。
ただ、この事件はほんとうに起こったと思ったら、次の瞬間には最悪の結果となって、いわば一瞬にして終わってしまったのです。
ですので、例えば、ペルーの日本大使館(でしたよね?)占拠のように延々と報道合戦が続くというような時間はある意味なかったわけです。

それと、私が当時受けた印象では、狙われたのがイスラエルの選手、ということで、標的がわかりやすかったため、日本ではちょっと他人事と思われていたかも。ただ、結果論とは言え、拙速に思えた狙撃は、これはかなり衝撃でした。いろいろ論議されてたのではなかったでしょうか。

1972年と言えば、既に学生運動のピークは過ぎていて、一部の過激派は完全に番外編になり、政治的なインパクトはまったくなかったと思います。
なので、そのためになんらかの報道の規制があったという印象はないです。
オリンピックの主催者自体が、当時のブランデージさんだったかな、それこそ『テロに屈せず』やり遂げよう、よいう感じでした。


ミュンヘンオリンピックは、確か私は学生時代で暇だったかして、ぼーっといろんな競技を見ていた記憶があります。走り高跳びとか、砲丸投げとか。
今の方が、(放映権が高くなってきたからかしら。)日本の選手が活躍する種目に報道が集中してしまっていて、面白くなくなった感じがするのですが。

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1件のコメント

  • そうだったんですか

    結構、大きい取り扱いだったのですね。会長の呼びかけもあったんですね。でも、ほんと訳わかんない事件ですね。西ドイツ当局も、暗視銃なく深夜の狙撃戦に持ち込んでしまったのが人質をリスクに晒した最大の要因だったとかで、どっちも場当たり的対応だったみたいですね。

    当時から「テロ」という表現はされてましたか?前はゲリラとか言われてて、テロって言葉は、最近になってよく現れるようになったのかなと思ってました。

    ミュンヘンという地名は、オリンピックで覚えた位に、テレビでなにやらやっていたのは覚えて、親しみを感じていたし、87か8年頃にオクトーバフェストに行って、ミュンヘンのオリンピック公園とかBMWの博物館とかを散歩して「ここって良いところ」位に、のんびり思っていたのですが、そんな血に塗られた惨劇が起きていたとはつゆしらず、今年になって初めて、ミュンヘンのイメージかわりました。

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    退会ユーザ @*******
    06/02/22 01:56

    映画ミュンヘンのことほか。

    doubletreeさん、こんにちは。

    ちょっとサボっている間に、話題の流れがいくつかに分れていったようで、追いかけるのに手間取ってしまってます。


    まず、映画『ミュンヘン』について。
    うかつなことですが(映画はあまり詳しくない:言訳)これっててっきりミュンヘンオリンピックのテロを題材にしたのだと思っていたのですが、原作が『標的は11人』なのですね、実はこれ読んでます。(...汗)

    発端がミュンヘン事件に絡んでいたかどうかまったく思い出せませんが、小説は読んで楽しいと言う題材ではないにしても、さもありなん、という感じで、なかなか面白かったです。
    さもありなん、というのは、モサドが当初は主人公の愛国心に訴えながら、結局は使い捨てにしようとする、国家のエゴですね。

    そうか~、そういうのなら、見てみようかしら.......でも辛そうだな。
    原作では、途中から誰を信じていいのかわからなくなって追い詰められて行く主人公の気持ちがよく出ていました。
    映画ではいかがでしたか?


    国歌のこと、お聴きになれなくて残念ですね。
    パソコンに関しては何のお役にも立てずごめんんさい。
    とても重々しい印象的な歌ですよ。何かの機会にお聴きになれるといいですね。
    イスラエルは建国のときに、ヘブライ語を復活させたとか聞いたことがあります。これもおそらく旧約聖書のとき以来の言葉で歌われているのでしょう。


    ところで、おそらく歴史上、他国に占領されて、あるいは放逐されて、ちりぢりになったり混血したりして、事実上消滅した民族っておそらくけっこうあった(ある)のではないかと思うのですよね。
    たいていは長い歴史の過程のなかで、次第にそのアイデンティティを失って民族としての形態をとれなくなる、ということだと思うのです。
    あるいは、残された小さな場所に追い詰められてかろうじて生存しつつ消滅を待つばかりとか。

    ところが、ユダヤ人に関しては、宗教の求心力がものすごく強くて、≪消滅≫
    しなかったということでしょうね。
    実際にユダヤ人の定義というのは、生物学的なものでは当然なくて(不可能ですよね)、ユダヤ教徒であるということだと本で読んだような。
    その強いアイデンティティの持ちようが、嫌われるところなのかもしれませんね。
    それと金貸し業のことに関しては、別のかたがお書きになっているとおりのことを、私も読んだことがあります。
    それと、いまだに、キリストを売った、ということで裏切り者呼ばわりされるようですが、これって私にはどうもピンときませんが、キリスト教圏では未だに結構強固な感情なのでしょうか?

    実際にドイツのオーバーアマガウで行われる、有名なキリストの受難劇がありますが、これをヒトラーが礼賛、ユダヤ人迫害に利用した経緯がある由。
    そのため、ここ数年来ユダヤ人とも協議しながら演出を変えて上演している、とか、ちょっと細かいところ違ってるかもしれませんが、そんなことを以前NHKでやっていました。


    話がばらばらになりますが、ユダヤ人が必ずしもイスラエルに集合するばかりではない理由として、ひとつは、在外ユダヤ人は、むしろ大切な資金源であることではないでしょうか。
    それと、もうひとつ、例えばホロコーストから逃れてイスラエルに移住したユダヤ人は、彼の地で、今度はイスラエル側がパレスチナ人を殺す側に立っていることに嫌気し、また、ドイツなどに戻って行くという話も聞きますね。


    ところで、ミュンヘン、実は、私もこのあたりが、ナチスの一大勢力地だったということを知ったのは、比較的最近でした。
    ミュンヘンの町もそう思って歩くと、なんかなあ.....といささか複雑でしたね。


    ばらばらついでに追伸:おっしゃるとおり、当時はテロではなく、ゲリラと言っていましたね、ご指摘ありがとうございます。