Re: 映画「ミュンヘン」で doubletreeさん、こんにちは。 高嶋たいらさんが、既にきちんとご紹介されていますが、ウィキペディアにも載っていますのでご覧になってみてください。 (すみません、リンクがうまく貼れませんでした。) 私は、報道を覚えていますよ.......でも、今となってはかなり記憶の彼方で。このウィキペディアの記事を見ると、事件がすんだらさっさと再開、みたいに読めますが、どんな雰囲気だったかな....あまり思い出せないですが.....。 確かに、おっしゃるように、当時、こうしたテロ事件はけっこう多かったのです。ですから、そうした流れの中でとらえていたと思います。 そして、こういう状況のとき、どう交渉するかは、その国の政治のありかたがおおいに試されるときでした。 ここではっきり焼き付けられたのは、イスラエルは交渉しない、イスラエルは自国の国民をあえて殺すことを躊躇わない、ということでした。 このメッセージは強烈でしたよ。 しかし、以後、これが一種の後遺症のようになって、人質事件が起こるたび、強行突破派を抑えるよりどころになったのではなかったかと? ......同じテロでも、しかし、当時は≪交渉≫が可能でした。良くも悪くも。今はそういう意味では違いますね。
ウィキ~を調べました Clioさん、お教えありがとうございます。そのウィキペディアみたいなウィキなんとかという類似のサイトが出てきて、いろいろ読んでみたのですが、事件が起きたのは、会期中真っ直中だったみたいです。で、事件後、34時間、鎮魂の為にオリンピックをストップしたらしいです。やはり、首謀グループについて、ベイルートとかヨルダンとか、そんな地名がでてきました。 この惨劇は、思うに多分、日本ではあまり報道されなかったではないかと想像します。というのは、その頃は、大学紛争がやっと終わって、警察は革マルとかの左翼過激派の押さえ込みに懸命だったはずだから、わざわざ、闘志を盛り上げるようなPRはさせなかったんじゃないかな。そういえばちょっと前に、ベイルートから当時の有名活動家の重信なんとか(でしたっけ?)というオバサンが帰国して逮捕されましたね。年齢をかさね、逮捕されても主義を曲げても、日本へ帰りたいという郷愁って、当時同じ事を共有していた人々にとっては、きっと時代の終わりを感じさせたでしょうね。 ユダヤとパレスチナのいざこざは歴史がながいので、恨みつらみは、私の理解の範疇を超えてるのは承知の上ですが、重ね重ね、オリンピック選手の数人を単発で殺傷したところで、なにか、パレスチナの優位性に、画期的な変化でもあると思ったのでしょうか? 要するに、彼等、昔からパフォーマンスしてるだけですね。イデオロギーなんか、本当は最初からなくて、自分達集団が目立ちたい、アメリカ人ならハリウッドで有名になる所、イスラム生まれは、ちゃらいことできない、ハードな嫌がらせで名前を売るしかないって事か。壁に夜露死苦とか落書きしてた70年珍走と同じですね。 最近、イスラムなんとか派が、同じイスラムの地で、同じ仲間に迷惑行為をしているのも、同じパフォーマンスですよね。まあ、よく言えば、国が未成熟な今の段階で、自分らが覇権を握りたいための国盗り合戦かもしれませんが、イスラムカルチャーセンターで、若者に自爆テロばかり煽って(=自発性だから、コスト・セービングですね)、高度に統率されてる感じもないし。
実話系 「スイスの闇」のトピ私も読んでいました。 で、その後原作を読んでdoubletreeさんが言って いた闇ってこういう事なのか~!と 思ってしまっていましたが・・・ 他にもいろいろとあるんでしょうね~。 事実を基に・・・系は私も身を乗り出す性質で、 「エネミーオブアメリカ」は当時予告編で知り、 これは絶対見ないと・・・と思いつつ どういう訳か見逃していた作品だったので (話が実感できず)残念です~。 911に関する陰謀説も出ていますが、 (真実に近い)本当の事はやっぱり 20年くらい経たないと出てこないのかも 知れないですね・・・ ところで、Clioさんのレスついて良かったですね。 私もとても興味深く読ませていただきました。 以前国際ニュース系のメルマガか何かで 読んだのですが、マレーシアの前首相の マハティール氏がモスリムの政治的アピールの 仕方の稚拙さについて嘆いているというのが ありました。(本人もムスリムだったかと) 曰く、ユダヤ人はマスコミや小説、映画などを 有効利用してユダヤ人を攻撃するのは 恥ずかしい事だ・・・という印象を上手に 世界中の人々に抱かせているのに、 モスリムは権力争いにかまけて 団結せず、テロ等の野蛮なやり方で 世界中の人達から軽蔑される方法ばかりとって バカばっかりだ・・・ というような事を言っていたらしいです。 彼は他にも現実的で結構まともな事を 言っているらしいのですが、 ユダヤ系の牙城の欧米マスコミではウケず、 無視されがちで他のイスラム教国でも同様で あまり外国には伝わってこない という内容でした。 以上、doublutreeさんのモスリムのテロリストの パフォーマンスについての印象を読んで 思い出した脱線話でした。 私もこれからウィキペディアをチェックして番組の予習してみます。
Re: ウィキ~を調べました 私は、パソコンのほんとのとこがわかっていませんので、ウィキぺディアの項目ごとのリンクがどうして貼れないのか、どうも構造がよくわからないのですが.... それはさておき、当時の報道のことですが、そりゃやはり、オリンピック中のことでしたので、扱いは大きかったですよ。 ただ、この事件はほんとうに起こったと思ったら、次の瞬間には最悪の結果となって、いわば一瞬にして終わってしまったのです。 ですので、例えば、ペルーの日本大使館(でしたよね?)占拠のように延々と報道合戦が続くというような時間はある意味なかったわけです。 それと、私が当時受けた印象では、狙われたのがイスラエルの選手、ということで、標的がわかりやすかったため、日本ではちょっと他人事と思われていたかも。ただ、結果論とは言え、拙速に思えた狙撃は、これはかなり衝撃でした。いろいろ論議されてたのではなかったでしょうか。 1972年と言えば、既に学生運動のピークは過ぎていて、一部の過激派は完全に番外編になり、政治的なインパクトはまったくなかったと思います。 なので、そのためになんらかの報道の規制があったという印象はないです。 オリンピックの主催者自体が、当時のブランデージさんだったかな、それこそ『テロに屈せず』やり遂げよう、よいう感じでした。 ミュンヘンオリンピックは、確か私は学生時代で暇だったかして、ぼーっといろんな競技を見ていた記憶があります。走り高跳びとか、砲丸投げとか。 今の方が、(放映権が高くなってきたからかしら。)日本の選手が活躍する種目に報道が集中してしまっていて、面白くなくなった感じがするのですが。