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街の教会

公開日 : 2005年12月30日
最終更新 :

みなさん、こんにちは。

私は旅先で、教会を訪れるのがとても好きです(まあ、教会に限らず神社仏閣
全般ですが)(しかも別にクリスチャンでもないし、熱心な仏教徒でもないし
どちらかというと愚かにも無神論を振りかざしていたりするのですが)。

で、思うのですが、小さな街に、同じ宗派の教会がいくつもいくつもあるのは
なぜなんでしょう。普通に考えて、小さな村ならば教会は一つで充分事足りる
だろうと思うんですけど・・・。

以前から何となく疑問に思っていたことで、それほど気にも留めずにいたの
ですが、機会ある毎に人に尋ねても、これ、という納得のいく答が得られません。

この掲示板なら博識の方も大勢いらっしゃると思い、投稿いたしました。
何かご存知の方、よろしくお願いいたします。

全くの雑談ですので、教会や神社仏閣に絡む薀蓄話など、ついでにお聞かせ
頂けたらうれしいです。

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12件のコメント

  • Re: 街の教会

    ヨーロッパの古い街に教会がたくさんあるのは歴史上 カソリックとプロテスタントが大戦争・・をやったあと共存することを認め合ったため、先ずこの2種類があること。

    プロテスタントはカソリックの教義に反発、キリストに戻ろう・・・マリアさんなどいろんな怪しげな聖人は切り捨てて・・・いえ 法王庁の権威主義にも反発して・・・と始まった為キリストの言行録? 新約聖書を中心としているので いろんな牧師の解釈によって・・かなりの宗派が存在します。

    今もきり無く・・・新しいのが・・・。そのためアメリカなどでは(日本でも)いろんなキリスト教がそれぞれの教会を立てています。

    お釈迦様の教え(お経)のどの部分を大事と考えるかで これまたさまざまな宗派が生まれたお寺とこの部分はい同じです。

    カソリックだってここにまとまる前の コプト派なんていわゆるローマカソリックよいずうっと古い。マリアさんの神聖を認めるかどうか・・・で遥か昔に分派したキリスト教も、東ローマ帝国からわかれたギリシャ正教やロシア正教も 立派なキリスト教です。

    もう一つ キリスト教の大事な教え?の一つに世界の終わりの日の審判があります。キリストが人々の罪を裁く・・・甦りの日に供えて 昔の有力者は聖なる?とされる教会内に葬られることを望みました。

    そのために自分用の教会を立てる皇帝も・・・町の有力者も、金持ちもいました。 自分用の教会を持っていた人も・・・。

    職業組合運営?の教会も・・・。世の中が変わると教会に通う人も代わります。 

    宗教は本来はきわめて個人的なものですから 人の数だけ神様(仏様)がいます。 いえ見る人が違えば神・・または仏様の見える姿が違う・・・と考えた方がいいかも知れません。

    ところが困ったことに人間というものは自分の見た・・・または見たい姿が唯一無二・・絶対とばかり他人に強制したくなる・・・。だからいろんな神様・仏様・宗派・宗教が生まれ、争う・・・。

    困ったもんです。 元はもしかしたら一つかも・・・。 

    でもそれぞれが一所懸命お金をかけて作り上げた教会やお寺が本来のあり方とは別の意味で人類の遺産・・・ほんとは遺産じゃ困るのですが、と我々を楽しませてくれるのですから まあ多少の意味はあるのかも・・・。

    バチアタリなレスですみません。 

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    Re^2: 街の教会

    所詮、宗教家が「自分の宗教が1番」と唱えることが「信者を増やし」「上がり」が多くなり=飯の種が増える・・・。

    真の宗教とは、皆さんの各々の「心の中にある本当の神」それが「唯一の神」なのです。

    えらそうなことを言ってますね!、でも宗教とは個人の問題で、他人が押しつける物ではありませんから。

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  • Re: 街の教会…カリヨン

    お久しぶりです。
    ベルギーへいらっしゃるのですか。いいですね。
    雪景色のベルギーって、写真でもお目にかかれませんが、
    雪は降るのかな。そりゃ降るに決まってる。

    フランドル地方やナントカ地方の鐘楼はまとめて
    世界遺産になってますね。
    どの辺りのことか知らないのですが、ブリュージュ、
    ゲント、アントワープのような町の鐘楼はみなそう?

    ベルギーといえばカリヨン。
    カリヨンといえばベルギー(?)。
    いい音、いい調べなんでしょうね。

    もっとも、教会の鐘に聞き入るのも始めのうち。
    でないと、町歩きに集中できない。大事な
    町歩きがおろそかになる。
    カリヨンをBGMに、グラスを傾けてきてください。

    では、お気をつけて。










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    カリヨン

    るりしじみさま、あけましておめでとうございます。

    はい、何だかばたばたで、ろくすっぽ準備も出来ていないのですが明日から
    とりあえず行って参ります。

    >雪

    積もってるんでしょうか(こんな雑談トピック立てていないで、調べ物
    しない
    といけませんね。。。)。まだ全く荷物もまとめてません。あー憂鬱...

    カリヨン、たくさん聴いて参ります。

    本年もどうぞよろしくお願いいたします。

    トピずれ失礼しました。

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  • 階級によって行く教会が違う。

    自由平等なんてのは ウソで、貧乏なヤツの教会には 金持ちは来ないし
    金持ちの教会の敷居は非常に高い。

    宗派の違いもある。片目を瞑ってるのか、両目かによっても違う。
    ややこし過ぎて話題にするのも面倒臭い。

    テキトーに参って、テキトーに付き合う。
    富裕層に近づく為に 利用するには もってこいだが。

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    Re: 階級によって行く教会が違う。

    シロカイーナさま、こんばんは。
    単純にして明快なお答えどうも。

    >ややこし過ぎて話題にするのも面倒臭い。

    というのがとっても判り易くて良いです。

    >自由平等なんてのは ウソで、

    まあ、そんなこと誰も思ってやしないでしょうけど。
    要するに、ここにも社会の縮図ですな。

  • Re: 街の教会

    あっという間にものすごいコメントがついててびっくりです。

    みなさまどうもありがとうございます。

    引き続き、いろいろなお話を聞かせていただけたら嬉しいです。
    教会を訪れる際に、違った思いでいろいろなものを受け止められる
    かも。

    渡欧まであと2日なので・・・。

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  • 05/12/30 21:40

    Re: 街の教会

    全く宗派が同じであるならば―
    地域社会に対応して複数の教会があるのでは。
    有名なイタリア・シエナのコントラーダは、地理的に地域社会が分化し、それぞれに教会や集会場などの施設があります。
    中華社会では、出身地毎に地域社会が形成され、集会場や寺院がつくられてます。
    地縁や職能、階層、血縁など様々な関係性によって、地域社会は形成されます。
    その街によって事情は違うでしょうし、都市化の進行によって複雑化するでしょう。
    金持ちが、財力を誇示(地域社会に貢献)するために教会が建てられる例もあります。
    ヨーロッパの街では教会の鐘の音が聞こえる範囲で教区が形成されていた、とおっしゃる方がいます。
    信憑性はともかく、詩的に美しい表現だと思います。

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    鐘の音

    そうですね。教会の役割や建てられる理由を考えれば、いろんな理由が見えて
    きますね。歴史上、教会は必ずしも「聖域」ではなかったわけですし・・・。

    >ヨーロッパの街では教会の鐘の音が聞こえる範囲で教区が形成されていた、
    >とおっしゃる方がいます。
    >信憑性はともかく、詩的に美しい表現だと思います。

    本当ですね。

    汚いものにフタをして、綺麗なものだけ見るようなことはしたくはないです
    けど、教会の鐘の音の持つ響きは特別だと思います。

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  • 05/12/30 18:17

    Re: 街の教会

    うーん、うちの町内にも寺が3~4つ有り、
    市内には、イメージするだけでも、大小20~30の寺があると思うんだ。

    教会も、それと同じなんじゃないかな~。
    造りたい人達が、何やかやと言いながら寄付を集めて、どんどん造ったんでしょう。

    見た目には、欧州の教会は、日本の寺とは全然違い、ただ美しい造形美。
    オーストリアの山あいの尖った教会などは、まるで絵になるために、ある。
    そう思えるほどだ。

     ・・何も考えてない男、より。

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    それでいい。

    >うーん、うちの町内にも寺が3~4つ有り、
    >市内には、イメージするだけでも、大小20~30の寺があると思うんだ。
    >
    >教会も、それと同じなんじゃないかな~。

    そうそう!友人たちにこの話題を振っても、結局いつもそこに行き着いて
    終わっちゃう。私自身もそう思うし(笑)。

    大阪のある街なんて、「寺と同じだけのラブ○があって云々...(←あまりに
    不謹慎でここでは書けない)」ってな話があるくらいで。

    >オーストリアの山あいの尖った教会などは、まるで絵になるために、ある。
    >そう思えるほどだ。

    分かります~。「今、ここで美しい。それでいいではないか。」って感じ
    ですよね。

    その意味では日本の神社仏閣も捨てたもんではないですよ。元々の由来やら
    政治的意味合い等々は置いておいて・・・。

  • 小さな街(村)に全く同じ宗派の教会が複数ある理由

    こんにちは。宗派は、全く同じなのですよね。

    1)ローマカトリックの場合
      ■構成ギルドが違う(岡山さんが述べられているようなこと)
       
      一つの教会の中に、祭壇が複数あることもあります。
      ギルドは一つのコミュニティであり、それぞれに違う聖人をまつったり
      違う教会を持つこともあります。
      
    2)プロテスタント系列の場合
      
      「プロテスタント」は、非常に大雑把な枠組みであって
      その中に宗派があり、一つ一つ、教義も組織形体も全く違います。
      一括りに傾向を述べるのは無理ですが、敢えていうなら
      
      ■上記と同じように、構成ギルドが違う

      ■一つの教会が、なんらかの理由で分裂する
      ■誰かが新しい教会を単に作る
        下二つは、組織管理・運営のはっきりしたローマカトリックでは
        ありえませんが、どちらかというと個々の教会に独立性があるプロテスタント系列では
        よくあることです。

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    Re: 小さな街(村)に全く同じ宗派の教会が複数ある理由

    >一つの教会の中に、祭壇が複数あることもあります。

    ああ、これ、見たことあるかもしれません。別に違和感がないからあまり鮮明に
    記憶にないですけど。

    >どちらかというと個々の教会に独立性があるプロテスタント系列ではよく
    >あることです。

    ぼんやりとではあるけれど、何となくわかります。カトリックとの違いも何となく
    しか分かってはいないのですけど。

    みなさんのお話をお聞きして、今まで漠然としか考えていなかったことが、自分の
    中で少し形になってきました。

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  • 映画や物語から

    みなさま、こんにちは(lll)
    お片づけ中のさぼりクマです。

    アメリカ中西部: 「大草原の小さな家」
    オランダ:    「真珠の首飾りの少女」

    この二つの物語を見て/読んでいたら、アメリカでは住んでいる
    地域で行く教会が決まっていて、日曜日には正装して、出かけて
    行っている様子が、非常に新鮮でした。

    オランダでは、階級、カソリック/プロテスタントの違い、
    住んでいる街の地域で、細かく分かれているようで、
    少女(プロテスタント・貧しい)、肉屋の少年(プロテスタント・
    肉屋で経済的余裕あり)が行く教会が違っている・・・という
    事実が非常に驚きでした。また、少女の雇い主はカソリックな
    為、色々双方に差しさわりがあるようなのが、またまた新鮮
    でした。

    オランダ好きのおっぱさま、こ~ゆ~状態が続いてきたとなると、
    経済的階級、職業、居住地域が全て絡まりあった結果、行くべき
    教会が定まってきている、ということでしょうか?

    因みに、スペインのCatedoralを見てきたことからすると、
    貴族階級というのは、すわり心地がよくない椅子ながら、
    貴賓席があるのがステータス、ということもあるらしいので、
    不思議なものだなぁ、と思ってます。

    Princessa Cervesa、ゲルマン圏ではいかがなんでしょうか?

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    旅クマさん、今のオランダは

    神無き国で、プロテスタントは、皆、無宗教に
    転向し(世論調査で判明)、
    ライデンの中心的教会、聖ピータース教会は大学の大講堂に、
    ウトレヒトの教会の中にはオルゴール博物館になった
    ものもあるくらいです。
    プロテスタント国オランダ人の支持する宗教はカトリックという
    変な事態に(プロテスタントは無宗教になった)。

    私の相棒のオランダ人も、教会に行くのは年1回、
    クリスマスの時だけで、
    オランダの今、神はおりません。
    日本と同様というか、もっとひどいかも。

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  • 退会ユーザ @*******
    05/12/30 14:23

    うちの辺りでは

    ヨーロッパでなくてすみません。カナダのオンタリオ州の小さな町にもたいてい教会は数箇所あります。それはプロテスタントの宗派が違うからです。

    信者でない人には同じようでも、信者の方には教えが少しづつ違うのだと理解してます。

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    Re: うちの辺りでは

    >カナダのオンタリオ州の小さな町にもたいてい教会は数箇所あります。

    そうなんですか。なんだか郷愁をそそられる光景を想像します。

    オンタリオ州の小さな町、いつかは行ってみたいです。。

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  • Re: 街の教会

    ヨーロッパ中世に起源を発するこうした問題は
    なかなか、日本人には理解しがたい点であります。

    私が調べたうちで、この話題に関連しそうな点を述べます。

    中世、外科医は内科医とは異なり、職人で、ギルドを形成しました。
    聖コスマスと聖ドミアンが外科医の守護聖人で、
    この守護聖人の祭壇が教会内に作られ、ミサなどの宗教行事が
    行われました。この宗教行事が、15~16世紀に
    外科医ギルドへと発展
    (近代に入って、医師会に変化)したのです。

    従って、小さな集落に、同じ宗派の教会が複数あるといっても、
    そこに祀られている聖人が異なる、すなわち参集する職種が
    違うなんていうことが、背景にあるのではないでしょうか?


    ところで、ヨーロッパの一部の国では、日曜日はすべての
    施設が閉まってしまって、行くところがないことがあります。
    私は現地の教会のミサに参加することが、時々あります。
    私は敬虔な仏教徒、真言宗ですが、同行者がキリスト教徒の
    場合、適当な教会へ連れて行って、ミサに参加します。
    現地の牧師からたいへん珍しがられます。
    私は敬虔な仏教徒などと言っても、放り出されたりはしません。
    空白の日曜日午前中の見学場所になります。

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    プロテスタントとカトリックの違い

    全然本題と違いますが、信者にとっては悲しい間違いです。
    プロテスタント/新派/牧師:礼拝
    カトリック/旧派/司教・司祭・神父:ミサ
    他は聖母マリアに対しての考えですが・・・

  • 私はプロテスタントですが・・・

    ヨーロッパの国を旅するとプリンセスびあさんのご指摘通り、沢山の教会があります。同じ宗派でもさらに枝別れしていて信仰が違うとか、街のお金持ち(パトロン)が自分のお気に入り牧師用(プロテスタントですから)に新たに教会を作ったり。又、新たに信者獲得の為や新しい牧師用に建設されたり等々いろいろな理由があります。
    宗教は心のよりどころ・信念です。宗教は“ご利益”ではありません。子供の頃は親から『悪い事をすると神様は必ず見ていますよ』と、“他人に見られていないから何をやっても大丈夫”という考えを持たないよう育てられます。
    <余談>その反動で、“もう自分はダメだ”と感じとんでもない行動に出る場合もあります。

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    Re: 私はプロテスタントですが・・・

    >同じ宗派でもさらに枝別れしていて信仰が違うとか、街のお金持ち(パトロン)
    >が自分のお気に入り牧師用(プロテスタントですから)に新たに教会を作ったり。
    >又、新たに信者獲得の為や新しい牧師用に建設されたり等々いろいろな理由が
    >あります。

    なるほど。ことほど左様にいろんな理由で教会は建てられたり(もちろん潰れたり)
    した(している)わけですね。その昔、やはり様々な理由で日本にもお寺ががんがん
    建立されたのと、ある意味似てますな...。単純なようで、よく考えてもみません
    でした。

    ありがとうございます。

  • Re: 街の教会

    モスクの場合タイマーでアザーン(あらーあくばるーーーー=お祈りにモスクに来なさい!)が流れます。
    すると数秒後隣の集落のモスクのスピーカーが・・・そのまた隣の集落のモスクのスピーカーが・・・そのまた隣の集落のモスクのスピーカーが・・・と果てしなくドミノのように続きます。
    日本の神道の神社は、西隣の町内にも、東隣の町内にも私の町内にもあります。そのまた各々の隣の町内にも神社が・・・・。

    たまたまイスラムと神道を例にしましたが、いわゆる「コミューン(=町内会?集落?)」単位にその信仰の場を保有しているのではと私は判断していますが・・・。

    つまり、小さな村でも「コミューン」が1つなら教会が1つ、「コミューン」が2つなら教会が2つ、「コミューン」が3つなら教会が3つと。・・・でも推察ですよ、学術的な回答ではありません。





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    ドミノ倒しのように・・・

    さすけねえさま、こんばんは。

    >モスクの場合タイマーでアザーン(あらーあくばるーーーー=お祈りにモスク
    >に来なさい!)が流れます。すると数秒後隣の集落のモスクのスピーカーが
    >・・・そのまた隣の集落のモスクのスピーカーが・・・そのまた隣の集落
    >のモスクのスピーカーが・・・と果てしなくドミノのように続きます。

    すごい光景ですね、これ。想像しちゃいました。でもこれが生活の一部に
    なってるんですね。・・・やっぱりすごい。

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