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11/05/11 10:59

南チロルの歴史と現在について

南チロルについて興味をお持ちいただいて、南チロルの愛好者として、とてもうれしく思います。私も旅行者=観光客として訪れているだけで、南チロルのことを特に研究しているわけではなく、また、現地の人に南チロルの現状について話を聞くということも特にありませんでした。(私の言語能力の問題です。)
ですから、誤った理解をしているおそれがあることを最初におことわりしておきます。

説明すると長くなるので、関連のサイトをご紹介するかたちで進めますと、

チロル(現在はオーストリアのチロル州、州都はインスブルック。東チロルは飛び地で中心地はリエンツ Rienz 。)の発祥地は現在の南チロルにあります。Meran(Merano) の近くです。
 http://www.dorftirol.com/

南チロルの歴史と現状については、
 http://www.dhs.kyutech.ac.jp/~imai/geschichtesuedtirols/verzeichnis.htm
 http://www.din.or.jp/~a_ohno/sudtirol/sudtirol.htm
 http://marco-germany.iza.ne.jp/blog/folder/38859/

第一次世界大戦のイタリア戦線については、
 http://www3.kiwi-us.com/~ingle/index.html
の「イタリア参戦」

ご存知だと思いますが、ヘミングウェイの『武器よさらば』は、このイタリア戦線を舞台にしています。ドロミーティで激しい山岳戦が行われました。現在でもその爪痕を見ることができます。
 http://www.eu-alps.com/p-site/do-2003/617/617s-angelo.htm

この北村さんのサイト、「ヨーロッパ アルプス 峠ドライブ紀行」はアルプスを旅する者にとって大変参考になるものです。(特にリンク先が豊富。)
 http://www.eu-alps.com/index.html

もともとオーストリア領で、住民の多くがドイツ系でドイツ語を話すことから、かつては独立運動が盛んな時期もあったようですが、現在は広範な自治権が与えられ、政治的には安定しているようです。

省都(県都)ボーツェン(ボルツァーノ)の街を歩いていると、聞こえてくるのはイタリア語ばかりですが、地方に行くと、イタリア語を話すのは観光客だけという所が多いようです。地域によっては、イタリア人をひどく嫌っている所もあると聞きます。

この地域の人(ドイツ系)は、イタリア人(特に南部の人)とは、雰囲気がかなり異なっていて、勤勉で穏やかという印象を受けます。

学校教育のことについてはわからないのですが、ドイツ語で行われているようです。(もちろん、イタリア語で教える学校もある。)

※この南チロル地区の学校教育についてご存知の方があったら、是非教えていただきたいと思います。)

フネス谷に行かれるのでしたら、近くのガルデーナ谷も併せて計画されるとよいと思います。一つ山を越えた南側の谷です。山越えをして行かれたら(ケーブル+徒歩)、それは最高の山歩きになると思います。

この掲示板でガルデーナ谷を紹介した私のトピックスから、
 http://bbs.arukikata.co.jp/bbs/tree.php/id/501520/-/parent_contribution_id/379191/
http://bbs.arukikata.co.jp/bbs/tree.php/id/501666/-/parent_contribution_id/379191/
http://bbs.arukikata.co.jp/bbs/tree.php/id/512277/-/parent_contribution_id/380959/

それから、書き忘れるところでしたが、この地域の旅のプランニングには地図が欠かせません。この地域の概念図としては、次のものが適当だと思います。(基本的にイタリア語表記ですが、ドイツ語表記も併用されています。)

TCI(Touring Club Italiano) の「Grande carta stradale d'Italia 」1:200000 区分図 のうちの「Tentino Alto Adige」

購入は、マップハウス    http://www.maphouse.co.jp/

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