レポート

杉原千畝を訪ねる旅

公開日 : 2016年06月12日
最終更新 :

「命のビザ」で知られる杉原千畝領事代理が、実際に”通過ビザ”を発給したリトアニアのカウナスを訪れました。旧領事館は現在「杉原記念館」として一般に公開されています。入館料は3ユーロ、館内は事務所兼土産物販売室、領事執務室、会議室等に分かれ所せましに資料が展示されていました。会議室では15分ほどのビデオが鑑賞でき、杉原ビザで脱出に成功したユダヤの人々の証言記録が中心に収録されていました。なぜ邦人が1人もいない
リトアニアに、日本は領事館を設置したのでしょうか?本国の意向を無視して”通過ビザ”を発給し続けた杉原に
スポットが当てられがちですが、そのあたりから検証してみると当時の世界の中の日本の立場というのが鮮明に
なって浮かび上がってきます。興味のある方はぜひ検証してみて下さい。
先の大戦で日本は民間人を含め約310万もの尊い人命が失われました。一方欧州ではユダヤ人だけで600万人
とも言われています。これらホロコーストにはナチスのみならず、ソビエトも少なからず関わっていた事実も忘れてはなりません。もう1ケ所千畝に関する資料を展示している場所が、第9要塞博物館です。19世紀末ロシアが
構築、大戦中はナチスがゲットーとして使用し、ホロコーストが行われ約5万人が処刑されました。その他領事館
閉鎖後滞在した、メトロポリスホテルも現在営業しています。
杉原は昭和22年に復員、外務省は離職を強要。その後NHK勤務等を経て、民間企業でモスクワにて勤務、1975年75歳で退職、1986年鎌倉にて死去。その間、1985年「諸国民の中の正義の人」として「ヤド
・バシェム賞」をイスラエル政府より受賞、この賞はユダヤ人以外の人に贈られる賞で、世界で12,000人
以上の人々に贈られています。

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1件のコメント

  • カティンの森 日本語字幕(ポーランド映画)

    ポーランドが西からドイツに、東からソ連に侵攻され
    ポーランド人将校捕虜をソ連が虐殺して、ドイツの
    仕業だと歴史を捻じ曲げたとされる映画です。


    ご覧になっていなければ是非(もちろん無料です)

    『カティンの森』(ポーランド語 Katyń)は、2007年製作・公開のポーランド映画である。 監督は アンジェイ・ワイダ。実際に第二次大戦下で起きた「カティンの森事件」を題材としている。 原作は アンジェイ・ムラルチク著 『死後 カティン』

    http://video.9tsu.com/video/%E3%82%AB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%81%AE%E6%A3%AE_%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E5%AD%97%E5%B9%95%EF%BC%88%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E6%98%A0%E7%94%BB%EF%BC%89


    ストーリー

    1939年、ドイツがポーランドに侵攻し第二次大戦が勃発した。その数週間後、ソ連はポーランドの東部に侵攻した。秘密裏に独ソ不可侵条約が結ばれ、ポーランドは、ドイツとソ連に分割占領されることになったのである。

    ドイツ軍に追われた人々と、ソ連軍に追われた人々は、ポーランド東部のブク川で鉢合わせになった。その中に、クラクフから、夫のアンジェイ大尉(アルトゥル・ジミイェフスキ)を探しに来たアンナ(マヤ・オスタシェフスカ)とその娘ニカ(ヴィクトリア・ゴンシェフスカ)がいた。そこで、逆にクラクフへ向かう大将夫人ルジャ(ダヌタ・ステンカ)に出会う。アンナは、ルジャ夫人にクラクフに戻るように勧められるが聞き入れなかった。

    その後、アンナとニカは、駅でソ連へ連行される直前のアンジェイ、彼の友人イェジ(アンジェイ・ヒラ)らポーランド軍将校たちに出会うことができた。アンナはアンジェイに逃亡を勧めるが、アンジェイは軍への忠誠のため拒否し、家族と別れた。そして捕虜として教会に収容されたアンジェイはこれから起こることを日記に記そうと心に決める。

    1943年4月、不可侵条約を破ってソ連領に侵攻したドイツ軍が、元ソ連領のカティンの森の近くで、一万数千人のポーランド将校の死体を発見した。ドイツは、これを1940年のソ連軍の犯行であることを大々的に報じた。

    その後ドイツが敗北し、大戦が終結した1945年以後、ポーランドはソ連の衛星国として復興の道を歩み始めた。そしてソ連はカティンの森事件をドイツ軍の仕業であると反論し、事件の真相に触れることはタブーとなった。苦難を乗り越え、大戦から生き残った軍人や国民、カティンで親族を失った遺族らには厳しい現実が待ち受けていたのである。

    やがてアンナのもとに、アンジェイ大尉の手帳が手渡された。手帳には、殺害の数日前までの出来事が、克明に記されていた。アンナは、アンジェイ大尉の身に起こったことを、改めて認識するのである。

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