>係員が長い棒で 電線を持ち上げたり 私が幼少の時代の驚くべき実態をご紹介します。 私の生まれた田舎には私鉄電車が走っており、 その電車は、パンタグラフではなくて、「ポール」 というもので集電しておりました。 ポールというのは、屋根に斜めに棒が立っており、 その先端についたローラーが架線と接触するので す。ローラーには溝が切ってあり、その溝に架線が はまります。これは摩擦しながらの接触ではなく、 転がり になります。 大問題があります。それは、ポイント部をうまく 通過できないのです。 そのため、ポイントに 来る度に、車掌がロープを引いて、ポールを下げる のです。 下げるのはいいけど、ポイント通過後、上げるのが 難しい。架線に合うように、ポールを左右に振らないと いけません。夜など、その間中、停電です。 失敗 すると、火花が散り、車掌の腕前がばればれです。 あせればあせるほどうまく行かず、大変な仕事だった でしょうね。雨の日も顔は上を向けます。
東京でも 昔は東京でも都営のトロリーバスが走っていました。 当時は都電も縦横に走っていたため、東京は架線だらけでした。 やはり集電のために、日本のポールが立っていました。 そして、交差点を曲がるのが大変でした。 交差点前に停留所があり、そこで車掌が降りてポールを下げる。 すると、エンジンが動き出し急にうるさくなります。 交差点を曲がるとまたすぐに停留所があり、そこで架線にポールをセットします。 そのため、一本道のルートが多かったように思います。 都電の架線との同居も難しかったのかもしれません。 時間も都電よりかかりますし、故障も多かったような気がします。 車が増えてくると、トロリーバスは渋滞の原因になってしまい、あるとき急に姿を消してしまったと記憶しています。同時にチンチン電車(都電をこう呼んでいました)もほとんどなくなりました。いまでは、専用路線を多く持つ荒川線のみになってしまいましたが。 私がまだ子供だったときの思い出でした。
噂は聞いたことがあります。 トロリーポールですね。 http://www.tawatawa.com/denshanani/page012.html >大問題があります。それは、ポイント部をうまく 通過できないのです。 そのため、ポイントに 来る度に、車掌がロープを引いて、ポールを下げる のです。 私が聞いたのは終点での方向転換の切り替え時に、ポールを下げて向きを変える・・です。 ポイント毎に切り替えとは驚きです。 トロリー長野県の大町側から黒部ダムに行く際に乗ったトロリーバスが私の唯一の経験ですが、終点では方向転換のスペースがあり、バスはぐるっと一周して方向転換していたと思います。