レポート

リマの思い出

公開日 : 2011年03月18日
最終更新 :

パラカスでゆっくりとした昼食をとり、クルス・デル・スールでリマに向かいました。
不毛の大地を走る中、リマに近づいていくと家屋が多く見られるようになって来ました。
夕方になって、周りも暗くなってきたのですが、家屋が暗いままです。
そのうち、周りが真っ暗になると街路灯が縦横の道を示すようになります。
しかし家の光がほとんど見えません。
あれ、人が住んでいるのかな?と思っていると、よく見ると各家で一部屋だけ僅かに光が漏れています。
こんなに僅かの光で、皆生活をしているのだと、感心しました。

話は変わってドイツの住宅を訪ねると、門を入ると真っ暗な階段ホールがあります。壁のボタンを押すと、階段と廊下に電気が点ります。それはタイマーで一定の時間が過ぎると消えます。
節電には歴史的に神経質なのです。

日本のコンビニは、天井に蛍光灯を敷き詰めて明るさを強調しています。
こんなに明るくする必要は無いはずですが。

いつの間にか日本人は集蛾灯に集まる蛾になっていました。
もっともっと電力を節約できるはずなのですが、商業ベースに乗せられて、無駄な電力を使わされていたようです。

再度電力の使い方を考える、良い機会があったように思われるのですがいかが?

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1件のコメント

  • Re: リマの思い出

    ま~おじさん様
     
    はじめまして。
     
    その光景はブラジルとて同じです、節電に対する心得ができていると感じます。
    必要以上に電気を使うとペナルティーが課されると聞いた事も有りますが、
    今のところその様な兆候もないので一般レベルで推移してるのかなと思っています。
     
    日本に帰って驚くのは無駄が非常に多い事。
    エネルギーを撒き散らすのが繁栄の証と勘違いしている様に思えます。
     
    現在、ブラジルの各地で義捐金が寄せられ、鹿児島県人会では1日で数百万円集まったと聞きます。
    大好きな日本の為に地球の反対側に出来る事は何でもするというスタンスです。
     
    日本に住むブラジル人たちも、ニュースで瓦礫の中から食糧を探す光景を見て、
    直ちにトラック5台に食糧を満載して被災地に届けましたし、
    ブラジル政府は航空機で医薬品・水・食糧を、貨物船にも食糧を満載して出港させたと聞きます。
     
    太平洋戦争終結時にアルゼンチンが人道援助で貨物船2隻分の食料を満載して届けてくれた。
    今回も南米各国は非常に熱い支援を行うでしょう。
    大好きな日本の為に。

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    各国に感謝です

    シロカイーナさん、レスありがとうございます。

    世界各国が日本の状況を報道し、いろいろな援助をしていただけるのには、心より感謝します。
    いろいろな国を旅していると、日本にいると気づかない多くのことが学べるように思います。
    単に治安がいいかとか、ぼられるかとかと言った、表面的な質問が多いこのサイトですが、それでも少しでも多くの方が海外に行って、今まで知らなかった文化に接して欲しいと思って、ここを応援しています。
    また私にとっても、多くの事が学べる勉強の場所でもあります。

    エネルギー問題は今回考えさせられた、大きな教訓でした。
    無駄が文明の進歩だと思わされて、踊らされていたのですね。

    南米と日本は百年以上前から、深いつながりがあり、また憧れの地でもあるのですよね。
    ブラジルの方々のご援助、本当にありがたいものです。

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