今度、ケニア1泊と、マサイマラにてサファリの予定です。 チップについてご教授下さい。 ガイドブックには、ホテルのポーター(1ドル)、サファリドライバー(1日あたり15ドル。最終日にまとめて渡せばOK)とあるのですが、ケニアシリングではなくドルでOKということでしょうか。 また、初日はナイトサファリのみ、2日目は朝+ナイトサファリ、3日目は朝サファリの予定です。この場合は計いくら位のチップが必要でしょうか。 宜しくお願いします。
チップについて ケニアでのサファリ経験10回を超えるリピーターです。 サファリドライバーに1日15ドルはあげすぎです!車1台につき20ドルくらいで、同乗者と折半します。同乗者が少なければその分ドライバーも楽なのだから、20ドルを多少下回ってもかまいません。 どのガイドブックに書かれているのか知りませんが、とんでもないです。相場の3倍くらいですよ。「日本人はカモだ」と言われるわけです。 車の同乗者や宿泊客に日本人以外のお客さんがいたら、聞いてみてください。 現地で購入したガイドブックや、世界中からやってきたの観光客達の話を総合して考えても、その1/3でくらいです。 お土産物屋にも気をつけてくださいね。日本人相手だと言い値は20倍以上です。白人客ならせいぜい10倍なんですが。そんないい加減なガイドブックが出回っているせいで、日本人の相場感覚が狂ってしまっているんですね。
Re: チップについて(ケニア) 間に合ったらもう一つ教えて下さいm__m ホテルのチップについてですが、バックパックで行くのでポーターの方に荷物を持ってもらう必要はありません。が、部屋まで案内してくれたら払うべきですか?基本的な質問ですみません、、これまでは必ずスーツケースがあったので気にしたことがなかったのですが、ふと今回の様に自力で持つからno thank youという場合はどうするものなのだろうかと。。よろしくお願いします。
言葉だけで良いですね。 私達は、はっきり断ってポータが付いてきてもチップを渡したことがありません。 でも、丁寧に言葉だけは交わして(言って)下さいね。
気は心といえども、 ローカルサポートと思っていくらか渡されてもいいのでは?
Re: チップについて(ケニア) チャーチル様、さすけねえ様、Terra Africa様 丁寧な回答ありがとうございます。なるほど、、大変参考になりました。現地通貨には無理に両替する必要はなさそうなので空港はサクサク通り過ぎようと思います。 また、チップの相場がいまいち掴めなかったのですが、ガイドブック程高くなくても大丈夫なのですね。 ご回答ありがとうございました。明日から出発してまいります。お礼まで。
Re: チップについて(ケニア) 毎日同じ人であれば、最終日にまとめてあげることも可能ですが、その都度その都度でしたら最低5ドルくらい。他のレスにはドルとありましたが、ドルでもOK。同額のケニアシリングでもOKです。当方オランダ在住ですの私共は基本的にはユーロもしくは現地通貨で渡します。チップに加え、持し帰る必要の無いT-シャツ、帽子等もおまけで渡すと喜びます。もっとも破れたものは避けましょう。
Re: チップについて(ケニア) sora94様じゃんぼ~!うずりさ~な! さすけねえも米ドルで払いました。 自国の通貨が国民に認知されていない可哀想な国の証明でしょうか? ケニアシリングは、道端の露店、博物館等、ミュージアムショップ、スーパーマーケットで使いましたが、ホテルや観光客相手のおみやげ屋もドルベースでしたネ。
チップは難しいですね。 現地の人にはUS$で支払って下さい。 私達は以前、ナイロビで車(動物専門のガイド兼運転手)をチャータしたこと(ナイロビ-ナイバシャ日帰り+ナイロビ-アンボセリ1泊及び別のタクシ運転手でナイロビNP半日)がありますが、いずれもUS$でした。 私達は昨年、ツアーで、ヨハネスブルグを起点に、ナミビア、モザンビーク、スワジランド、レソト、ジンバブエ、ザンビア、ボツワナ等へ行きましたが、 ツアー会社によると、1日US$15が相場ですが、私達の場合、適当に少なめに渡しました。 1、ヨハネスブルグ-ホテル間の送迎運転手 2、ナミビアでも出迎えの運転手、ガイド兼運転手(午前と午後で異なる)、翌日は半日別のガイド兼運転手等が異なった。 ウオールスベイからヨハネスブルグに戻る飛行機が定員まで乗せないと言われ、ガイド兼運転手は殆ど無関心であったので、自力でヨハネスブルグまで戻らねばならなかった。 3、モザンビークでは運転手とガイド別 4、スワジランドではガイド兼運転手でしたが、他のツアーと掛け持ちで、観光の一部をカットされた。 5、レソトでは運転手とガイドが別。自由行動が多かった。 6、ジンバブエ、ザンビア、ボツワナではガイドはいなく、各ホテルで人を集めるために居る車掌のような人が別に居た。 殆どは全く関係ないと思われる人達と混載で、自力で観光することが多かった。