レポート

南米一周旅行記(1989)

公開日 : 2008年11月12日
最終更新 :

僕は1989年に、南米を一周しました。
この時代の中南米は、短期の個人旅行者というのは、ほとんどいませんでした。

南米旅行では、僕は、エクアドルのキトに入って、
エクアドル、ペルー、ボリビア、チリ、アルゼンチン、ウルグアイ、パラグアイ、ブラジル、コロンビアと反時計回りに旅をしました。

いままでも、ポツポツと南米の話を、書いてます。
http://homepage3.nifty.com/worldtraveller/south_america/south_america.htm

最近、個人旅行で南米へ行く人が増えているようです。
「地球の歩き方」掲示板にも、いくつか南米関連の質問があります。

書き残したところがたくさんあるので、ぼちぼち書いていくつもりです。

みどりのくつした


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9件のコメント

  • アレキパ(AREQUIPA)@ペルー/南米

    ナスカから夜行バスに10時間乗って、午前6時半にアレキパへ到着。
    ナスカで一緒だった薬剤師くんと、通りで偶然出会って、彼の泊まっていたホテルへチェックイン。

    ここで、アレキパからナスカへのルートを考えた。
    1989年には、アレキパからプーノ、クスコへ鉄道があった。

    しかし、「Lonely Planet」には、「鉄道はとても危険だ」と注意書きがある。
    アレキパからクスコまでは、列車を乗り継いで、合計20時間以上かかる。

    バスはそれ以上の時間がかかったし、道が悪い。
    そこで、飛行機をチェックすると、アレキパからフリアカ経由で、ナスカへ飛んでいる。

    その値段が、40ドルだ。
    それならば、明日飛んでしまいましょう♪

    と切符を、クレジットカードで購入。

    翌朝のクスコ行きフライトを決めた後は、
    アレキパの「サンタカタリナ修道院」など、
    中心部の教会や博物館を、見て回りました。

    『ナスカからアレキパへ移動して、翌日のナスカへの航空券を買い、アレキパを観光する』
    http://d.hatena.ne.jp/worldtraveller/20081119

    いやー、自分で読み返しても、昔は安かった。
    現在はアレキパからナスカへのフライトは、150ドル程度するみたいです。

    みどりのくつした

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  • 「ラファエル・ラルコ・エレラ博物館(MUSEO RAFAEL LARCO HERRERA)」

    1989年6月8日、ペルーの通貨インティの対ドルレートが上昇した。
    20ドル両替して、次に、行くのは、
    ラファエル・ラルコ・エレラ博物館(MUSEO RAFAEL LARCO HERRERA)だ。

    この博物館へ行くのは、エッチな土器があること。
    エッチな話のネタとして、この博物館を見ることは必要だ。

    行ってみたら、それほどのことはなかった。
    でも一応行ってみたという意味はあるかな。

    続いて、バス会社のTEPSAで、ナスカ行きの切符を買った。
    9220インティ、つまり3ドルくらいです。

    『ラファエル・ラルコ・エレラ博物館(MUSEO RAFAEL LARCO HERRERA)を見るのは、話のネタを作るため』
    http://d.hatena.ne.jp/worldtraveller/20081118

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    Re: 「ラファエル・ラルコ・エレラ博物館(MUSEO RAFAEL LARCO HERRERA)」

    レス稼ぎ、自己BLOG誘導のカキコミ
    お疲れ様

    まさに奇人ですなぁ

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  • 黄金博物館、武器博物館、国立人類学考古学博物館

    ペルー旅行というと、ほとんどの人はリマへ到着してすぐに、クスコへ飛び、
    マチュピチュを見たら、あとチチカカ湖、ナスカの地上絵、というのが
    現在の定番になってるようです。

    しかし、ペルーの世界遺産をチェックすると、
    「リマ歴史地区」というのがありますよ。

    リマには、古い教会もあれば、歴史的な町並み、サンマルチン広場、
    ウニオン通り、アルマス広場などがあります。

    その上、リマは、博物館が多いですよ。
    僕は、1989年6月7日に、黄金博物館を見に行きました。

    黄金博物館へ行くと、おまけに武器博物館が付いてました。
    リマの東の黄金博物館から、
    リマの西の国立人類学考古学博物館へ移動して見学。

    次は、「MUSEO RAFAEL LARCO HERRERA」に行きます。
    ラファエルラルコには、ちょっとエッチな土器がありますからね(笑)。

    『リマ中を動いて、黄金博物館、武器博物館、国立人類学考古学博物館を見る』
    http://d.hatena.ne.jp/worldtraveller/20081117

    というわけで、リマ自体でも、結構見るところがあるんですね。
    参考にしてください。

    みどりのくつした

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  • 新聞で天安門事件を知る@リマ/ペルー

    1989年6月4日、といえば誰でも覚えている天安門事件があった日だ。

    時差があるせいか、事件が起きたのが6月3日から4日未明だったので、
    南米では、6月4日の新聞には事件が載っていた。

    ただ、情報がいろいろあったせいか、死亡者の人数などがいろいろだった。
    それから、前夜、盗難にあったと思った財布は、
    ホテル近くの「マチュピチュ」という日系人経営のレストランの
    お姉さんが、「昨日、財布置き忘れてましたよ♪」と、取っておいてくれました。

    『サンフランシスコ教会で祈ると財布が戻り、現地の新聞「el comercio」で天安門事件を読む』
    http://d.hatena.ne.jp/worldtraveller/20081116

    みどりのくつした

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  • 下痢と、通貨下落と、財布紛失@リマ/ペルー

    いい加減、トルヒーヨ滞在も長くなった。
    リマへ行こうと、朝出発のバスの切符を買ったら、前日の夜にお腹の調子が悪くなった。結局、朝まで眠れずに、トイレ通いだ。

    そこで、朝出発の切符を、深夜零時出発に変えてもらう。
    この日両替すると、ペルーの通過がさらに下落していた。

    深夜零時にトルヒーヨのバスターミナルからTEPSAのバスに乗る。
    リマ到着が午前9時。

    歩いて、宿を当たって、ホテルを決める。
    そのあと、日系人の経営する食堂へ入った。

    お金を払って、部屋へ戻ったら、財布がない(涙)。
    とうとう、ペルーで、下痢とインフレと盗難にあったのか。

    という話。

    『トルヒーヨで下痢になって、インティの下落を感じ、夜行バスでリマに着いたとたん、財布が行方不明に(涙)』
    http://d.hatena.ne.jp/worldtraveller/20081115

    みどりのくつした

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  • トルヒーヨから「セチン遺跡」へ往復

    トルヒーヨ(Trujillo)から、チンボテ(Chimbote)、カスマ(Casma)、セチン(Sechin)と、次々と乗り継いで「セチン遺跡」へ往復

    『トルヒーヨから、次々と乗り継いで「セチン遺跡」へ往復@セチン/ペルー』
    http://d.hatena.ne.jp/worldtraveller/20081114

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  • HUADA DEL SOL と HUACA DE LA LUNA

    トルヒーヨの近郊の、HUADA DEL SOL と HUACA DE LA LUNAに、フォルクスワーゲンのミニバンに乗って、見に行った。
    広大な遺跡だったが、そこには観光客が全くいなかった。

    月のピラミッドに開いていた穴に入っていったら、
    懐中電灯の電池が弱っていたのに気がついて、
    適当に切り上げて戻ってきました。

    遺跡へ行く前には、懐中電灯の電池のチェックを忘れずに、という話。

    『たった一人で、広大な遺跡の太陽のピラミッドと月のピラミッドを見る』
    http://d.hatena.ne.jp/worldtraveller/20081113

    あと、この話は、1989年5月31日で、天安門事件は6月4日。
    だから、Newsweekや Time
    Miami Heraldや International Herald Tribuneでは、
    中国民主化運動の報道が盛んでした。

    みどりのくつした

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    CORRECTION:HUACA DEL SOL(太陽のピラミッド)です。

    >>HUADA DEL SOL 

    HUACA DEL SOL

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  • チャンチャン遺跡、ワンチャコ海岸、アルコイリス遺跡

    リマから北へ行ったところに、トルヒーヨという町があります。
    この近くにはプレインカの遺跡が多いです。

    僕は、エクアドルから陸路で入ったので、リマに行く途中で、トルヒーヨに滞在しました。
    トルヒーヨには、チャンチャン遺跡というチムー文明の巨大遺跡があります。

    チャンチャン遺跡からちょっと行ったところに、ワンチャコ海岸というのがあって、
    ここでは、葦舟で漁をしていました。

    トルヒーヨの街中に、モチカ文明のアルコイリス遺跡があります。
    この3つは、近いので簡単に1日で見ることができます。

    『チャンチャン遺跡に行くと、訪問者名簿にホテル加宝で見送ったゲーブルくんの名前を見つけた♪』
    http://d.hatena.ne.jp/worldtraveller/20081112

    現在は、リマから飛行機を使った日帰りのツアーもあるようです。
    リマで数日、時間が余ったら、トルヒーヨへ行くことも面白いでしょう。

    みどりのくつした

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    ペルーとエクアドルって国境紛争していたのでは?

    みどりのくつしたさん こんばんわ

    プレインカの遺跡 いいですね。
    時間とお金のゆとりがあれば、ぜひ行って見たい遺跡です。
    情報も少ないので、私にとっては、嬉しい旅行記でしたよ。

    リマの「天野博物館」では、学芸員さんが語るプレインカの話に魅了されました。
    日本では「インカ帝国」というと、通りがいいのですが。
    インカ帝国が滅んだのは 日本の江戸時代頃なので「古代インカ」という表現を見るたびに、首を傾げています。

    >ワンチャコ海岸というのがあって、ここでは、葦舟で漁をしていました。
    葦舟はチチカカ湖の・・と思っていたのですが 当時は現役で使われていたのですね。
    今でも現役の葦舟に会えるかな??

    ところで、みどりのくつしたさんが訪問した年は、ペルーとエクアドルって国境紛争を繰り返していた時期ですよね。
    同国国境は閉鎖(部分的に 紛争地帯)
    東西ドイツ「ベルリンの壁」時代の国境越えを 想像しているのですが・・
    陸路での国境越えは大丈夫だったのですか?
    大丈夫だったから 今に至っているのでしょうが、興味ありますね。
    怖い物見たさ・・いや 聞きたさにちょっと質問してみました。

    私の南米デビューの1999年秋(春?)に2国間で平和協約を結んだそうです。
    その歴史的な日に私はリマに滞在していました。
    ※フジモリ大統領が臨時祝日にしたため、リマ市内の博物館が休館になった(涙)

    南米旅行を計画した時に旅行社に「マチュピチュと ガラパゴスを見たい」と言ったら。
    ペルー⇔エクアドルの移動は、空路の場合直接行けないといわれました。
    (コロンビアとか、第三国を経由して行くので、散財コースなのでやめました)

    そういえば、キトの赤道記念碑、国土に赤道を有する国の国旗がたくさんありますよね。
    ガイドさんが ペルーの国旗を指差して
    「エクアドルとペルーは仲が悪かったから、数年前はペルーの国旗は無かった」と言っていました(少しだけ ペルーにも赤道があるらしい)
    両国が仲良くなって 良かったなあ~と 思った2002年でした。

  • パチャカマ(Pachacamac)遺跡

    リマには、旧市街、また教会が数多くあります。
    また、黄金博物館、国立人類学考古学博物館、ラファエル・ラルコ・エレーラ博物館など、興味深い博物館がある。

    日本人のペルー旅行だと、リマからクスコ(マチュピチュ)、チチカカ湖、ナスカの地上絵を見るのが、普通だと思います。

    でも、リマの近郊には、パチャカマ遺跡もあります。
    これは、簡単に日帰りできる割に知られてません。

    リマで時間をつぶすときのためにも、紹介しておきます。

    パチャカマ(Pachacamac)遺跡へローカルバスで往復し、一人海を眺める@リマ郊外/ペルー
    http://d.hatena.ne.jp/worldtraveller/20081110

    いまはたぶんツアーが出ていると思います。

    みどりのくつした

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