旧CCCP 私の初海外旅行は、ペレストロイカという言葉定着してきたころの旧CCCPでした。 動機は…、卒業旅行で、予算30万円。できるだけ長く海外にいられるツアーが旧ソ連周遊でした。 新潟からアエロフロートに乗ってハバロフスク、そこからシベリア鉄道に乗ってイルクーツク下車。バイカル湖を歩き、コーカサス諸国やウズベキ、カザフ、キルギスを周り、旧名レニングラード、モスクワを訪れ、日本に戻りました。 アルメニアを訪れる予定が暴動か何かで空港が閉鎖されたため、タシケントに戻るというハプニングもありました。このため、コーカサスは一カ国のみの訪問になってしまいました。 ホテルを抜け出してシルクロードの夜空を眺めたり、トビリシの市場の食堂で羊肉シチューに舌鼓を打ったり。ロシア語もわからないのにふらっと映画を見に行ったり、ホテルの毛布泥棒と疑われたり。アルメニアコニャックの美味しさが忘れられず、赤坂のバーで飲んだり。 この羊肉シチューはこれまで食べたものの中で、記憶の中では、一番の美味です。デュカスの鹿肉ステーキと知人が仕留めた鹿の背肉の刺身、今は亡き父とサシで食べた鯨肉の刺身がこれに続きます。 ノスタルジーですねえ。
Re: 旧CCCP パトラさん、トベロラカシさん、こんにちは。 わたしの初海外旅行も旧CCCPでした。 トベロラカシさんと似たようなコース。 でも横浜から船でハバロフスクにいきました。 卒業旅行なんて習慣はない頃で、 でも、日本の学生がシベリア鉄道を使って 海外貧乏旅行をし始めた頃でした。 アフガニスタンのような回教の国に興味があったのですが、 一人で行く勇気もなかったし、 そんな国に行きたいという友人もいませんでした。 それでみつけたのが、 旧ソビエト連邦内のシルクロードのパッケージツアー。 共産圏の国は観光客に色々規制があったから、 かえって安全だったのです。 女の子が一人で海外旅行なんて、 お嫁の貰い手がなくなると、親は心配しました。 信じられますか? アルマアタだったと思うのですが、 夜遅く飛行機で着いて、 真っ暗の中ホテルに向かいました。 朝になって、ホテルの窓から外を見ると、 目の前の山が茶色なのです。砂と岩の山! 山といえば緑と思ってたわたしには、衝撃の大発見。 こういう山を見て育った人と 緑豊かな山を見て育った人では 考え方が違ってくるのは当然だと、 世界感が開けた感じがして、妙に感動しました。
Re^2: 旧CCCP トベロラカシさん、どれにどらさん、こんばんは 旧ソビエト連邦・・懐かしい言葉ではありますが、私はソ連の方がなじみがあります。と言うのも新潟出身なんですよ。一時期はなれてましたが、今も新潟市在住です。子供の頃地方版のニュースのコーナーで 「今日のソ連」なんてありました。新潟はソ連と姉妹県でしたから。 それが「今日のロシア」に変わったのも覚えてます。今はそのコーナーはありませんが、ロシア料理の店も数件あります。ピロシキパンもありますよ。羊のスープも有るかもしれませんね。 さて「嫁にいけない」とは言われませんが「海外行って遊んで嫁に行く気がないのか」は親戚には言われます・・(親は諦めつつあります) 山の緑で思い出したのが、ヨーロッパの列車や車、洋服等の色の違いです。アメリカは行ったことが無いから判りませんが、色の彩度や明度が違います。私はヨーロッパの色が大好きで壁の塗り替えに業者に伝えてもナカナカ納得の色に出来なかった時、生まれて見る景色や色が違うとその国の世界観は違うなぁと思いました。 その後自分で調合してみたら、求めていた色になり無事塗り替えは終了しました。