北朝鮮に住んでいた人々

 スモーカーさん、こんにちは。

 私の友達に母親が「へいじょう」生まれだ。という人間がいて、その人の同居していない母親(おばあちゃん。やはりへいじょうで暮らした。)と二人で、テレビのニュースで「平壌」が映されると電話で「へいじょうが映っていたから、もう一回映すかも知れないので、今日の何時のニュースを見て。」と電話でおたがいやり合っている。という話を聞いて、大変だなあ。と思ったことがあります。最近は苦労しないでしょうが・・・・いずれにしろ自分が住んでたあの路地とかは映し出されないですしね。

 カーター訪朝直後の94年に私自身も行ったのですが、開城の日本人会関係の人が一緒にいて、その人が「開城の自分が住んでいたところ、通っていた学校に行きたい。」というので、いろいろと側面手伝いをしました。
 
 開城についてから、団体旅行ですが、事情を話して車を一台チャーターして回ることになりました。(多分、お金は取られていないはずです。この辺の融通は案外きく国です。)、地図とにらめっこしながら、「ここにこういう建物があるはずだ。」「いや、今はそんなものはない。」とか議論しつつ、ルートを決めて出かけて行ったのですが・・・・途中、かなりむりやり交渉しつつ回ったらしいのですが、本人は「消化不良」という感じで帰ってきました。

 開城名物の白菜を生でみそをつけて食べる料理が出たところ「戦争中でも日本人も朝鮮人もこんな貧しい白菜の食べ方はしなかった。」と怒っていたり、「あそこに開城神社の鳥居が立っていた。」と偉大な将軍様のライトアップ銅像のところを指差したり、李王朝のきっかけとなったイ・ソンゲの事件現場「善竹橋」に「戦争中も当時(17世紀?)の血痕のあとが残っていた。」「そんなばかな・・・・」と現地に行くと、ほんとに橋の真ん中が赤かったりして、ガイドブックでは分からない解説を聞けて私自身は勉強にになりました。

 で、話を戻しますが、やはり北京の北朝鮮大使館の領事部(正確な住所は忘れましたが、調べれば分かります。セント・レジスとかがある大使館街の一角です。)に相談するのが一番いいと思います。あそこが日本人の旅行者を一番扱い慣れていて、いろんなリクエストに答えられるのと、適当な旅行会社も紹介してくれると聞いたことがあります。ただ、今年の10月までは「経済制裁中」なので、とりあえず制裁解除になるかどうか、日本人の渡航制限が解除されるかどうか。は見た方がいいと思います。ただ、日本の法令をどう見るかは最後はご自分の責任です。

 一つアドバイスとしては、交渉に強い人が同行してあげることです。インドあたりで鍛えている人間だと、なおいいか・・・というのも、いろんな制限をしたがるので、「だめだ。ここも行きたい。」というのをかなり強引に言わないと、向こうのペースにはまって、見たいものが見れなくなるからです。「昔の・・・・」というのは、向こうにとっても「複雑な感情」があるのは事実なので、そこをうまく調整しつつ・・・というのがポイントです。

 われわれの旅行のときも、最後は若いガイドをレストランに呼び出し、「いっしょに貿易会社をやらないか?」とオルグする人がいて・・・・数人で囲んで、「資本主義の真髄」を吹き込んだのですが、・・・・こんなわけの分からない日本人を大勢相手にして、先方はかなり「染まってきている」のは間違いないですし、「思想教育係」はたいへんだろうなあ。とつくづく同情しました。

 新義州は帰りの北京行きの列車がバスポートコントロールのために停車したので、窓から眺めました。隣の中国の丹東に比べれば・・・・両国の経済力が一目で分かる街です。

 政治情勢を眺めつつ・・・実現にがんばってください。


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