Re: 今日(2005.6.10)の春秋(日経新聞) こんにちは。 十数年前のことですが。10代の終わりに、 言語の切り替わりがうまくいかず、とっさに 一言出ないことがありました。 ドイツ語圏に旅行にゆき、 市街地で地下鉄にのり、座っていると、目の前に立つ 12から13歳くらいの男の子、友達とふざけて、自分の靴がちょっと 私の靴に触れただけなのに 「あ、ごめんなさい」ドイツ語ではっきりと、目を見て言ってきました。 とっさに、「いいんですよ」というドイツ語が思い浮かばず 同行の弟が、私の膝を軽く叩いて返事を促したのですが なんでもない一言なのに、ついに返せませんでした。 男の子は、気を悪くして向こうに歩いて場所をかえました。 別にドイツ語じゃなくとも、相手はその場の雰囲気で察しますから なんでも返せばよかったのに、どうして出てこなかったんだろうと そのときの気持ちが、ずっと離れませんでした。 NYで地下鉄に乗ると、 少し体が触れるだけで、きちんと謝ってくる人が多い、 それは昔からですが、最近は東京の地下鉄とのギャップを感じます。 礼儀正しい素敵なお姉さんが、肩が触れるたび 何度も謝ってくれたことがあり、そのたびに違う言葉なのに 同じ単語でしか返せない自分の語彙の少なさが恥ずかしいことがありましたが 何語でも同じ言葉でもいいから、一言ちゃんとかえそうと、その気力だけは あれ以来もつように、しています。うまくいかないこともありますが。
ひととの距離 何年か前、京葉線の車内で、小学校45年生とおぼしき男の子が 乗りこむや、すぐに私の目の前の席に座りました。 (私はドアの横に立っていた。) その子は座るなり横の手すりに両手をつき、 そこへ顔を埋めて動かなくなったのです。 私は見ていて心配になり、思わず「ねえ、坊や、大丈夫か?」と声を掛けました。 すると、キョトンとした顔を上げ「え? 眠いだけ」といって又、顔をうずめました。 ああ、そうか、塾とかあるから日本の子供達、大変だなあと思ったのですが。 その時、引っかかった事は、周りにいる人たちが、この子と、私の方に全く視線を 向けなかったことでした。 そんなときの人々の心の動き、応え方 場の空気・・・ こまごま説明しなくても皆さんはおそらく判ると思います。 私も判ります。 やり取りは聞こえているし、多分、私が顔を上げると同時に見ていては失礼(?)と 視線を外し、表情を瞬停したのだと思います。 いま、色んな車内風景を回想しています。 アメリカ各地の市電の車内。 グレイハウンドの車内、 イタリーでの列車のコンパートメント、パリの地下鉄、パキスタンの地方バス、韓国の列車内、ケニアのバス、もちろん他人でも人々との距離はうんと近かった。 言葉の差はあっても、極端な話、言葉が全く通じなくても、目が合えば、誰とでもわりとスッとコミュニケート出来た。(る) 現代の、日本人の、ひととの距離感覚が他の多くの国のそれとは明らかに違います。 現代と書いたのは、多分数十年前は少し、違っていた、もう少し外国並だったと思うからです。 皆さん お久しぶりです。 最地下に居ないと思ったら、こんなところで出前ラウンジですか。 なんか駅前でコンビニ弁当を車座で食べているみたいですね。 これって行儀悪いかネ?
Re: ひととの距離 Rei Kosugiさん、こんにちは。 乗り物のなかで、なんだか人がつんつんしている、と感じてしまうのは、 どうしてなのでしょうね。 以前、体調が悪くて、電車の中で、気持ちが悪くなるので、 気を紛らわすために、初めて、ヘッドホンステレオを使った時、 周りに人がたくさんいるのに、自分は透明のカプセルのなかにいて、 完全に隔離されているように感じて、とても驚きました。 こういうものを、みんなが持っているのか、と思い、 空恐ろしい気がしました。 この頃は慣れてしまい、それほど、まわりと隔絶しているとは感じないのですが、 でも、一番最初の印象は、軽視していいものとは思いません。 サッカーの日本代表の選手にも、試合後にサポーターが手を振っているのに、 ヘッドホンステレオをして無視している人がいて、嫌になります。 (特にこのあいだの北朝鮮戦の後なんて)。
とっさの一言 みさーるさん、こんばんは。 青春の(いえ、今もお若いですけど)ひとこま、ですね。 なんだか微笑ましい気持ちがしました。 でも、私もいまだに一言が出なくて、あとあと気になることがあります。 やはり、言葉に出す、ということは大切だと思い、 これも習慣に近いところがありますから、 スーパーのレジなどでも、こんにちは、どうもありがとう、と言うようにしています。 話はうんと飛んでしまうのですが、 我が子を、口に出してほめるのも、けっこう難しいことがあります。 ウチでは、子供が幼稚園の時に、夏休みに親に宿題が出て、 「いいことたくさん見つけた」ということで、 どんなことでも、我が子のいいところを見つけて、日記のように書き出して、 9月に提出する、というのがありました。 これが随分練習になりました。