大同火車站 、侯車室。
ここで時間を待つのは嫌いではない。
チケットは、大同発銀川(寧夏回族自治区)行きK43次列車新空調硬座快速。18:11分発。この列車は、フフホト、パオトウを経由して、銀川へ向かう。
終着は、嘉関峡だ。
大同の時間を十分に楽しんだというよりは疲れた体は、次の鉄道の旅を期待している。
侯車室で発車時間を待つ人々も、顔つきや荷物ががずいぶん違う。
これも楽しみだ。
特に、この列車を末人々の顔には、モンゴル系の顔立ちが目立つ。
と勝手に思っているのだが。
売店で、やっと全国鉄路時刻表を買うことができた。
10元。
やはり、鉄道の旅では必需品。
荷物の少ないみなみやま的海外旅行では
少しかさばるのが困るのだが。
売店には1冊だけ置いてあった。
「シーコピャウ!」(ハングルではシガンピョ。似ている)というと、
「シークアイ」と帰ってくる。
10元札を出すと、売店の女性が笑いながら、下段のケースから、新品の別の時刻表を出してくれた。
中国らしからぬサービスだ。
嬉しかった。
列車に乗り込む。
これから見る車窓は初めての風景。
列車は発車した。
耕地は少なく、草原が続く。
あちこちで見られる羊たちの放牧。
所々には、天然の池も見える。
驚いたことは、その湖畔に、カラフルなテントを見ることがあるからだ。
すでに、一部だが、アウトドアの遊びも普及しつつあるらしい。
次第に、日が落ちてゆく。
今回の列車は唯一空調ありの列車だった。
中国の鉄路もずいぶん空調ありが増えた。
その分運賃も上がっている。
それでも、乗客は、減らない。
決して豊かでない中国だが、どうして彼らにそんな費用が払えるのか、それも家族連れを見ると思ってしまう。
煙台からのフェリーの中で求人広告を見た。
その中で、金額が印象に残ったのは、給料1ヶ月700元という数字。
そんな中国で、100元近い列車の切符をどうして買うことができるのか?
疑問も持ちながら、見ていた。
列車の中では、中国で購入した3元の茶ポットに5元のお茶の葉を入れて飲料にした。
そのお茶を入れようと、給湯場所を探したが、空調無し列車のある場所にはないのだ。
うろうろとしていると親切に!!女性車掌が給湯場所を教えてくれた。
車内では男でもしかりとばす女性車掌だが。(笑)
いわゆる日本でも見るボタン付きのコンパクトな給湯機がそこにはあった。
また一つ中国で新しい知識が増えた。
その湯を使って、夕食替わりにカップ麺を食べた。
だんだん列車のなかで中国人の同化している自分がおもしろかった。
しかし、中国人の中の外国人であることには違いない。
この列車でも、同席の人たちとはぬかりなく仲良くなったみなみやまだった。
そして、何度か繰り返される、駅への停車と、乗客の入れ替わり。
どんどんローカル性をましていく。
深夜になっても乗客は減らない。
フフホト、パオトウと駅の名前を聞くことができた。
乗り込んでくる人たちの顔つきや服装も替わってきたようだ。
しっかり日焼けした農民の人たちが増えたのも確かだ。
硬座の中は、夜中中にぎわっていた。
そんな喧噪の旅も終わりつつあった。
そして、夜が明ける頃には草原の風景は一変していた。
広大な乾燥地が延々と続くのだ。
すでに、寧夏回族自治区に入った模様だ。
初めて見る広大な乾燥地帯。
とにかく。・・・・・・・。感動。
その地平線から朝日が昇る。
大きな朝日だ。空の青さが増す。
同席した他の乗客も、同じように昇る朝日を見てくれたのは嬉しかった。
そのうちに、線路の右側だけ緑の畑が見えだした。
トウモロコシ畑だ。
何故?
その疑問はすぐに解けた。
水路が遠方から延々と続く。
水が人工的に引かれているのだ。
荒涼と広がる乾燥地帯と緑の大地、そして空の抜けるような青。
飽きることなく景色を見続けた。
やがて、7時過ぎにほぼ定刻に列車は銀川火車站 に着いた。
銀川は三門峡で大きく北流した黄河が、黄土高原を抜けて再び、南流する川の近くに位置する。
時刻表を買ってみて初めてこの列車は、蘭州を経て西域の敦煌の手前の嘉峪関まだ行くことを知った。あと半日以上走り続ける。
蘭州まで、行くのになぜ手前の銀川で下車するのか?
その辺の疑問には次で答えようと思う。
例によって、改札で使用済みのチケットをゲットした。