joyさん、首里城は40年前は、 何もありませんでした。昭和40年頃にかに族をしていた頃、竹島桟橋からパスポートのような許可証をもらって行きました。もちろん返還前です。那覇港まで48時間かかりました。思い出すのは屋久の沖で大変ゆれたこと。船中で知り合った大学生の家に泊めてもらったり、那覇には赤いランプの付いた怪しげなところ(赤線)も未だありました。ユースから団体で行きました。帰りは鹿児島まで18時間、鹿児島から急行霧島で東京までがまた20時間ぐらいかかりました。 思い出に残るのは、那覇から貨物船で石垣へ18時間ぐらい(これがまた揺れた、その上に食事は白飯に醤油だれをかけただけで、....外地は貧しかった)。石垣からまた小さい船で武富島へ。泊まる施設はなく、竹富小中学校の図書室で寝袋で寝ました。そのとき拾った武富の星砂は未だ持っています。若き日の思い出!!
首里城は わたしが行った10年前は守礼門しかありませんでした。サンフランさんが行かれた時は何もなかったのですね・・わたしは去年、行ってここまで復元してあるとは、驚きでした。 沖縄もずいぶん、かわりました。 あるアンケート結果では定年後は、沖縄に住みたいと考える人も多いみたいです。