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「wine please!」「more wine!」(バンコク⇒インド・コルカタ、機内にて)

こんにちはゲストさん

バンコクからインドのコルカタへ、タイ航空で向かっていた時の事です。

私の隣りは、インド人のおじいさんでした。

離陸後、水平飛行に入り、シートベルト着用のサインが消えました。

隣のおじいさんが、CAさんを呼びました。
すると、「wine please!」

「はぁ?何を考えてんでしょう、このじいさんは。」
そう、思いました。

CAさんは、断りました。
しかし、このじいさんは諦めません。
他のCAさんに、再び
「wine please!」
でも、もらえませんでした。

機内食が配られ、この時にようやくワインをゲットしたじいさんですが、欲の皮が突っ張っていました。
「more wine!」
2杯目をゲットしました。

しかし、これで終わりではありませんでした。
3杯目を狙っていました。
「more wine!」
でも、CAさんは無視です。

じいさんは、諦めません。
CAさんが、通るたびに「more wine!」

今度は、CAさんの呼び出しボタンを押しますが、CAさんは来てくれません。

私は、隣で笑っていました。
「やっぱりインド人やなぁ。」

機内食を回収する時にも、「more wine!」

恐るべしインド人!




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87件中31-60を表示

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29

日本に、技能実習生に行ったことがある外国人の意見は………

シリントン 21/01/17 08:29
ネパールの首都カトマンズの西洋料理店のオーナー
「私、技能実習生で、日本に行ったね」
「自動販売機、凄いね。指で、ぷっと押すと、ガチャンと、下から、コーヒーが出てくるね。おいしいね」
すっかり、自動販売機に、感心していました。

インドネシアのバリ島のゲストハウスのスタッフ
「俺、技能実習生で、日本に行ったね」
「休みの日に、東京に行って、ギターを買ったね。これね」
彼は、暇があったら、そのギターを弾いていました。
それ以外は、日本に、いいイメージは、持っていないように、見えました。

30

「みし!みし!」(ミャンマー・ピイ)

サンチャイ 21/01/17 18:59
ピイの市場での出来事です。

散歩をしてると、ご飯屋台のおばあさんが、「みし!みし!」と言ってきました。

「?」

「もしかして、めし、飯の事?」

おばあさんに、「めし?」と言うと、笑顔になりました。

戦争の影響でしょう。
確か、ピイの近くには日本軍が駐留していたと思います。

これが、きっかけで、このおばあさんの屋台に通う事になりました。
もう、おばあさんは亡くなってしまいましたが、毎年会えるのが楽しみでした。



31

警察に付きまとわれた話。(ミャンマー・ヤンゴン)

サンチャイ 21/01/17 19:46
初めてミャンマーに行った時の話です

今のミャンマーは、ゆるゆるですが、当時のミャンマーは軍事政権でした。

政治の話はタブー、写真を撮るのも気を遣っていました。

ヤンゴンのスーレー近くのティンジーマーケットで写真を撮っていた時の事です。

その時、露店の取り締まりが始まりました。
警察官が数人、物売りを排除していきます。容赦有りません。
警察官のひとりが、私に気付きました。
今でも、よく覚えていますが、目つきの悪い小太りの男です。
リーダーの様でした。

私の所に来て、何やら言いました。ミャンマー語なので分かりませんが、
「撮るな!」という事でしょう。

大人しく、その場を立ち去りました。

それから、街中をぷらぷらしていました。
ある時、気付きました。自分の周りに、常に警察官の姿がある事に・・・。

どこに行っても、警察官がいます。
「あの顔は、見たことがあるぞ。こいつの顔もだ。」

「ゾッとしました。見張られてる・・・。」

警察官は、こっそり見張ってるという感じではありませんでした。
堂々と姿を見せて、
「見張ってるぞ。」

翌日も、半日は同じ様な感じでした。
街中で色々撮ってましたが、周りには注意してました。

軍人や警察官が写らないか、政府関係の建物がないか。

特に、トラブルはありませんでしたが、緊張感ありまくりでした。







35

私は、カメラは、持って行きません。

シリントン 21/01/23 19:25
カメラそのものが、狙われるし、警察や軍人は、写真を取られるのを、嫌がります。
ノートパソコンや、スマホも、狙われます。

37

「フィルム没収だ!罰金を払え!」(インド・コルカタ)

サンチャイ 21/01/24 13:46
大失敗談です。

デジカメが出る前の事です。

暇なので、サダルストリートからハウラー駅まで散歩に出かけました。
途中、ハウラー橋を渡ってると、ガートが見えました。

「撮ろうか。」

日本を出て、2日目。まだ、旅の感覚が戻っていません。

橋が撮影禁止なのを、すっかり忘れてました。

撮った後、すぐに警官に声を掛けられました。
警官は、私の真後ろにいたんです。

「ここは、撮影禁止だ。フィルムを出せ」

「やってしまったなぁ~。」
ごねると面倒な事になるので、おとなしく渡しました。

続けて警官は言いました。
「罰金だ。金を払え!」

金を渡しても、この警官の懐に入るのは目に見えています。
「金は持ってない。ホテルに置いてある。」

「ダメだ。罰金だ!」

押し問答の末、警官は諦めました。

大事な写真が・・・
悔やまれてなりません。

65

インドで、一番良かったのは、ゴアです。

シリントン 21/02/13 14:55
ゴアでは、魚介類が食べられます。
ゴアの、バガビーチに、2007年10月から、11月まで、滞在しました。
1泊500ルピー(約1500円)の安宿でした。
毎日、ビーチで、長椅子に寝そべり、朝食セットを食べ、本を読み、のどが乾いたら、飲み物を注文し、何時間も、過ごしました。
紺碧のアラビア海を眺めながら、最高のひと時を過ごしました。
(12月になると、ヨーロッパから、たくさんの旅行者が、チャーター機で、ゴアに来るそうです。ホテル代が、跳ね上がるので、私は、11月末で、デリーに、移動しました)

日本の海と違って、アラビア海は、毎日、色が変わりませんでした。
いつも、紺碧でした。
水平線の向こうには、アラビア半島があるはずでした。

インドでは、食べ物がまずくて、閉口しますが、ゴアだけは、おいしかったです。
ゴアだけは、インドの女の子も、Tシャツを着て、短パンツをはいていました。
ゴアは、元ポルトガル領なので、キリスト教徒が多いそうです。

インドへ旅行するなら、ゴアがお勧めです。

76

ゴアは、7月、8月には、嵐になるので、時期を、選ぶ、必要が、あります。

シリントン 21/02/21 18:14
7月、8月、とかは、暴風雨になるので、行くのは、やめた方がいいです。
12月の、トップシーズンを避けて、その直前に、行くのが、いいです。
12月は、ヨーロッパからの旅行者で、ごった返し、ホテル代も跳ね上がり、アジア人は、居心地が、よくないと、思います。
ゴアは、麻薬パーティーで、有名らしいですが、夜、出歩くのは、危険です。
「ヨーロッパから来た、15才の女の子が、行方不明になった」と書いてある、張り紙を見ました。
殺されたか、売り飛ばされたか、です。

悪いことをする人は、信用しては、いけないんです。


インドで読んだ新聞に、「駆け落ちしたのに、男に、売春宿に、売り飛ばされた」事件のことが、載っていました。
インド人同士でも、信用しては、いけないんですよ。

私は、インドでは、「結婚している。娘が二人いる」と、嘘をついていました。



86

インドにおける、女の子のしつけ

シリントン 21/03/21 17:31
本で読みましたが、インドでは、娘のしつけに、
「知らない男性に、話しかけてはいけない」
「知らない男性に、笑いかけてはいけない」
というのが、あるそうです。
つまり、恋愛は、御法度です。

実際、インドに行くと、女性は、働いていません。
外国人は、インド人女性に、接する機会が、ありません。

ダージリンのタクシー運転手が、「外国の女は、セックスがフリーだ!」と、騒いでいました。
インドだと、インド人男性は、インド人女性と、話す機会がないので、外国人女性が、大変軽く見えるようです。

38

「何を書いてるんだ!」警察に捕まった話。(イラン・アフワーズ)

サンチャイ 21/01/24 14:19
アジア横断中、イランには約3週間滞在しました。

旅行しづらい国と思ってましたが、人々は優しく楽しかったですね。
ただ、「コミテ」と呼ばれる宗教警察は、別でした。
奴らは、私服なんですね。どこにいるかは分かりません。

滞在中は、ほとんど毎日、警察に捕まっていました。
原因は、カメラです。
制服の人間は、パスポートチェック程度で済みましたが、
コミテは、そうはいきませんでした。

尋問が待っていました。しつこいです。

アフワーズでは、1時間程捕まりました。

街角の工場の人々や走ってるバイク、車を撮っていた時です。
写真の枚数が多いため、何を撮ったかは、ノートに書いてました。

これが、引っ掛かったようです。
4人の男に、声を掛けられました。
「何を書いてるんだ!?」
説明しましたが、分かってもらえません。

ノートは、取られてしまいました。

さらに尋問は続きます。
パスポートをチェックされ、
「今まで、どこの国に行った?」等、色々聞かれました。

なかなか解放してもらえません。

しばらくすると、
車3台がやって来て、むさくるしい男が10人くらい降りて来ました。
ムスッとした表情です。

「こりゃ、ブタ箱かな。」
覚悟しました。

同じ様な事を聞かれましたが、
その内のひとりが、笑顔で握手を求めてきました。
そして、言いました。
「注意してね。」

指揮官でしょうか?

ようやく解放され、ノートも返してもらえました。
冷や汗もんでした。









40

警察署に連行された話。(パキスタン・ラホール)

サンチャイ 21/01/30 14:31
ラホール駅近くの路上で、写真を撮っていました。

すると、ひとりのじいさんが、やって来ました。

「ここで、撮るんじゃない!」
文句を言ってきました。

時々、難癖をつけて来る輩がいます。

日本語で、「うるさいんじゃ、ボケ!」と、言ってやりました。

しばらくすると、じいさんが警官2人を連れて来ました。

「何してんの?ちょっと来て!」

連行される事になりました。
警官について行くと、どこかの細い路地に入りました。
中は薄暗くて、迷路です。

どこをどう歩いたか分かりません。
警察署らしき所に、着きました。
ボスらしき人の所へ連れて行かれ、尋問です。
大した事は聞かれませんでしたが、最後にこう言われました。

「撮ってもいいが、書くなよ。」

解放されました。








43

警察は、普通、現地人の話だけ、聞いて、外国人の話は、聞いてくれません。

シリントン 21/01/30 16:08
ある人に聞いた話では、ホテルの宿泊代を、ごまかされそうになって、フロントで、もめていると、警察を呼ばれ、手錠を掛けられ、拘置所に入れられたそうです。
タイのバンコク、カオサンの話ですが。
カオサンには、警察署がありますよね。

タイに限らないかもしれませんが、外国の警察官は、日本語を、しゃべりません。
普通、英語も、しゃべりません。
通訳なんか、呼んでくれません。
タイ人の話だけ、聞いて、対応します。
タイ人に、何を言われたかも、わかりません。
拘置所の中は、牢屋みたいで、便器と、水道だけ、あったそうです。
食事時になっても、食事も、飲み物も、出なかったそうです。
ほかの人は、誰かに、金を渡して、食べ物を、買ってきてもらって、いたそうです。
何時間かして、誰かわからないけど、若い男の人が、携帯電話を、差し出してきて、手に取ると、「日本大使館の○○です」と声がして、「100バーツ払って、出てきてください」と言われたそうです。
事情なんかは、聞いてこなかったそうです。
タイ警察と、日本人の言うことが、違うのは、当たり前だからです。
慣れ切っているんです。
その後、拘置所を出て、警察署の方に移り、何が書いてあるのか、わからない、タイ語の書類に、サインさせられ、100バーツ払って、出てきたそうです。
(1バーツが、3,5円くらいです。)

日本では、「人権!人権!」と言いますが、相互主義でいいと思います。
日本人の払った税金で、外国人の人権を、守る必要は、ないです。

64

拘置所から、どうやって、出るか。

シリントン 21/02/13 14:11
その人は、大声で、「Emergency call for Embassy of Japan!」を連呼したそうです。
警官は、「バッグを寄こせ」という手ぶりをしたそうですが、絶対、渡さなかったそうです。
後で、「何のことだ?」と言われたら、おしまいだからです。
拘置所内では、食料も、飲み物も、出ないので、いつも、ミネラルウォーターを、持ち歩いている必要が、あります。

外交関係がいい国でないと、旅行は、危ないです。
タイと、日本の、外交関係がいいから、大丈夫だったんです。

中国や、韓国だと、大使館も、こんなに、親切ではないでしょう。

77

「拘置所」では、なくて、「留置場」です。

シリントン 21/02/21 18:16
また、間違えました。
訂正します。

32

写真1枚の重み。(ミャンマー・バゴー)

サンチャイ 21/01/19 18:322
旅行中は、観光もしますが、市場で写真を撮ってる事が多いですね。

ズームレンズを使って、人々の色んな表情を撮るのが楽しみです。

撮った写真は、プリントをして、ラミネートフィルムを張り付けて持っていきます。

バゴーでの出来事です。

写真を配った後、あるおばさんが泣きながら私の所にやって来ました。
彼女は何やら言ってますが、全然分かりません。
手には、服売りのおじさんの写真がありました。

「何か、まずかったのだろうか?」

英語を話せる人が間に入ってくれました。

写ってるおじさんは、彼女の旦那さんで、亡くなったそうです。
写真は、ほとんどなかったので、おばさんは嬉しくて私の所にお礼を言いに来た、という事です。

今も昔もミャンマーでは、写真は喜ばれます。
スマホが普及して、写真は簡単に撮れるかもしれませんが、プリントには敵わないと思います。

写真は、時が止まるんですよね。
それが、撮り続けてる理由です。



33

2012年、春頃だったと思います。エジプトのカイロで。

シリントン 21/01/23 18:28
私は、タフリール通りにある、(確か)レナホテルに、長期連泊していました。
床と鉄格子だけのエレベータ―で、5階か、6階に上ると、そこのワンフロア―全体が、ホテルになっていました。

カイロの安ホテルのエレベーターの怖さは、経験しなければ、わかりません。
チェックインするときは、トランクが重いし、それ以降も、階段は、大変なので、エレベーターを使うのですが、エレベーターに、壁がありません。
床と、鉄格子だけです。
ガチャ―ンと、自分で、鉄格子のドアを開け閉めし、ボタンを押して、目的の階へ、上ります。
目的の階に着くと、自分で、開けて、降りなければいけません。

ときどき、エレベーターが、途中で、止まることもあります。
壁がないので、宙吊りになります。
その時は、大声を出して、人を呼んで、エレベーターを、作動して、もらわなければいけません。
エジプト人男性は、女性に、優しいので、たいてい、誰か彼かが、気が付いて、エレベーターを、作動してくれます。

初めて、カイロの、このタイプのエレベーターに乗った時には、「キャー!!怖いよー!!」と、絶叫してしまいました。
(高級ホテルのエレベーターは、こんなことはありません)
カイロでは、毎日、デモがありましたが、エレベーターがあるので、デモ隊は、上ってこれません。

今では、いい思い出です。

レナホテルは、交渉で、値段が決まりましたが、1泊1000円くらいだったと思います。
大きな部屋で、3つくらいベッドがあって(バスルーム付き)、何人も泊れそうでしたが、一人で、利用できました。

革命中で、外国人観光客が、いなかったのです。
当時は、選挙の最中でした。
モルシ大統領が、当選した選挙です。
ムスリム同胞団が、圧勝した選挙です。

私は、毎日、タフリール広場へ行き、新聞売り場を、のぞいていました。
アラビア語は、わかりませんが、一面に載っている、写真だけでも、見ていました。
選挙の最中の、支持率などが、円グラフになって、載っていました。
街中には、立候補者の写真が、大きく貼りだしていました。
女性が、頭から、チャドルをかぶって、目だけ出している写真も、ありました。
街中にいる女性は、頭には、スカーフをかぶっていますが、顔は、普通、出しています。
カイロの女性は、スカーフ、上着、長いスカートを、うまくコーディネートして、大変おしゃれです。
色彩感覚が、抜群に、いいです。




48

「レナ」でなくて、「ルナ」でした。

シリントン 21/01/30 16:39
先の記事を、訂正します。
いいホテルでした。
フロントには、若い女性が、座っていました。

34

2013年6月30日、エジプトで、クーデター発生。私は、何も知らず、ルクソールにいました。

シリントン 21/01/23 19:20
ルクソールで泊っていたホテルは、1泊400円くらいでした。(ベッド2つ、バスルーム付き。一人使用)
連日、40度くらいまで、気温が上がりました。
熱いので、午前10時以降は、外に、出られませんでした。

部屋代は、安いので、エアコンは、ありません。
ファンは、ありましたが、使わず、水シャワーを、1日に、6回くらい、浴びていました。

毎日、新聞売り場に行って、新聞の一面の写真を、見ていました。
ある日、一面に、装甲車が、行進する写真が、載っていました。
大勢の軍人が、整列している写真も、ありました。

「変だな」とは、思いましたが、カイロでは、毎日、どこかここかで、デモが行われていたので、あまり気になりませんでした。
(当時は、「反モルシ・デモ」が行われていました。とことん、デモが好きな、国民なんです)

その夜、泊っていたホテルの回りで、デモが行われている声が、聞こえてきました。
その夜だけで、あとは、何もありませんでした。

クーデターは、首都だけが、関係して、そのほかの町は、関係なかったのです。

7月10日には、ラマダンが始まりました。
エジプト人は、ラマダンのことで、頭がいっぱいのようでした。

7月30日に、列車で、カイロに、帰りました。
町中、あちこちに、装甲車があり、びっくりしました。
装甲車の上には、兵隊が立って、身じろぎもせずに、じっと、銃を構えていました。
テレビ局の前には、放射線状に、数台の装甲車がありました。
そのそばも通りましたが、道行くエジプト人は、普通の生活をしているようでした。

私は、「絶対、何か起きている!」と思いました。
私は、ザマレクに、歩いて行き、路上で売っている、英字新聞を買いました。
アレキサンドリアに、バスで、行って、ホテルで、英語の辞書を、引きながら、新聞を読みました。

いつもと違って、何が何だか、わかりませんでした。
報道統制されているようでした。
そのうち、やっと、「クーデターだ」とわかりました。
急いで、バスで、カイロに帰り、飛行機で、ヨルダンの首都アンマンに向かいました。

もし、クーデターが起きたとき、カイロにいたら、私も、他の外国人と一緒に、国際空港に殺到して、高いエアチケットを買って、外国に、出国していたかもしれません。
実は、地方へ行くと、何も、起きていないんです。

海外旅行の自慢は、このくらい、スケールが大きくないと、駄目では、ないでしょうか。

2014年5月22日のタイのクーデターのときは、私は、1月から、3月まで、バンコクに滞在し、「今か、今か」と待ち構えていましたが、3か月のビザが切れて、私が、マレーシアの首都クアラルンプールに行った後、クーデターが起きました。
タイのクーデターは、7、8年に1回、必ず起きて、しかも、無血クーデターなので、「ぜひ、装甲車の行進を見たい」と、期待していたのですが、見れませんでした。(2014年のクーデターでは、装甲車は出なかったそうです)
タイでは、事前に、「クーデターが近い」と、マスコミでも、報道されます。






36

「wine please!」「more wine!」(バンコク⇒インド・コルカタ、機内にて)

サンチャイ 21/01/24 07:15
バンコクからインドのコルカタへ、タイ航空で向かっていた時の事です。

私の隣りは、インド人のおじいさんでした。

離陸後、水平飛行に入り、シートベルト着用のサインが消えました。

隣のおじいさんが、CAさんを呼びました。
すると、「wine please!」

「はぁ?何を考えてんでしょう、このじいさんは。」
そう、思いました。

CAさんは、断りました。
しかし、このじいさんは諦めません。
他のCAさんに、再び
「wine please!」
でも、もらえませんでした。

機内食が配られ、この時にようやくワインをゲットしたじいさんですが、欲の皮が突っ張っていました。
「more wine!」
2杯目をゲットしました。

しかし、これで終わりではありませんでした。
3杯目を狙っていました。
「more wine!」
でも、CAさんは無視です。

じいさんは、諦めません。
CAさんが、通るたびに「more wine!」

今度は、CAさんの呼び出しボタンを押しますが、CAさんは来てくれません。

私は、隣で笑っていました。
「やっぱりインド人やなぁ。」

機内食を回収する時にも、「more wine!」

恐るべしインド人!




44

私が、インド国内線で、見た光景は……

シリントン 21/01/30 16:16
インド人男性が、コーラを、何杯も、注文して、仲間に配っていました。
茶色い液体は、ぱっと見、ビールでしたが、「コーラ」と言って、もらっていました。
自慢そうに、していました。
ヒンドゥー教は、酒は、禁止です。



39

セブ島在住

Cebuyuki 21/01/26 17:11
フィリピンの掲示板をたまに見ていますが、もう半年以上投稿がありません。
僕は今もセブにいますが、何もしていないのでブログやTwitterのネタがありません。笑
https://cebuyuki.com
たまに、「いつ旅行できますか?」という質問がありますが、観光客が来るのは数年かかるかもしれませんね。
海外在住者の何割くらい帰国したんでしょうか?

41

賄賂は、25インドルピー(インド・アターリー)

サンチャイ 21/01/30 15:03
アジア横断中の話です。

パキスタン側・ワガ―からインド側・アターリーへ国境を越えました。

パキスタン側は問題なく出国できました。
心配してたのは、インドです。
当時、インドの税関では外貨申告がありました。
手持ちの、米ドルと日本円の金額を税関申請書に書きました。

問題は、インドルピーです。

インドルピーの国外への持ち出し、国内への持ち込みは禁止されていました。
見つかると没収です。

しかし、旅行者がパキスタン側で、パキスタンルピーをインドルピーに両替していることを、税関の奴らは知っています。
私も、パキスタン側のイミグレ裏で闇両替をしました。

「持っている外貨を全部見せて!」
役人が言いました。

「やっぱり来たか・・・。」

見せると、お金を数えられ、知らないうちに抜かれます。

「どうする?見せるか?」

続けて役人が言いました。
「インドルピーは、持ってるよね。」

やっぱり狙っていました。

「握らせるか?」

ダメもとで、ポケットの中に入れていた25ルピーを出しました。
「これで、昼ごはんを食べて。」

役人は、それをポケットに入れました。

私は、そそくさと税関を離れました。

やっぱりインドやなぁ~。



45

闇両替は、駄目ですね。

シリントン 21/01/30 16:18
弱みがあると、ゆすられます。

42

おぞましき巨大なウンコ(インド・ニューデリー)

サンチャイ 21/01/30 15:32
ニューデリー滞在中、朝ごはんを食べた後は、ニューデリー駅からサダルバザール駅付近を通り、オールドデリー駅方面へ散歩に行ってました。

道を歩きながら写真を撮り、時々線路に入ったりしていました。

インド経験者なら分かると思いますが、朝の線路沿いは、水の入った入れ物を片手に、インド人がウンコをする為にやって来ます。

そんなインド人を時々撮っていました。

他人がウンコをする姿を見られるのは、インドくらいでしょう。

その日も、せっせと撮っていました。

ある男を撮った後、用を済ませた場所へ行ってみました。

「これが、ウンコ?」
「1人前?」
「人間の?」

何という巨大なウンコでしょうか!
びっくりしました。

記念にアップで撮っておきました。


49

苦闘!バス34時間の旅。(パキスタン・クエッタ⇒ペシャワール)

サンチャイ 21/01/30 17:41
アジア横断中の話です。

イランからパキスタンに入ってきました。

カラチへ行くかペシャワールへ行くかで迷いましたが、ペシャワールに行く事にしました。

宿のスタッフに聞くと、直行バスがあると言う事なので、バス会社にチケットを買いに行きました。

チケットを買った時の話では、「翌日の朝に着く。」という話でしたので、
「余裕や!」そう思っていました。

出発当日、バスは14時に出ました。

バスは、満席。悪路を進みます。
ガタガタ、ガタガタ、ずっと体が震えている様な感じです。
体にはきついです。
スピードは、全く出ません。
夜になり、あたりは真っ暗です。
民家の明かりは、全く見あたりません。
トイレ休憩はあるものの、オープントイレです。

晩ごはんは、夜中の1時でした(笑)
ここまで11時間です。

朝になり、到着すると思っていましたが、着きません。
昼になり、夜になり、もうどうでもよくなってきました。

思考回路は停止です。
「いつか、着くだろう。」

0時を過ぎて、ようやく到着しました。
辺りは、霧で真っ白です。
バススタンドなのか、どこなのか分かりません。

道中、色々話しかけてくれた老夫婦がいました。
「今日は、ここで泊った方がいい。」と言われ、近くの小屋(?)に案内されました。
そばでは、老人ふたりが焚火をしていました。
その光景は、よく覚えています。

小屋の中には、ベッドが並んでいました。
一応、宿の様です。

あまりに疲れていたので、ベッドに倒れ込みました。

世話を焼いてくれた老夫婦に、きちんとお礼を言えなかったのが心残りです。

ハードなバスの旅でしたが、いい思い出です。












50

ベッドに水を掛けても暑くて寝られない。(インド・ブサバル)

サンチャイ 21/01/30 18:32
アジャンターに行く為に、コルカタから夜行列車に乗って、ブサバルにやって来ました。

ここで1泊です。

酷暑期の4月で、猛烈な暑さでした。
夜になっても、気温が下がりません。
ホテルの部屋の窓を開けても、熱い空気が入ってきます。

寝られないので、ベッドに水を撒いて気化熱を利用して、温度を下げました。
しかし、すぐに乾いてしまいますので、また熱くなります。

夜はずっと、これを繰り返しました。

旅行人の蔵前さんの本に、これと同じ事が書いてあったのを思い出しました。

こんな経験をしたのは、この時だけでしたね。

51

「イヤリングは、女の子にとってすごく重要なんだ。」(ミャンマー・バガン)

サンチャイ 21/01/30 20:28
1年前の旅のレポートにも書きましたが、バガンのとあるパゴダに、ずっと通っています。
ここに、絵を売っている男がいますが、現在、その娘の大学の学費を支援しています。年間400ドルです。

このパゴダには、管理をしている母娘がいました。(娘は17歳)
父親は、早くに亡くなったようです。
生活は苦しいようです。
いつも同じ服を着ており、家はぼろぼろでした。

ある時、絵を売っている男に頼まれました。

「イヤリングは、女の子にとってすごく重要なんだ。彼女(17歳の子)は貧しくてイヤリングを買えない。
買ってあげて欲しいんだ。」

ミャンマー人にとって、イヤリングをしていない女の子は、全くダメなようです。
ちなみに男は履物らしいです。

「そうか。」

母娘の様子は、ずっと見てきました。
「買ってあげようか。」

イヤリングの値段は、30から40ドルくらいだそうです。
それくらいなら、買えます。

2日後、絵を売ってる男と17歳の女の子と私の3人でイヤリングを買いに行きました。
市場で彼女が選んだのは、70ドルの物でした。
「予算オーバーや。」

「もう少し安いのにして!」と、言い掛けましたが、彼女の嬉しそうな顔を見てると、
「まぁ、いいか。」という、気持ちになりました。

「女の子やもんなぁ。おしゃれは大事や。」


それから1年後に、このパゴダを訪れました。
その時、絵を売っている男から、こんな話を聞かされました。

「彼女は、イヤリングを売ってしまったんだよ。」

「はぁ~っ!?」

生活が苦しい為に、売ってしまったようです。

話をを聞いたときは、ムッとしました。
でも、考えてみると仕方がないのかもなぁ、と。

飯が食えなければ、誰でもそうするだろうと。

彼女には、イヤリングの事は聞きませんでした。

現在、彼女は結婚をして土産物を売って暮らしています。
相変わらず、生活は苦しい様です。










52

「あと3500人しかいないよ。」(パキスタン・ブンブレット)

サンチャイ 21/02/06 15:14
もう20年前の話になります。2001年の4月です。

カラッシュ族の村を訪れました。
その時に泊った、カラッシュ・ホテルのおじいさんが言ってた言葉です。

カラッシュ族の人口は、年々減ってるそうです。
おじいさんの悲しそうな顔を今も覚えています。

ホテルの庭で、ふたりで1時間程話をしましたが、
何とも言えない不思議な時間が流れていました。

翌年もブンブレットに行く予定でしたが、アメリカでのテロの影響でパキスタンの治安は急速に悪化しました。
確かドイツ人旅行者がスワートで殺され、ブンブレット再訪を断念しました。
アフガン人の多い地域の為、危険すぎました。

それから20年の年月が流れました。

おじいさんは、もう亡くなったでしょう。






53

雪の残る峠を、除雪して通過。(パキスタン・シャンドゥール峠・3720m)

サンチャイ 21/02/06 15:51
カラッシュ族の村を訪れた後、チトラールからギルギットへ向かいました。
途中に、3720mのシャンドゥール峠がありますが、4月後半では残雪の為に通れるか分かりません。

ダメもとで、ランクルをチャーターして出発しました。

峠近くのソーラスプール村で宿泊しましたが、やっぱり雪が多いとの事。

「無理か・・・」そう思っていました。

しかし、ドライバーから話がありました。
「村人を雇って除雪をすれば、通れるぞ。金を出せるか?」

「出すよ。いくらだ?」

村人10人、6000ルピーで交渉成立。(1ルピーは約2円)

翌朝から作業をしてもらい、無事に通過。

このルートは、絶景が広がります。
もう一度、走りたいですね。

この後、クンジェラーブ峠を越えて、中国・カシュガルに向かいました。











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のたうち回る男。(インド・ジャイプール)

サンチャイ 21/02/07 13:59
ジャイプール駅前を歩いてた時の事です。

路上で横たわってる人が見えました。
インドでは、ありふれた光景です。
近づいてみると、男が苦しそうに、のたうち回っていました。

髪はぼさぼさで、髭はぼうぼう、裸足です。
ウンコまみれで、もの凄い臭いでした。
おびただしい数のハエが群がっていました。


しばらく、男の様子を見ていました。
インド人たちは、避けて歩いてました。
誰も助けにいきません。

「日本とは、違うなぁ・・・。」

男が、その後どうなったかは分かりません。

写真は、残っています。



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