2013年6月30日、エジプトで、クーデター発生。私は、何も知らず、ルクソールにいました。 ルクソールで泊っていたホテルは、1泊400円くらいでした。(ベッド2つ、バスルーム付き。一人使用) 連日、40度くらいまで、気温が上がりました。 熱いので、午前10時以降は、外に、出られませんでした。 部屋代は、安いので、エアコンは、ありません。 ファンは、ありましたが、使わず、水シャワーを、1日に、6回くらい、浴びていました。 毎日、新聞売り場に行って、新聞の一面の写真を、見ていました。 ある日、一面に、装甲車が、行進する写真が、載っていました。 大勢の軍人が、整列している写真も、ありました。 「変だな」とは、思いましたが、カイロでは、毎日、どこかここかで、デモが行われていたので、あまり気になりませんでした。 (当時は、「反モルシ・デモ」が行われていました。とことん、デモが好きな、国民なんです) その夜、泊っていたホテルの回りで、デモが行われている声が、聞こえてきました。 その夜だけで、あとは、何もありませんでした。 クーデターは、首都だけが、関係して、そのほかの町は、関係なかったのです。 7月10日には、ラマダンが始まりました。 エジプト人は、ラマダンのことで、頭がいっぱいのようでした。 7月30日に、列車で、カイロに、帰りました。 町中、あちこちに、装甲車があり、びっくりしました。 装甲車の上には、兵隊が立って、身じろぎもせずに、じっと、銃を構えていました。 テレビ局の前には、放射線状に、数台の装甲車がありました。 そのそばも通りましたが、道行くエジプト人は、普通の生活をしているようでした。 私は、「絶対、何か起きている!」と思いました。 私は、ザマレクに、歩いて行き、路上で売っている、英字新聞を買いました。 アレキサンドリアに、バスで、行って、ホテルで、英語の辞書を、引きながら、新聞を読みました。 いつもと違って、何が何だか、わかりませんでした。 報道統制されているようでした。 そのうち、やっと、「クーデターだ」とわかりました。 急いで、バスで、カイロに帰り、飛行機で、ヨルダンの首都アンマンに向かいました。 もし、クーデターが起きたとき、カイロにいたら、私も、他の外国人と一緒に、国際空港に殺到して、高いエアチケットを買って、外国に、出国していたかもしれません。 実は、地方へ行くと、何も、起きていないんです。 海外旅行の自慢は、このくらい、スケールが大きくないと、駄目では、ないでしょうか。 2014年5月22日のタイのクーデターのときは、私は、1月から、3月まで、バンコクに滞在し、「今か、今か」と待ち構えていましたが、3か月のビザが切れて、私が、マレーシアの首都クアラルンプールに行った後、クーデターが起きました。 タイのクーデターは、7、8年に1回、必ず起きて、しかも、無血クーデターなので、「ぜひ、装甲車の行進を見たい」と、期待していたのですが、見れませんでした。(2014年のクーデターでは、装甲車は出なかったそうです) タイでは、事前に、「クーデターが近い」と、マスコミでも、報道されます。