10)フランスの美しい村、ルールマランとアンスイに行く エクサンプロバンスに数日宿泊していたので、フランスの美しい村ルールマラン(Lourmarin)とアンスイ(Ansouis)に日帰りで行くことにした。 ルールマランへは9番バスで行けるようなので、エクサンプロバンスの大きなバスターミナルから出るだろうと思って、10分ぐらい前にバスターミナルに着き、20個ぐらいあるバス停を行ったり来たりしながら探したが、目的のバスがなく、バス案内所窓口で聞くと、「そのバスはカジノの前から出るので、ここにはバス停はありません。9時40分に乗るにはもうちょっと遅いです。」と言って、カジノのあるらしい方角を指さした。 バスは9時40分の次は16時半で夕方乗って行っても帰ってこれないので、今日は乗り場を探してあとは町をぶらぶらするか、と言うことにして、観光案内所でカジノの場所を尋ねると、地図上は、カジノはバスターミナルからそれほど遠くないところにあった。言われた建物は、バス案内所から出てその先200mぐらいのところで見つけていたのだけれど、カジノと書いてなかったので、カジノかどうか疑問を持って観光案内所に行ったが(実際にはPasino と書いてある)、観光案内所の人が言うには、Pasinoはカジノを運営する会社の名前で、Pasinoと聞けばカジノだとわかる、とのことでした。 翌日、9番バスでルールマランに着いた。 この村は、中央の通りは商店がそこそこあり、裏通りは道が入り組んで、昔のまま家並みが残された感じで、標準的な「フランスの美しい村」であった。 中央の通りの先にはかなり広い広場があり、その日は市の立つ日らしく、雑貨や衣料、チーズ、くん製、野菜、果物などの食料品の店がずらっと並んで、賑わっていた。 村の中には、観光客がそぞろ歩き、カフェなどもよく客が入っていた。 村を見下ろす小高い丘には城があったので、バスまで時間もあり、入って見た。城からは村が見下ろせる位置にあって、観光するにはいい村だった。 次いで、バスを乗り継いでアンスイの村に行った。 この村は、バス停から150mぐらい離れていて、こじんまりとして、観光客が多く来ることを期待していない、ごく普通の村で、たまたま昔のまま残ったので「フランスの美しい村」に指定されただけ、と言いたげな村のたたずまいだった。 観光客もごくまばらで、カフェや村の雑貨屋も最低村人が利用できる程度の数だった。 村の中を散策して、ゆっくり過ごせた。 帰りにバスを待っていてふと見ると、バス停広場の後ろの山際に、石碑があるのに気がついた。近づいてみると、戦死者の鎮魂碑だった。 フランスでは、その町から出た、第一次大戦、第二次大戦の戦死者(兵士と将校)の鎮魂碑を見ることがある。町によっては鎮魂碑とする銘だけのものや、全員の名前を彫ったものなどがある。 ここの村のものは、戦死者の名前が彫られていて、第一次大戦で32名、第二次大戦で2名の名前が刻まれていた。 第一次大戦で32名というのは、この小さな村で、戦死者が多くないか? この村の人口推移をネットで見ると、当時約600人だったようで、20歳以上の若者が主に招集されたとすると、この村の20歳から30歳ぐらいまでの男子の約半数が第一次大戦で戦死した計算になる。 (フランス全土の人口比の戦死者率よりやや高いようだ。戦死率は配属された戦線にもよるだろう。フランスでは第一次大戦のあと、フランス全土で農業人口が約40%を占める中、農家の跡取りをなくした家や、娘に婿を迎えて農業を継がせようとしても、結婚相手になる男子がいないなど、困難な状況が続いたと、何かで読んだことがある。) 最初、何でこの碑を村人などあまり来そうもない、村から離れた広場の奥の目立たないところに建てたのかと思ったが、そばに平たく切った石を組み合わせて、山水を引き、四角い溜めに入って流れていく形や、流しのように構成した長さ7~8mの施設があり、それは、山水を利用した石造りの共同洗濯場の跡であった。 村では、水が豊富に流れ出る山際のこの場所を昔から共同洗濯場として使っていたと思われ、100年前の当時には村の女たちが洗濯に来る場所であっただろうことから、碑を建てる場所にしたのだろうと、納得した。