古代史は興味深い 『山海経』(せんがいきょうと読むらしい)は春秋戦国時代にまで遡り、いまだちゃんとした史書としては扱われていないようですが、面白いところに注目されましたね。 「蓋国在鉅燕南倭北倭属燕(蓋国は巨大な燕の南、倭の北にあり、倭は燕に属す)」。 古代の文は句読点がなく解釈は難しいのですが、()内の釈文の通りに受け取れば、蓋という国は朝鮮半島中部、倭はその南ということになるかと思います。鉅燕(巨燕)は華北の沿海、斉の辺りまで含むとしてです。 考古学的に朝鮮半島の南部から北九州にかけて同じ文化圏にあったようで、ここに倭の人たちが住んでいたと考えるのは通説と矛盾しないようです。 GHQに脱脂粉乳を飲まされて日本人の体格が良くなりましたが、それ以前は小柄な人が多く、近世までは物腰も控え目であった。つまり、漢人の方が相当昔から中国周縁文化圏の人たちより体格は大柄で、態度は横柄であったのかもしれません。 『論衡』については知りませんが、以下のようなことも言えるかもしれません。 諸タイ族は今の日本人より小柄です。モン族も体は小柄。 字音でなく、字体を主に考えれば「倭人」と呼ばれる人たちが華南より先にも存在してもおかしくはありませんね。 モン族は元来文字を持たない民族で伝承はどれほど古いものか不明ですが、言い伝えに日本人と自分たちはもともと同種の民族で、それが分かれて東の海へ移動した民と西南の山に移動した民になったと。 最近になって作られた話のようなニオイがしますけど。
モン族の稲作風景 モン族側にもそんな「言い伝え」がありますか。 日本側にも、戦前なのかな、モン族を弥生文化の源流とする「学説」があったようですね。 しかし、DNAの分析からも言語分析からも、モン族が日本列島に移動したと言えるような証拠は出てはいない、というように(あいまいで申し訳ない)聞いたかな。 私はモン族の土地に行ったことがないのですが、実際に稲作風景やら祭りの様子を目にすると、日本の稲作文化とのつながりを確信するようなものがあるのだろうなと推察します。いつか、行きたいものです。