民族のなまえ

横からですが、旅行中でちょっと目に留まったので、失礼。

言語の名前は、他の民族と高い頻度で交流がなければ名前はつかないものと思います。
民族名も然りでしょうか。

倭人の「わ」というのは自称のようです。津軽方言では現在も使います。
「わはなになにだはんで」(わたしは何々だから)なんて言います。
「わ」が自称の証拠としては、今の日本の教科書でも「わが国」なんて書いていると思います。

タイランドの「タイ」というのも元来、人を表す語です。
タイ・カダイ語族ではタイ・ルー、タイ・ダム、タイ・ヤイなどと部族を区別するときに使ったり。

Hmong(モン)族のモンというのも人を意味しているそうです。
中国人(漢民族)は、モン族の人たちを苗(メオ)族(猫の意味)と呼んでいましたが、今はモン族と呼ぶのが一般的になりました。

タイ語系の言語グループはタイ・カダイ語族と言いますが、このカダイというのは「・・・でもいいよ」という意味です。

おそらく言語学者に「お前の話しているのは何語なんだ」と問われたら、国を意識しない時代の人たちは「人の話す言葉」としてタイ語と答えるでしょう。
言語学者はお前たちの言葉はタイ語と違うね、と言います。そしてあの人たちの言葉はラオ語だ(ラーオは彼らの意味、第3人称)。
そんなに言われても困るんだけど、俺たちの言葉もタイ語でいいでしょ(タイ・カダイ)。

言語学者はそうか、タイカダイ語か。正確に記録するのが大切なんだ、と。

妄想を交えたレスでごめんなさい。

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2件のコメント

  • Re: 民族のなまえ

    こんにちは
    いずこをご旅行中なのだろうか。

    >「わ」が自称の証拠としては、今の日本の教科書でも「わが国」なんて書いていると思います。

    たしかに!
    しかし、そんな風に考えたことはありませんでした。
    いまも現役で使われる表現「わがくに」が、倭国の起源であるかもしれない!気が遠くなりました(笑)。

    タイ語系統もおもしろいですねえ。
    タイはタイ語で「人」、ラオは(タイ語で?)「彼ら」、そして、タイガタイのガタイは(タイ語で?)「~でもいいよ」。語族の名が成立時の力関係が透けて見えるようです。

    ところで「倭」は、『漢書』や『三国志』では、倭人は日本列島の住人として記述されますが、それ以前の歴史書では、朝鮮半島南部あるいは揚子江の南側あたりのどこかに住む人々となっています。

    戦国時代に成立したという『山海経』には、「蓋国在鉅燕南倭北倭属燕(蓋国は巨大な燕の南、倭の北にあり、倭は燕に属す)」。「燕」は渤海を起点にみると、東は朝鮮半島北部まで、西は上海までテリトリーを広げた大国です。すると「倭」の位置は、朝鮮半島南部か揚子江下流あたり。どちらだろう。

    後漢代に著された『論衡』には、「成王時越裳獻雉倭人貢鬯」(成王の時、越裳は雉を獻じ、倭人は鬯を貢ず)とあります。成王とは周代の王(全11世紀)です。周代の「倭人」はおそらくベトナムだと思われる「越裳」とセットで記述されたのですね。すると、倭人がいたのは、江南から雲南のあたりのどこかになりそうです。

    ひょっとすると、「倭人」には、タイ人の祖が含まれる可能性もあるなあなどと、考え出すと止まらないわけです。

    では!

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    18/02/06 14:24

    蝦夷の阿弖流爲

    現在の奥州市で征夷大将軍に卑怯な滅ぼされ方をしましたが

    ドラマでは一人称として「わー」でした。
    史料少ないですが。

  • 18/02/04 04:36

    「わ」は一人称ですから。

    我が国、の我であり

    一人称の我と、中国からの呼称であって、いい意味を持たない倭に共通性をお感じなのでしょうか。

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    いい意味を持たない

    そうですね。

    中国は昔から中華思想ですから。
    古代の中国はなんといっても文明国で周辺諸国を見下していました。

    大倭国(おおやまとのくに)なんて自分で言ってましたね。

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