退会ユーザ @*******
17/08/29 22:49

トリノ雑記

これが実は書きたかったのです。

トリノはご存じの方も多いでしょうが、統一イタリア王国最初の首都です。高校教科書ではサルデーニャ王国なんていう名前で紹介されているこの国がリソルジメント=イタリア統一運動の中心となったため、短期間ですがここが首都に定められました。だから当時の議会やら王宮やらが色々ある訳です。
サルデーニャ王国なんて呼び方私にはいまいちなじめなくて、やはりピエモンテと呼ばないとなあ、という感じです。

2011年はイタリア統一150周年だったので、トリノではその関連の展覧会や会合やシンポジウムなど企画が目白押しでした。イタリアに関係している者としてはやはり行ってこの目で見ねばなるまい、と思って見に行きました。トリノ中心部は至る所が赤白緑のトレコローリ(三色旗)で飾られて盛り上がっていました。イタリア統一史のプロセスって面白くてわくわくするのです。
ところが・・同じ年にシチリアにも行きました。ものすごく対照的なのですが、こちらでは統一150周年を思わせるものはなーーんにもありませんでした。やはり偶然の結果とはいえ意に反して統一に加えられた側は何の感慨もないんだな、という感じでした。このコントラストが私には衝撃でした。せめてガリバルディが上陸したマルサーラぐらいで何か展示しても良さそうなのに。

イタリア史に興味のない方にとってはどうでもいいことなのでしょうけど、私には重要なことだったのです。

さてあと数年で、今度はドイツ統一150周年です。ドイツ統一のプロセスも勉強したことがあり、イタリアとはまた違ったおもしろさがあると思っています。こちらでは地域による統一への温度差があるのかどうか?ちょっと知りたいなと思っています。知独派の皆様方のその年の旅のレポートを今から楽しみにしています。(自分が行けば良いのだが。)
例えばプロイセンとバイエルンではやはり何らかの統一への感情が違うのではないか、なんて思ってますが、果たして実際は?
なお、これは知ったかぶりではなくて、知らないから知りたいと思って書いています。そこんところ誤解されませんよう。

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1件のコメント

  • 「統一」「併合」なんやかんや・・・・

    そういえば、前回ローマのCaravaggio巡礼の折には、PanteonのVittorio Emanuelle IIのお墓も、お参りしてきました。ボランティアの儀仗兵っぽい方々が、警護?されていましたが、未だに何らかの悪影響を警戒されているんでしょうか?

    イタリアにしろ、ドイツにしろ、近世に統一された国家ですが、ドイツについて、チョー詳しい方は、失笑とお弟子に、追い払われてしまいましたからにゃ~。そこがこのマヨワセカータ掲示板において、抜けてしまった点でしょうなぁ。まぁ、それは失笑とお弟子がいかんのですね。もうちょっと寛容に、管理人権限は使わないといけませんよね。

    一足早く、強力な中央集権制によって、フランス国家となったフランスでも、地方毎に、中央に対する感情は、未だに違うと思います。まして、そこで方言、文化、歴史、産業が違えば、ひとくくりに国家と呼んでも、そこに含まれる人間は、違った反応を示すでしょうね。

    近年、テロの増加か、移民難民の増加の影響か、この「国家に対する温度差といおうか、一種の忠誠心」に揺らぎが出てきて、それが「国家」としての存在を、脅かしているのではないか?と、Catalunya州政府を見ていると思えてきます。Catalanは独立してもやっていける!というのですが、アジアの人口からすると、「そんな極小国家にしてしまって、一体軍事外交通貨はどうするの?」と思うんですが、感情の方が先のようです。

    スペインは併合に次ぐ併合の歴史なので、未だに中世の「王国」の名残が、そこかしこに、色濃く残っております。最近、そこらへんの地域差が、地域言語を第一に置くようになってきて、旅人は困らされるのであります。

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    退会ユーザ @*******
    17/08/30 20:51

    多様だからこそ欧州は面白いのですよね

    全く同意します。
    国民国家が多いという意味ではなくて、その一つ一つの国民国家のなかでも地域やら民族やら言語やらが入り乱れていて多様性を持っていて、常に分裂の契機をはらんでいるという面白さなのですよね。

    フランスについては耳学問に過ぎませんが、ブルターニュの反中央的な傾向とか南仏の独自言語とか、中央集権の国民国家のように見えてもそうではない側面が色々見えて、私はそういう地域の方に興味をおぼえます。

    スペインもそうですよね。残念ながら私はスペインの歴史については講義などを受けたことがなく、本を読んで仕入れた知識しかないのですが、でもカタルーニャやガリシアやバスクなど、中央とは全く異なる歴史と文化があることは分かります。言葉も全く違いますね。ガリシア語ってポルトガル語みたいだし、カタルーニャ語はカスティーリャ語よりイタリア語に近いような気がします。カタルーニャは経済的に先進地域だし、独立してもやって行けるのではないですか。イタリアだって北部だけ独立しようという勢力・政党がありますよ。
    しかしスペインって実質的に「統合」されたのはいつなんでしょうか。1492年ではないことは私でも分かりますが・・ひょっとしてナポレオン時代なんでしょうか。
    揉めたトピで、近世スペインの首都はどこだったかという愚問がありましたが、各地域の独立性と併合について真面目に調べていたらこのような愚問など出て来ないのではないかと今でも思っています(まったく、知ったかぶりはどちらだか)。

    そういえばヴィットリオ・エマヌエーレ2世の墓はパンテオンにあるのでした。忘れてた-。トリノに安置してあげればよいのに。
    トリノ王宮前でもしサヴォイアのエマヌエーレ・フィリベルト王子がうろついていたらサインもらって来て下さい~。(・・っているわけありません。ジュネーヴ在住です)