【Basilique de Saint-Denis】 参拝 その8 ~~~ ノストラダムスの予言 Versets de prophétie de Nostradamus ~~~ 反対側の階段を上がり、内陣の反対側に出た。 すると、一番目を惹く場所に、まるで「真っ黒な馬車」のような棺台が、高々と設けられている。そこに、またもや、いいカメラのドイツ人のおっさんが、三脚を用意して、大撮影会の準備中。こりゃ~、なかなかどかないぞ、と思ったので、すごすごと、上から見るのは後回しにして、階段を下り、棺台の前に回った。 ”アンリ2世とカトリーヌ・ド・メディシス” 黒い大理石が、鮮やかな墓のカップルは、フランスというよりは、サヴォワ王家で、かつ現イタリアから、2本フォークを嫁入り道具で持ち込んだ、メディチ家の姫様と、ノストラダムスの予言通りに、あの世に逝ってしまった王様でした。ただ、普通に棺台前に立つと、彫刻が見えないんです。クォォォ~っと、背伸びをしてみましたが、クロアチアのサッカー選手でなければ、こりゃダメだ!そういうことで、また階段上に行けば、あのドイツオヤジ、ヨーロッパで精密さと正確性を国民性とするが故か、三脚の位置調整中で、待っていても、こりゃダメだ!が2度重なった。 仕方なく、2本フォークと、ノストラダムスの予言カップルは、後回しにし、地道に内陣に沿って、配置されている、お墓をめぐり始める。 ダゴベルト1世(603年 - 639年) オォ、フランスというよりは、フランク王国の王様ね!と思い出した。 ピピン3世(714年 - 768年) 長靴下のピッピのおじいさんっぽい名前だが、こちらもフランク王国か~、と思う。 かのThe Abbeyを誇る、旧大英帝国ですら、1066年からなのに、たいしたものぢゃのぅ~、と感慨にふける。 ユーグ・カペー → カペー家としてまとまっている この方の棺も、2本のフォークに比較すれば、質素であった。まぁ、千年以上前であれば、そうなるものか? ゴチャゴチャになりやすい、フランス王家の歴史を、チョロ見すると、かならず「カペー」と出てくるのだが、案の定、後程反対側に戻るのに、カタコンベにもぐったら、「カペー家仕切り」がしっかり存在した。 アンリ4世 この方は、個人的にリピートしている、スペインのNavarra地方の王様であると共に、フランスの宮廷に、バスクのダンスを持ち込み、後にそれがクラッシックバレエの原型となった、とも言われる、バスク文化を背負いつつ、フランス国王になった経緯を持ち、ブルボン王朝の始祖ともされるので、個人的に興味を抱いていた王様でした。しか~し、2本フォークには負けていたね・・・・ フランス諸王朝に関する、薄っぺらい知識を辿りつつ(一応、年表は掲示されているが、フランス語+薄暗いのでよくわからなかった)、大回りに回った所で、ドイツオヤジの大撮影会が終わったようなので、ささっと、階段上に戻った。 いかん・・・・わたしの電磁亀吉君のズームを、ギュィィィーーンとアップしても、今度は並行すぎて、彫刻の凹凸が平坦になり、まるで「顔平たい族」みたいになってしまう。一体、2本フォークとノストラダムスの予言カップルの、棺台は、何を根拠に、ここまで写真にうつされにくい、高さ、位置、彫刻にしたんだか、まるっきりわからなかった。とはいえ、面倒だし荷物になるので、「宿題の旅」をやっても、せいぜい電磁亀吉君が、もっと若くなっている程度であろう。 すごすごと、さすがに「大理石・棺・彫刻」に疲れてきたので、目線を上に上げる。
拝見していまーす こんにちは?こんばんわ? お帰りなさいませ。 長靴下のピッピのおじいさんのくだり、電車の中で一人笑う怪しい人になってしまいました。 まだまだ続きますね。 楽しみにしております。
ありがとうございます まだまだ続く・・・・・かなぁ? ステンドグラスって、写真が掲載出来ないと、どうにもにゃ~・・・・という具合です。 mamoruさんのように、颯爽と、比較検証のために、ささっと確認できればいいんですが、 さすがの旅の最終日、緊張の果て、疲れたので、そういう無理はやめたので、自分の中の 記憶と照合する感じです。 やはり、イベリア半島の方が、ホッとするんですね。