Re^3: ブールバール ローテンブルクの歴史について、観光局の資料からのうけうりです。 10世紀半ば過ぎ最初の集落 12世紀半ば城ができて付近に待ちができる---城下町みたいなものでしょう。 13世紀 帝国自由都市に--もう町は城壁に囲まれていたでしょう 15世紀にはいると町の全盛期---日本でこういう町の形態を探すのは非常に難しいのですが,織豊時代の堺が似たようなムードという気がしています。 16世紀の農民戦争~町の衰退が始まり、17世紀のいわゆる30年戦争では反対派から攻撃を受けしばしば手をあげています。マルクト広場で見られるカラクリ時計は30年戦争で、反対派の傭兵隊長ティリーと町の市長のやり取りということになっていますが、史実としてどこまで本当かわかりません。 初期の城壁は今はないようです。ただ出入り口であった門はいくつかのこっているようです。地図で見ると、初期の壁の址出なくそのすぐ内側、外側に道路がのこっているようです。 薀蓄の一部がちがっているのでは。 ひとのことばかりいってられません。 政府観光局発行の資料によれば、ネルトリンゲンは、隕石址に町が発達し、その周りに城壁ができた。とありました。 隕石と町の形には関係があったのですね。 失礼しました。