Re^2: ブールバール

もうひとつあやしげなウンチク・・・ですが。

ローテンブルグも ネルドリンゲンも そのそばの・・・・何とかいう町も実は主体は市民・・・です。 ドイツで繰り広げられた新旧入り乱れての宗教戦争のとき変わりばんこに現れる外敵に対向して作った城壁です。

ロンドンやパリなども経済的な主体は 市民ですから未だに政治的発言権の基本的身分が市民権。

ドイツはだからつい最近まで小さな国の集合体で 徳川幕府のない日本の江戸時代みたいだったらしい。 第一次世界大戦のドイツは そのドイツに家康みたいなプロイセンのカイザー・・いわば将軍が出てきて・・・というお話し。

この辺の空を飛ぶときは下を見ると けっこう昔ながらの城壁に囲まれたちいさな町がけっこう目に付きます・

なお東京の場合のお堀を埋めたのは 第2次世界大戦以降。戦災の瓦礫と自動車産業と土建や、代議士の利権のタネで埋め立てて道路になりました。

その第一号がちっとも高速じゃない 首都高速。 たしか銀座1丁目から新橋
までが第一号で 道路をつくるためかお店を作るためか しばらくは用途が不明でした。  

なお日本では 町を囲む城壁はほとんど存在していないで お城のそとにもともと町がありましたから 城塞道路が生まれる要素は全く無さそう。

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1件のコメント

  • Re^3: ブールバール

    ローテンブルクの歴史について、観光局の資料からのうけうりです。
    10世紀半ば過ぎ最初の集落
    12世紀半ば城ができて付近に待ちができる---城下町みたいなものでしょう。
    13世紀  帝国自由都市に--もう町は城壁に囲まれていたでしょう
    15世紀にはいると町の全盛期---日本でこういう町の形態を探すのは非常に難しいのですが,織豊時代の堺が似たようなムードという気がしています。
    16世紀の農民戦争~町の衰退が始まり、17世紀のいわゆる30年戦争では反対派から攻撃を受けしばしば手をあげています。マルクト広場で見られるカラクリ時計は30年戦争で、反対派の傭兵隊長ティリーと町の市長のやり取りということになっていますが、史実としてどこまで本当かわかりません。

    初期の城壁は今はないようです。ただ出入り口であった門はいくつかのこっているようです。地図で見ると、初期の壁の址出なくそのすぐ内側、外側に道路がのこっているようです。

    薀蓄の一部がちがっているのでは。

    ひとのことばかりいってられません。

    政府観光局発行の資料によれば、ネルトリンゲンは、隕石址に町が発達し、その周りに城壁ができた。とありました。
    隕石と町の形には関係があったのですね。
    失礼しました。




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