サントリー与話・・・与太話の与です。

4-5年前に三十三回忌のおやじの話ですが 大正昭和のモボ・モガ時代の西洋カブレで売れた赤玉ポートワイン(オンナの人が飲んでもいいオサケ・・・でした)に乗っかってウイスキーの製造販売を考えて 醸造責任者をスコットランドに派遣して研究させたら・・・これがあまりにも良心的?で職人肌、その後はこちらが独立して出来たのが ニッカ ・・の竹鶴オジサン。 ウイスキーの醸成期間中はウイスキーが売れないので工場のある北海道余市産のりんごを絞って シードルとして売ったのは有名なお話。

売れ先を手伝ったのが アサヒの山本為三郎という趣味先行の名物社長とか。 つまり いち早くウイスキーを売り出した サントリーさんに
よからぬウワサがたった所以です。

サントリーさんが基礎を固めたのは戦争勃発による輸入禁止?と軍需景気・・。大増産体制、大量消費・・・といっても庶民の口には入らないのですが 戦後10年もたたないうちに 16年もの(たしか?)を売り出したのも ・・・??のタネでした。

いえ 著名な人には虚実とりまぜた伝説はツキモノです。

こんな話が巷にあれば あの会社がしゃれた文化の担い手になろうと一所懸命なのも ウンといえないことも。  アッハハ でした。

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