cokemomoさん、ありがとうございます。 簡潔でありながら、事の起こり、経緯のよくわかる一文の掲載、ありがとうございます。 一方的な書き込みが多く、残念に思っておりました。 確かに.....一般には、闘争終盤の、代理戦争と化したころの印象が強いかもしれませんが、空港建設計画の立ち上げのころからを知る者には、また、別の思いがあります。 今も無いわけではありませんが、とりわけ、高度経済成長の時代には、高速道路やダム等多くの公共工事のために立ち退きを余儀なくされたひとは少なくなかったですものね。 成田に限らず、十分な金銭的賠償があってさえ、すべてのもの(例えば農地・コミュニティなど)をお金で買うことは出来なかったにも関わらず、その金銭的補償でさえ、決して十分とは言えませんでした。 手軽に考えて、彼ら農民なら押し切れる、と踏んだ行政側の判断の誤りが、後々長く尾を引いてしまう結果を生んだのだと思います。 地元農民にとって、国にとって、一般利用者にとって、そして闘争に寄生した活動家にとってさえ、誰にとっても得になることのなかった不毛な争いとなってしまいましたよね。 高度経済成長の中で育ち、身近なひとたちの(就中私自身の実家も)そうした立ち退き・補償の問題を、長年いくつも見聞きして来た者の実感です。
ときどきClioさんへ ときどきClioさん、こんばんは。 ご覧いただいて、そしてコメントもいただいてありがとうございます。 明快で簡潔、しかも経緯を踏まえた上であえて公正な立場を意識した配慮と思いやりのある文だと思いました。 私自身はこの闘争をほとんど知らず学生の頃に学内で野ざらしになったアジ看板を目にしていた程度なのですが、このトピにある水のみ百姓だのゴネ得だといった乱暴なもの言いにひどく違和感を持っていました。でも何をどう言えばいいのかわかりませんでした。 それでこの文を目にした時に「おぉ・・これ!」と思った次第です。 今回の最高裁での判断をそれぞれの立場から複雑な気持ちで見ている人が大勢いらっしゃるのでしょうね。 私が見た看板を書いた人たちは今どんな風になっているのか。 公共の利益も大事だし一人ひとりも大事だしと考えるとキリがないし何も進まないのですが、、、 50年は長すぎるけれど「明日から滑走路作るから今日立ち退いて。逆らうなら処罰だけど?」なんて国ではなくてよかったのかもという気もします。 何かもっと書きたいような、でもまとまらないしという感じです。上の段落もとっ散らかってますね。 自分が残念すぎます!・・・また改めますね(*^^*)>