三丁目の夕陽 タイ国鉄さん 三丁目の夕陽は見ていませんが 昭和三十三年は学校を出て会社勤めが始まった年です。 朝鮮戦争が終了して戦争特需がおわり時ならぬ不景気風が吹いて学校の先輩たちはみんな就職にオタオタしていたのですが この4月から突然各社とも大量に新卒を取り始めました。 そろそろあちこちの通りの屋台店が立ち退きとなり お店が軒をならべるようになったコロです。 あちこちの町もまだまだ高層ビルの数も少なく まだまだあちこちの夕陽ケ丘や 富士見坂、富士見町からは しっかり富士山が見えました。 西陽のきつい西側の部屋の家賃はやすく 電車の線路際の西日に当たる部屋・・・が 若い人たちの定番の棲み家でした。 主流派ようよう トリス。 トリスを呑んでハワイにゆこう・・・は もう少しあとだったような。
トリスを飲んでハワイへ行こう 洋酒の壽屋(現SUNTORY)のコマーシャルですね。 土曜夜の壽屋提供「ローハイド」とその前の 「日真名氏飛び出す」?は必ず観ていました。 すぐ真っ赤になる柳原良平さんの アンクルおじさんが懐かしいですね。 私が卒業した私立小学校の初代理事長が 壽屋創業者の鳥井信治郎氏だった関係もあり 同窓会のビールは必ずサントリー キリンやアサヒに就職した卒業生は複雑な心境でしょう。 現社長も後輩のはずです。 ひょっとしたらあのビールは サントリー提供だったのかも・・・?
Re: トリスを飲んでハワイへ行こう 投稿してから、ぼうふらおじさんのキャッチコピー 「トリスを呑んでハワイに行こう」と 微妙に違うことが気になりいろいろと調べました。 いろんなサイトで表記が違い「ハワイへ」が多かったのですが、 第2代社長・佐治敬三氏(鳥井氏の次男)の講演記録にある 「トリスを飲んでハワイに行こう」 が正解でした。
出だしは合成ウイスキーかと・・・ まだまだビールは高かったので ビールにトリスを割ってのみました。 もともとあんまり強くないのですぐアンクルトリスみたいになりました 。 ビールを飲むとトリスが足されます。 帰りがけにもったいない ・・そういう時代でした、とグイーとあけるとほとんどトリス。 帰りの駅の階段(まだほとんどの駅の階段は木造でした)がつらかった・ ・・。 サントリーは 鳥居さんをひっくり返したネーミングで戦前のものとか 。 あるコースに食紅とサッカリンを足して出来たのが赤玉ポートワイン・・・というまことしやかな悪口が世上に流布しておりました。 その後ビールに各社が進出。 たしか寶酒造もビールを。 サントリーは最初 デンマークビールのさわやかな苦味・・・をと売り出したはずですが これは 36-7年では。 しゃれた ビアホールが人気でしたがビールでは苦労したようです。 このころになると開高 健、山口 瞳、柳原良平など洋酒天国の面々がみんな世に出て 肝心?の洋酒天国がもうひとつ面白くなくなったようです。 そして ダルマなる OLDの全盛期が ミニバブル・・の形で。 嗚呼 すぐ昔話になります。 いえそんなに古くない・・・ ? そういえば トリスを飲んでハワイへ行こうは 過剰賞品広告摘発第一号でポシャッたはず。