Re^2: 日本はアメリカの植民地だった? EAVOさん こんばんは 占領地か植民地かの難しい議論はわかりませんが、戦後は沖縄が返還 されるまでは、旅行に行くのにパスポートが必要だったのは事実です。 先日TVで、返還前に沖縄の選手が甲子園に出場し、甲子園の土を沖縄 に持込もうとしたところ、検疫の関係上持ち込めずに、海に捨てているのを放送していました。(視ていて、涙が出て来ました) 沖縄返還時にも、日本政府は認めていませんが、アメリカ政府が認めて いるように、返してもらったとは言え、密約があり、お金で買ったとも 言えると思います。 >ロシアは北方領土を終戦のどさくさにまぎれて不法占領して >未だに返してくれません。 この点に関しては、政府は強く返還を要求すべきだと思います。
OCCUPIED JAPAN 40-50年前、実家の柱にかかっていた掛時計に MADE IN OCCUPIED JAPAN と標示されていました。 占領下の日本製とでも訳すのでしょうか たぶん昭和25年頃の製造で SEIKOSHAと書かれていたような気もするのですが 当時はまだ「服部時計店」だったのでしょうか。 あるいは松下とPanasonicのように ブランド名だったのかも分かりません。 1週間巻きの時計で振り子と30分毎の時報の 2つのねじまきは私の仕事だったのですが 母が捨てたのかいつの間にかなくなってしまいました。
MAIDE IN OCCUPIED JAPAN タイ国鉄さん 占領下の日本では輸出用の品物には全部この表示がされていました。 進駐軍(占領軍と呼ぶべきですがなぜかこう呼んでました)の食べたあとの缶詰の空き缶で作ったブリキのオモチャが大量にアメリカに輸出されましたが これらにも全部この印字がされました。 安かろう悪るかろう・・すぐコワレルのイメージでした。 SEIKOSHA は 服部時計店の製造部門としてすでに評判は確立していました。 たしか朝鮮戦争が始まると当時の北朝鮮軍、中国人民軍が夜襲をもっぱらにするので 夜光塗料を塗った腕時計が大量に必要でその特需で精工舎やシチズンが 戦後の荒廃を切り抜けたとか・・・。 戦後かなり早くから服部時計店は銀座4丁目(昔の人は尾張町の交差点と・・・いえ私は知りませんが)のカドの時計塔で有名で 時計メイカーとしては 諏訪の精工舎・・いやここは 第2精工舎だったかな、としてもう名をなしていました。 戦争中のゼロ戦などの時計・・・人呼んで飛行時計・・にも SEIKO と あったような。 このへんは 多分 EAVO 先輩の縄張りのはず。
松下とPanasonic 松下とNational とすべきでした Panasonic は以前は 海外向けブランドだったので