コンラッドに限らず差別していたらタイの繁栄はありません コンラッドは、スクンビット通りから少し奥まっているのと、もともと高級 であることから客層も雰囲気も他のホテルとは異なります。客もきちんとし ているし、従業員もきびきびしています。ここのコーナースイートやエクゼ クティブフロアーはとても良いですよ。 本題の日本人の扱いですが、日本人団体が多いところとそうでないところと では、客慣れの仕方に違いがあるでしょう。また、団体の少ない高級ホテル でも、香港系系、台湾系、シンガポール系、中東やインド人のお金持ちが多 いホテルなどありますから、当然、慣れの問題や、言葉の通じやすさ、母国 語を喋る従業員の配置とか、個性が出てくる可能性はあります。しかし、日 本人だからどうこうというのは、バンコクではあまり聞かないような気がし ます。そもそも、どの国の人とも仲良くしてきたのが、戦争に巻き込まれな かった類い希な国の元なので。
タイと第二次世界大戦 タイは第二次世界大戦で表面上は日本と同盟関係を結んでいました。 タイに進出した日本軍はタイ政府に対して、『同盟を結ぶか死を選ぶか』を迫り同盟関係を締結しました。 タイには日本軍の基地もありました。 カンチャナブリーが分かりやすい例でしょう。 しかし、裏では連合軍と通じていました。 終戦後タイも日本との同盟関係から戦犯国として、軍事裁判の対象となるところでしたが、裏で通じていた事とアメリカと連合王国とのバランスを上手く利用して逃れました。 それ以前にタイはその優れた外交能力で、フランスから圧力を受ければ連合王国を利用して牽制し、また逆も利用して独立をまもっただけです。
確かに東アジアとアセアンで植民地にならなかったのは日本とタイのみです。 イギリスとフランスが植民地争いをしててたまたまタイは中間で双方取らなかったと今でも思っています。旧日本軍が駐留したのは確かです。カンチャナブリについては私は所謂戦争捕虜には人権なんて言うのはナンセンスと言う考えです。上部の者は命令するだけ。しかし下部者は生きるか死ぬかですからね。岡山在住の名前は忘れてしまいしたが通訳としてタイのカンチャナブリに行き終戦後、日本に帰る時に米等色々と恵んで頂き、その恩返しにと個人で基金等を作り最近カンチャナブリ名誉市民賞を頂いた方がよく読売新聞に掲載されていました。下らぬ話をしてしまい申し訳ありません。私的にはホテルの各従業員次第で客の感想が違うのでは、と思っています。