得意どころか公用語です

横レス失礼します。
戦前は日本語、戦後は中国語(北京語)は公用語ですから、皆話します。以前は年配者は日本語と台湾語のみで北京語は余りできないという方もいましたが。今も高齢者の中にはいるかも。

移住してきた対岸の福建省のびん南語を元とした台湾語は最近の若い人は聞くのはわかるが、話せない人が多くなっているので皆バイリンガルというのは以前のことのようです。

日系2世以下が両親の話す日本語は理解できるが、話すのは苦手というのと同じようです。それを思うと関西人のバイリンガルはすごいと。愛着の度合いが違うのでしょうか。まあ、英語も日本人よりは得意ですから、3つは負担なのかと。

どうも北京語で話したのが理由で別室ではない気がします。
というのもその時期も何度も台湾に行き、北京語能力維持のため入国審査も北京語でしましたが、勿論別室はなし。ビジネスで台湾を訪れる多くの日本人も北京語でしたでしょうから。

記入は 日本も基本的には繁体字で、一部が略した日本独自の国字で、相手も理解できるようなので、それを書いています。

簡体字で書いたのも、日本国内での中国語学習は大陸で使われている簡体字で行うので、それで書く人も大勢いると思います。

ですから、北京語を話したことも簡体字で記入したことも別室送りとは関係ないような気がします。あくまで想像の域ですが。

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1件のコメント

  • なるほど

    結局は入国審査官に聞いて見なくては分かりませんよね。

    2007年の夏に花蓮のホテルのビュッフェで母に日本語で話しかけてきた年配の女性の宿泊客がいました。 戦時中に日本語教育を受けた人なのでしょうね。 日本語教育をした事自体 台湾の方にとっては差別的教育だったのでしょうが、そう感じずに日本語で親しく話しかけて下さるので母は大喜びでした。

    マルコポーロ3さんは北京語もお話になるのですね。 地球の歩き方に投稿される方は博識で、数カ国語を操る方が多いので励みになります。

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    台湾人と日本語

    >日本語教育をした事自体 台湾の方にとっては差別的教育だったのでしょうが

    これはちょっと違うかも知れません。そのようにその年配の女性に聞くと、「えー、どうしてですか?」と言われたかも知れません。
    1895年から住民は清国から日本に国籍が変わったので、日本語教育をしなかったら、台湾の方は台湾語しかできず、同じ日本人なのに、本土の日本人と格差がついてしまいますから逆に差別になってしまいます。

    ただ、急に国籍が変わり、公用語として日本語を覚えなければならなかったのは大変だったでしょうね。
    そのころ生まれた方は国民学校(小学校)から日本語を学ぶので自然に覚えたでしょうが。

    もっとも日本語が日本人と変わらずに話せても、朝鮮や台湾など外地の住民は同じ日本人でも2等国民扱いだったようでそういう意味の差別はあったようです。

    50年後には今度は大日本帝国から中華民国に国籍が変わり、公用語として北京語を覚えなくてはならなくなり、台湾語とは外国語くらい違う(文字は同じですが)ので、これまた大変だったようです。

    我々が明日から北京語を使うように言われたのと同じですから。

    この日本領だった50年を挟んで生きた世代は台湾語→日本語→北京語と2回も公用語が言葉が変わったのでもっと大変だったかと。

    日本語ができたということは日本領だった時代に生まれて日本語を習った世代だったかと。

    台湾の国語(北京語)と大陸の普通話(共通語)は英語と米語くらいの違いはありますが、ほぼ同じです。

    私はドイツ語と中国語を覚えましたので旧ハプスブルク帝国(オーストリア、東欧)と台湾・中国が専門でほぼ同じくらいの割合で旅しています。
    前者は最近まで東欧の共通語で後者は香港、マカオ、シンガポール、マレーシアでも通じ、沢山の国の言葉を覚えずに済むからです。