またまた失礼

ブルガリアって、書いてますね。ルーマニアのつもりでブルガリアに脳内置換されていたようです。度々、すみません。

>フセインはだらしがない米軍に引き出される前に、自殺すべきだったと言っていました。

それができれば、腐敗政治は執り行わなかったはず。アサハラショウコウみたいなもんですね。ホリエモンも同じ道を辿るのか。

幕末の旗手(=なお、私の曾祖父も長州藩士でその一人!帯刀姿の「写真」が残ってます)が20~30代の若者が中心に行われ、明治新政府に至らしめた事は、いくら寿命が80余年に伸びた現代より、人の一生が短期だったとはいえ、現代の20~30代は足下にも及ばない、考えられない大きな画期的な事を日本人は果たたんだなと誇らしく思いますね。殊にその後のわけのわからない左翼活動へと導いた、70年代における大学紛争などと比べれば、雲泥の差です。

ただ、他国の近代革命とは違って、最後の将軍、徳川慶喜自体が、かなり欧米向きな、新しい斬新な視点をもった人物だったらしいことが伝えられてます。立場上こそ、表だった活動はしてないにしても強く否定はしない、みたいな後方支援が、全体的な事情とうまくからみあって、明治維新が迎えられたのではないかとおもってます。

  • いいね! 0
  • コメント 1件

1件のコメント

  • 06/02/26 15:22

    すごいですね

    先祖が長州藩士とは私のように勤皇派ファンとしては羨ましいです。

    今15代将軍が欄干に書いた日本橋が高速道路の下になり小泉さんが上をどかすように言っていますね。
    最後が水戸藩出身だったのが大きな内乱にならなくて良かったです。
    光圀が言った徳川宗家よりも皇室を上に置く考えを徳川慶喜が守ったのが、良かったです。

    私の部屋には京都で買って来た木戸孝允の桂小五郎時代の大きな写真が壁に貼ってあります。
    男から見ても皆さんの好きなイケメンで格好が良いです。
    萩と山口などは歩いてゆっくり見ました。

    • いいね! 0
    • コメント 1件

    日本橋

    日本橋(橋そのものの方)再生は、これまで何年かの間、ちらほら小さいベースでは議論があったようで、バブル崩壊後の数年は、日本のシンボルたる日本橋が首都高の陰に隠れている事が、日本経済の悪いカルマになってる、みたいな話まで言ってくる人もいました。たしかに、あれは日本の象徴の一つとして、見栄えが悪すぎだし、日本橋エリアに陰気な雰囲気を醸し出していましたからね。

    ここに来て、大きな流れになったのは、三菱地所の丸の内大規模再開発に脅威をかんじた、日本橋を根城とする旧三井財閥系と、地元の旦那衆が結託した事が大きかったみたいですね。そこに、目立つ改革大好き小泉首相が便乗したという図式と理解していますが、いずれにしろ首相の鶴の一声は大きいので、この部分のみ、彼を評価したいと思ってます。

    私が思うに、呉服橋から箱崎までは、箱崎渋滞の大きな一因なので、全面的に廃止しちゃえばいいとおもうのですが。その分、永代通りがこれ以上混んだら、困るけど。

    一方、イシハラ都知事は、これをうけて、首都高移設は巨額の負担がかかるので、日本橋自体を、他の川へ移設すればいいじゃないか、と言っているようです。それをやられては、日本橋の旦那衆にとっては、元も子もないし、他の橋ならいいとしても。日本橋は、日本の歴史の一環として、今そこに掛けられている訳だから、日本橋移設案は、都民その他の共感を得られそうもないですね。第一、移設するような川なんか、東京は運河を潰しまくってヒートアイランド化加速させてる位なので、ないでしょ。

    先日、うちにある史料を整理していたら、曾祖父は「鳥羽伏見の戦い」に参戦したという記録がありました。私は日本史関係はあまり詳しくないので、これ以上の事はよくわからないのですが、父も、そういう事情あってか明治維新オタクで、萩あたりの地域的な資料や、維新関係の史料を自分で集めてたんですね。

    • いいね! 0
    • コメント 0件