ホァランポーン駅前のGH<追加その2>

部屋の広さを書き忘れました。約10帖大(もっと広いかも)で、Wベッドですが2人で泊まっても大丈夫な広さ。<これに比べるとドンムァン駅近くの6帖、窓なし、マットレス以外何にもなしで800BのGHはあまりにも高すぎる「空港料金」!>

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1件のコメント

  • 退会ユーザ @*******
    06/02/02 11:39

    タイ鉄道の完乗

     タイ国鉄 さん、レポートを興味深く拝読しました。さらに、プロフィールも拝見しました。タイ鉄道(民営化されたので、こう呼びます)完乗の同好の士を得て、心強い限りです。もともとのトピックとは離れますが、ここに投稿いたします。

     タイ鉄道完乗で大変なのは、夜行って、翌朝戻ってくる路線があることですね。引越のためタイの鉄道に関する資料を全部日本へ送ってしまったので、記述がもどかしいですが、ホアランポーンを夕方出て南本線の支線へ入るのがひとつ、スラータニーからの支線がもうひとつ、これに該当します。

     前者は、バスでバンコクまで戻って来られそうなので何とでもなるとして、問題は後者です。終着駅付近に、宿泊施設があるとは思えません。この辺をどう対応されたのか、教えていただけると助かります。よろしくお願いします。

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    Re: タイ鉄道の完乗

    ochocientosさん、初めまして。レスポンスありがとうございました。
    「完乗の同好の士を得て、心強い限り」なのはこちらのほうです。あとどのくらい残されているのでしょうか?
    スラータニーからの支線とはキリラッタニコム線のことですね。私が乗り残している最後の31kmとはまさにそこなのです。
    タイ国鉄の件ですが、JRのことを家族の前で時々はわざと"国鉄"といってみたりして郷愁に浸る頑固親父です。JNRがJRになったときには殆ど一夜にして看板や各種表示がかわったのだと思いますが、タイではSRT(State Railway of Thailand)ではなく未だにRRT(Royal Railway of Thailand)のままの貨車やゴミ箱がそこら中に残っていて、書き換える気があるのかな? と思ってしまいます。
    ニックネームを決める際、SRTにしようかと迷ったのですが、一般の方にも分かりやすい"国鉄"にした次第です。ただ間違った知識を広める結果になりかねないので、再考しようかとも思っています。
    南本線の支線へ入るるのがひとつとは、おそらくガンタンかまたはナコーンシータマラートしかありませんが、私は記録が目的ではなく(一時そんなときもあり昼間にとんぼ返りで往復して距離を稼いだりしたこともありましたが)車内や停車駅で弁当や果物を買ったり、乗客や沿線風景を眺めたり本をよみながらゆっくりと鉄道の旅を楽しむことにしていますので、終点で1泊し同じルートで戻ることを基本にしています。
    なぜならその街を体感したいし、到着が夜になることもあるので逆コースで車窓風景や乗客も観察したいからです。だから3等車が基本で長距離の場合はやむなく2等寝台(できればa/cなし)の下段にしますが、スンガイコーロックへ往復したときは寝台も2等座席も売り切れで往復とも20時間ほど3等座席で揺られた2泊3日の旅(日程の都合で現地泊できず)は少し辛かったです。
    ガンタンへはBKKから直通夜行で行き、帰りはトランで途中下車、次の夜行で戻りました。ナコーンシータマラートも同じく夜行で直行し翌朝のスンガイコーロック行に乗ってマレーシアへ徒歩で入り、コタバルからKLへマレー鉄道に乗りました。
    こうして書き連ねているときりがないのでご質問の件ですが、私がバイブルとしているその名もズバリ「タイ鉄道旅行」(岡本和之・めこん・93/11初版)によると"究極のローカル線"で、私もあえて最後まで残していたわけではなく面倒なところは早く済まそうと思っていたのですが、結果的に最後になってしまいました。岡本氏の紀行文は次のとおりです。乗車時期は不明だが90年頃ではないかと推測されます。
    HAT YAIから鈍行で14時頃スラタニへ行き17:05発の1日1本しかない列車に乗り18:10着(いずれも定刻より10分延)、スラタニ駅員に「終点には宿がないので駅近くの国鉄職員宿舎に泊まったら」とアドバイスされたが、車内で出会った男子高校生に「自宅に泊めてあげる」といわれた。駅前にモトサイが数台待機しており、高校生が「15km離れた国道まで行くと16:30のスラタニ行き最終バスがある」と聞いてくれたので、それで戻ることにしたがバイクは真っ暗闇の中を100km近いスピードで飛ばしてギリギリに着き、しばらくしてバスはやって来た。それまでモトサイの青年は待ってくれており「バスが来なかったら俺の家に泊まれよ」と言ってくれた。
    たいへん長文になり申し訳ありません。以上ですが答になりましたでしょうか、あまりお役に立たなかったのではないかと思いますがご容赦ください。