Re: Re: ゴールデン・ギャラクシー?

アップル・キッドさん、こんにちわ!

そうですか、キッドさんのギャラクシーは白でしたか。。それでは残念ですが僕の思い違いのようでした@失礼しました!75年頃の当時いつも真っ黒なサングラスをかけて金色のギャラクシーに乗っていた、みんなから月光仮面と呼ばれていたエバンスでの友達がいたので、もしかしたらそうかなと思った次第です。

僕は勿論旅もするのですが、基本的にはどこか一か所に住むのが好きで、今までに様々なところに住んできたのですが、何が嫌やかと言うと知りあった人たちとの別れなんです。せっかく仲良くなったのに海外だとヴィザの問題とかその他の理由で別れを余儀なくされてしまい、しかも余程の事がない限りその人たちとは2度と会えないのが現実かと思います。なのである時点から別れが嫌でもう旅をするのを辞めてしまったし、誰かと知り合いになっても出来るだけ浅い付き合いで済ませるようになってしまったんです。。でも今の時代ならメールも携帯もネットもあるからその気になれば連絡は取り続けられますね?!でも昔は紙に書かれた知らない住所と電話番号しか残らなかったので再会は無かったですよね?特に相手がオンドゥラスとかニカラグアとかウルグアイへ帰って行く連中だとそれが多分今生の別れになるのが分っていたから辛かった事を覚えていますし、例え同じ日本人どうしでも広島とか四国とかへ帰ってしまえばやはりもうほとんど再会出来ないので、海外で知り合った連中と分れる時はある意味毎回今生の別れだと思っていました。もう少し早くネットや携帯があればそんな気持ちにならずに済んだのでしょうが75年と言えばファックスすらなかったし電話はすべて固定だし(当時アメリカでアンサリング・マシーンを初めて知って驚きました:)みんなどこでも暇さえあれば手紙を書いていましたよね?!

マリポサ、懐かしいですね~!フリーウェイの出口もありましたよね?僕が住んでいたホバートのアパートもワン・ベッド・ルームのファーニッシュドで、プールがあって同じ金額の180ドルでした。で、いろんな連中が出入りしていたのでやはりキッドさんと似たような生活をしていたのかもです:)LAではそれ以外にもガーディナに住んでいた時期もあってレドンド・ビーチ・ブルバードの明治屋とかその周りの日系人がやっているお店があまりにも充実していてカリフォルニアで日本の生活が出来る事に驚いた記憶があります:)

ラビング・ユーはミニ・リパートンですね!( http://www.youtube.com/watch?v=94nDCm4NqIA )彼女はスティービー・ワンダーの協力でこの曲を75年に世に送り出していますが76年に癌に侵されている事が分り懸命の治療もむなしく79年に31歳の若さで他界しています。。確か当時のカーター大統領が哀悼の意を表した気がします。。短い人生でしたがでもこんなに美しい曲を世の中に残せたのは幸いですね。。

それにしてもアメリカはラジオが発達していてキッドさんが言うようにヘビー・ローテーションでこれでもかと云うくらいに何度も何度もかけるから、誰が歌っているのか知らないのに知らない間に曲を覚えてしまいますよね?!で、それらがスタンダードになっていき、その時代の産物として歴史に刻まれる。。。大統領選挙なんかもそうですが、本当に良いものしか残らないように出来ているアメリカの素晴らしいシステムですよね?!日本もそう云ったところを学べば良いと思いますが、でもこう云う事は住まないと理解出来ないのかも。

ところでキッドさんのアパートに同居していた未成年の方もエバンスに通っていたんですか?だとしたら僕はその人を知っているかも。エバンスで未成年だったのは確か僕を入れて2人しかいなかったので。。でも名前は忘れてしまいました!

とりあえずはそんな感じですね~。当時のエバンスは確か全校生徒で1500人くらいいて、その内の3分の1くらいが日本から来た人たちだったので、少なくても5~600人の日本人がいたような気がしますがネット上でもほとんど見かけないですね?それにネット上で1970年代の話が出来る人があまりいない気がするのですが、これはやはり我々がオールド・スクールの出身で当時の人たち(団塊の世代?)はコンピューターとかいじらないって事なんでしょうかね?!

何はともあれeお話しに付き合ってくれている事に感謝しています!

それではまたです@良い日曜日をお過ごし下さいv(^_^)v












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1件のコメント

  • ありがとう!! Minnie Riperton

    未成年さん こんばんは
     
    いやー参りました、いっきに40年近く時間が戻りました。本当にありがとうございます。
    この曲は、日本でも何度か聞いてはいましたが、映像を見るのは初めてでした。
    ていうかMinnieを見るのもこれがはじめてだったのですが、何故か壁ラジオの光景がしっかりと蘇ってきて思わず鼻の奥の方がツーンとしてきました。不思議ですね。

    私はLAに2年間だけ生活をしただけでした。未成年さんは、海外の滞在経験が多くて羨ましいですね。
    そして、私たちのこの経験は絶対に失うことのない財産ですね。

    私のルームメイトは、エバンスです。 広島カープの大ファンで彼がLAに来た年に初優勝をしてその瞬間が見られなくてと悔しがっていました。私の帰国のあと彼は、PCCに入った日本人とパサディナで暮らしていました。
    私の白いギャラクシーと一緒に。

    マリポサからエバンスまでは、サンセットで 授業のあとサンペドロより少し東の工業団地みたいな所でバイトをして帰りは、多分テンプルからグランドそこから101でホバートの近くのセラーノを通りサンセット マリポサでしたね。セラーノにはリトル東京のモダンフードでバイトをしていた友人が住んでいました。
    バイトといえば、当時イミグレの摘発がよくありましたね。私は、日本の印刷機械のメーカーの現地法人でしたのでほとんどその心配はありませんでしたが、隣の縫製工場などはモスグリーンのAMCのマタドールがしばらく止まっていた(内偵していた)翌日工場が閉鎖されていました。

    未成年さんというより今は、未還暦さんですね。しかしパソコンを自由自在に扱い大したものです。
    私の世代は、詳しい人はとてつもなくマニアックですがほとんどは、見るだけ、買うだけ、バンキングだけが
    せいぜいですね。

    人生の中での出会い別れは、いつの世も辛いものです。英語の辞書にクラスの皆から名前を書いてもらいましたが
    今はそれが少し読みにくくなっています。時間はある意味残酷なものですね。
    当時のエバンスのクラスメートで、一人だけ数年ごとにあっている人がいるんですよ。
    麻雀の時、唐辛子のおにぎりを作ってくれたメキシコの子です。日本に住んでいるので。
    今、エバンスを語れるのは、彼女と未成年さんだけですね。
    では
    BY APPLE KID


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    70年代のLAのフリーウェイ!

    キッドさん、こんにちわ!

    音楽は不思議なもので、若い頃に聴いていた音楽を歳をとってから聴くと、当時の記憶が鮮明に蘇ってきて、気持ちまで若返りますよね!?なので僕は70年代のアメリカのラジオから流れていた音楽が大好きですv(^_^)v

    キッドさんは74年から76年までロスアンジェルスに住んでいて、潰れる直前のエアー・サイアム@ホノルルで2時間の給油、で帰国したんですね?!帰国してからは直ぐに日本になじめましたか?行きも帰りも羽田ですよね?!考えてみれば当時は日本から海外へ飛び立つ国際空港は羽田しかなかったから地方に住んでいる人はみんな一度東京まで出てきてそれから海外へ行ったんですね。。しかも日本からアメリカへ行くのにコレラとかの伝染病の注射もしなくてはならず注射をしたと云う証明書のイエローカードをパスポートに添付したんですよね?!で、羽田ではノボリを持った人が万歳三唱をしたり飛行機に乗る前の待合い場所には「別れの窓」とかあったりしてまさに空前絶後な時代でしたよね:)そう考えると今の日本は随分と良い時代になりましたね@多分:)

    キッドさんのLAの道の話は現地で車に乗っていた人にしか分らない、でも乗っていた人には手に取るように分る懐かしいお話で大好きです!僕もエバンスまではサンセットでのんびりとフィギュロアまで走って行き、坂道を上ったところのエバンスの駐車場に停めて、学校が終わるとリトル東京の先の工業団地みたなところにあったお豆腐屋さんの工場で働いていた友人に会いにいったり、リトル東京の大丸ホテルに滞在していた女の子の友達のところへ行ったりしていました。でも当時のリトル東京は本当に大正時代の東京?とでも言った風情で、日系人の歴史を深く感じる街でしたよね?イミグレのグリーンのマタドール、懐かしいっす:)で、帰りはキッドさんと同様にテンプルからグランド、そこから101に乗っかって僕はバーモントで降りて、サンセットを左折してアパートに戻っていました:)ところで過日YouTubeを見ていて見つけたのですが75年に8ミリフィルムで撮影をしたLAのフリーウェイの映像があったので↓に記しますね。8ミリだから音は入っていませんがキッドさんなら楽しんでもらえるかも:)

    http://www.youtube.com/watch?v=w9wpmYam56Q

    未還暦ですか:)気持ちは今でも若いつもりですが、確かにもうすぐ還暦ですね。。キッドさんはもしかして団塊の世代ですか?日本は良くも悪くも団塊の世代がつねに時代を引っ張って行った気がしますが、そんな人たちがみんな定年を迎えてしまうこれから先はどうなってしまうんでしょうね?今の若い世代の人たちにも夢と希望とパワーをあげたいです!

    英語の辞書にクラスのみんなからサインをもらったんですか?良いアイディアだと思うし今となっては貴重な宝物ですね!?長い間旅や人生をやっていると本当に様々な人たちと出会いますが、全てはモーメントだからそう云った思い出と言うか証拠があると良いですね。さもないと全てが幻のような気がしてしまいますね:)エバンスの時代からの友達がいるのもとても大切な宝ものですね、どうか大切にして下さい。

    それではまたです。僕は実は現在失業中なのでこんなに長いメールを頻繁に書いていますが、察するにキッドさんは定年直前の最後のご奉公の最中だと思いますので、返信はのんびりで全く問題ありません。ぼくの人生は極楽トンボと言うかアリとキリギリスのキリギリスのようなものなのでこの歳になって焦ったり困ったりしていますが、でも今まで旅に出る度に何十回となく会社を辞めてきたので失業には慣れているし:)人生の最終章もきっとこのまんまなんだろうなぁとか思っています。その昔アメリカから帰国してからどうしても日本の生活になじめなかった時に東南アジア経由でネパールまで旅した時があるのですが、その時にチケットを購入したのが当時まだ新宿の薄汚いビルの一室で商売をしていたHISで、社長の澤田さんが直接チケットの面倒をみてくれましたが、今朝テレビを見ていたらそのHISが立派なコマーシャルをやっていて思わず人生様々だよなぁとかひとりで感慨にふけっていました:)20代、30代の頃、間違いなくあいつは出世するよなぁとか思っていた奴も40代でころんだり失敗したりして消えていったり、その逆もあったりで人生は本当に最後まで分からないですよね?!なので出来たらあまり欲はかかずにLAのメキシカンのようにその時その時を楽しめたら最高かなとか最近は自分に言い聞かせています:)

    それでは切りがないのでこの辺で止めます。

    ハバ・ナイス・デ~v(^_^)v