アンカレッジ経由

私が初めて外国に行ったのは西ドイツでしたが、その時からアンカレッジ経由だったのを覚えています。
ヨーロッパ、北米東海岸、南米行きは全部アンカレッジ経由だったので大変繁盛していましたね。
日本航空の南米行きがアンカレッジ、ニューヨーク、サンファンを経由してリオデジャネイロ行きだった事。
日本人移民が圧倒的に多いサンパウロになったのは大分あとの事でした。


後に出来た日本航空のサンパウロ行きはDC-8でしたが、ロサンゼルスからマイアミを経由してサンパウロ、
そのサンパウロも現在のグアルーリョスではなく、新サンパウロ空港として建設されたヴィラコッポスでした。
サンパウロから100km内陸のカンピーナスに建設された為、大都市ではない原っぱに着陸でした。
グアルーリョスが出来てからは貨物便専用空港になってましたが、最近は新興航空会社のAZULの本拠地に。
AZULの社長はブラジル人で、米国のジェットブルーの創設者でもあります。


日本の海外旅行促進計画のテンミリオン計画でしたか1000万人を海外旅行に!
という元年にVARIG航空でサンパウロに向かう時、成田空港は大混雑で足の踏み場もないほど、
だけどサンパウロ・コンゴーニャス空港に到着したのは喧騒が嘘の様なたった10人、
懐かしいバックパッカー時代の思い出です。


そのVARIG航空の日本発最終便に約束通りファーストクラスでサンパウロまで行けて良かった。
太平洋と大西洋、2つの海を越えるのはVARIGと決めていましたから。
でも、倒産してしまった。
当時のVARIGグッズを沢山持ってるので思い出だけ健在ですが。


南米移民船は、あるぜんちな丸、ぶらじる丸、あふりか丸、らぷらた丸、などが主流でしたね。
今でも同船者同士の結託は凄いですもの。
神戸に在る海外移住と文化の交流センター(旧神戸移住センター)に資料が展示されています。
http://www.kobe-center.jp/index.html
ここの建物も数年前までは凄く恐ろしい感じでしたが整備されて博物館風に。


ここから鯉川筋を真っ直ぐ下りたところから最初の移民船「かさと丸」は出港したのだとか。
メリケンパークにモニュメントが残されています。
ブラジルからの観光ツアーはメリケンパークには来ますけど移住センターはスルーです。
自分の先祖の苦しみを知らない方が親切だとかで。


移民の歴史は沢山勉強したけど、日本とブラジル、どちらが暮らし易いか?
日本は生まれ育った国で別段努力も必要ないけどなんとなく生きて行ける。
ブラジルは言葉も生活様式も全然違うので飛び込むにしても努力が必要、
でも気楽に生きれるのは圧倒的にブラジルに軍配が上がるので、
気が付けば私もブラジル移民になってました。
まだ行ったり来たりフラフラしてますけど。


  • いいね! 0
  • コメント 2件

2件のコメント

  • 退会ユーザ @*******
    12/11/05 19:43

    Re: アンカレッジ経由

    私の初めての海外は、モスクワでワンストップ(給油?)、パリ乗り継ぎのアフリカでした。当時、ソ連上空フライト時は「窓を閉めて、下を見てはいけません!」とJAL乗務員に言われました。またモスクワの2Fのトランジットルームで下の一般乗客のいるエリアを見たら、マシンガンを持った兵士が警備をしていました。今はこんなところ無いでしょうね。帰りは、アンカレッジ経由でしたので、初アメリカはアンカレッジ!
      今夏、ヘルシンキに飛んだ時、最短距離は中国上空を飛んで一直線!と思っていましたが、帰ってからハンディーGPSの軌跡を見たら、日本から北上、中国の領土上空を避けてかなり大回りをして飛んでいました。「下を見るな!」が有ったが、「上空を飛ぶな!」も有るのかなと ふと思った。

    • いいね! 0
    • コメント 1件

    Re: Re: アンカレッジ経由

    モスクワでワンストップしてたのは今は無きイベリア航空でしたが、マドリッド経由でサンパウロへ行く一番安い航空会社でした。
    あの当時、米国経由ブラジルが一般的でしたが欧州経由を試験的に飛ばしてみて結局エコノミーは十数人、ビジネスクラスは1人だけの結果となったみたいです。


    ヘルシンキ経由は中途半端に最短距離で寝るも起きるも半端な時間配分しか出来ませんでした。
    リジュボア行きが大幅ディレイで待ち時間を過ごすラウンジも貧弱でアキマセンね~。


    一番スリル満点だったのはイラクがややこしい時期のカタール航空で、ドーハにアプローチ中から着陸間際まで十数機の戦闘機に誘導されていたこと、それについて質問していたら機長から、それ以上訊くと警察に突き出すぞ!、と言われてビビった。

    • いいね! 0
    • コメント 0件
  • 退会ユーザ @*******
    12/11/04 12:10

    懐かしいですね

    西ドイツ、今となっては懐かしく聞こえますね
    昔から地図と時刻表を見るのが好きでして
    日本からロス、日本からNYの飛行時間が
    2時間ほどしか変わらない、間違えだろう
    と思って調べてみると、北周り、ああなるほどな
    そう思ったのを覚えています。


    10年程前、何かの記事で読んだのですが「ボワッチ」
    人種の壁が低く、日本人でも楽しく遊べるパラダイス
    なんだかそんな事が書かれており、一時期ブラジル行き
    を真剣に検討していました。結局、治安が悪いとの事で
    断念しましたが...



    小学生の修学旅行で行った伊勢、そのコースにブラジル丸
    見学が入っていました。移民船はブラジル丸のみだと思って
    いました


    >今でも同船者同士の結託は凄いですもの。
    これって派閥みたいになってるのですか?


    私が5年間住んでいたハワイにも日系人が多く、白人のアメリカ人が
    ハワイは日系人が力を持っているので、白人はやりにくいとぼやいて
    いました。日系人の中でも○○県人会などと細分化されていて、争う
    ことはありませんがグループを形成していましたね


    私が日本でお世話になっていた業界は、現在青息吐息です
    大手は巨額の赤字を計上しており、この先どうなることやら
    現在は日本を離れ、タイで暮らしておりますが、


    気楽に生きれるのは圧倒的にタイに軍配が上がるので、
    気が付けば私もタイ移民になってました(^^)

    • いいね! 0
    • コメント 1件

    派閥じゃないですが

    同船者同士、元気で頑張ってるか?、と時々集まる習慣があります。
    船で移民してた時代の名残で仄々しますね。
    飛行機移民に変わってからは結び付きも希薄になって新人類移民みたいな感じになりました。
    先輩移民の背中を見て、その偉大さに圧倒される日々でもあります。


    県人会は全ての県で存在します。
    東日本大震災の義援金だって台湾に次いで2番目に多かったんでしょう。
    私は大阪なにわ会、兵庫県人会、鹿児島県人会でお世話になっていますが、
    アミーゴが県連会長になって以降、県単位などではなく広く日本人全体を眺める目を持った
    新しい移民になれ!、と言われている感じがして、
    日本人社会全体に貢献できるよう頑張ろうと思ってます。


    ボアッチは今でもありますが、売春主体であったり単に会話するだけであったり、
    店によって色々で、会話主体の店では女子医大生の学費稼ぎの場だったりして楽しいですよ。
    いかがわしい目線ではなく、未来の大先生を仰ぐ目線にすると尊敬を持って会話出来ますしね。


    ブラジルの治安を言われる方が非常に多いのが不思議で、
    私なんかはもうちょっとで30回訪伯ですが危険な目は1回もありません。
    怖い目は300kmガソリンスタンドが無く満タンが如何に重要かを知ったぐらいで。


    日本人移民の歴史なんて100年チョイですが、ポルトガル人なんて500年を越えていますからね。
    国をコントロールする側の目線に立てば更に大きな視線で眺める事が出来ます。
    元々住んでいた原住民からも医学的方面で学ぶ事が多々あります。


    タイ国には1ヶ月前に行きましたが、バンコクだけしか行ってないです。
    地方は素晴らしい事は聞かされていますので、次回訪日の際に訪れてみようかと思っています。
    バンコクはパラグアイ・シウダーデルエステに似てイマイチ好きにはなれませんでした。