Re: 海外旅行の今昔 「様変わりしたこと」と「変わらぬもの」

昔「水杯」「海外旅行のための送別会」「お餞別」「高価なお土産」・

今「水杯はなし」「海外旅行のための送別会」「だれもお餞別などよこさない」「当然お土産は現地のラーメン程度」

変わりないのは水平飛行になったとき●●(国内産でない)のビールを飲んだときに、「あ~~~今年もやりくりして何とか家族で(今は夫婦だけになったけど)海外旅行にいけたな~~~」とほっとすること。

成功を祈る!


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1件のコメント

  • 退会ユーザ @*******
    12/11/04 00:48

    餞別と土産の文化

    さすけねえさん こんばんは

    「餞別」くれた人に、それなりの「土産」!
    そんな文化、ありました、ありました。
    「水杯」は、横浜港からサンフランシスコ港へみたいな「洋行」時代だと思ってましたよ。

    >「あ~~~今年もやりくりして何とか家族で(今は夫婦だけになったけど)海外旅行にいけたな~~~」
    そうですねえ。
    しみじみと幸せです。

    では!

    というか、農協のツアーって、米と交換だったのか!
    そんなカラクリがあったとはねえ。

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    パンと小麦の交換が出来た時代

    さすけねえの町内は今はシャッター通りを過ぎて普通の民家が並んでいますが、昔はシャッター通り、大昔商店街でした。

    そのにあったパンやさんは農家の人が小麦を持ってきてパンと交換していたのです。

    いまでは考えられない物々交換ができるパン屋でした。

    しかし、大手牛丼屋の店舗ができ、10階建てのマンションが出来、田んぼが1枚も無くなる畑も1枚もありません、さすけねえ家の畑も駐車場(それでも20年前か)に。

    子どもの頃は農家の人が耕して下肥の残りを自宅に持っていったのですよ。

    野菜は食べる分だけ置いて行きました。

    ここに以前カキコした「オオヤマタカミチ」という子どもがさすけねえの家の肥溜めに落ちて井戸(今は全く使いませんが物置の床下に残っています)で肥を流したのです真冬にですよ。

    近所の病院の畑今では駐車場ですが、ここも入院患者の下肥で耕していたのです。

    成功を祈る!