ハイデルベルクの血の闘争

ハイデルベルクは、とりあえずこの百年はプロテスタントの方が優勢で、そのために11月1日のハロウィン(万聖節)が「死の日曜」として、待降節直前の、教会歴最後の日曜、つまり11月末にずれこんでしまっている。だから、ふつうならクリスマスマーケットが開く、その週末が絶対的な休みにならざるをえない。そこで、これを避けるために、クリスマスマーケットの方が前のめりで開くことになった。

こぎれいな観光地、ドイツ最古の大学町、なんて言っているが、この街は、カトリックとプロテスタントの主戦場で、城がぶっ壊されたのも、英仏の面倒な国際紛争に巻き込まれたから。あの広場も、いまでこそ市庁舎前だが、当時は魔女裁判の中心地で、何十人もが焼き殺された。半世紀前の戦時中も、ナチスが荒れ狂い、ユダヤ人の教員や学生の追放迫害がもっともひどかった街の一つ。

良くも悪くも権威的な大学があるということが、若い連中の血なまぐさいイデオロギー闘争の中心になることを意味している。あの街を訪れるなら、そんな歴史の裏側もすこしは学んで、肌で感じ取ってみよう。

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