氷河急行、ウインナワルツアー、セッテベロ? 昔話・・・

タマゴタマゴさん

今の食堂車は何となくきれいにはなっていますがどうしても雰囲気がありません。そこへ行くと時々イベントがらみで引っ張り出されるレトロな食堂車は座っているだけで嬉しくなります。

いまのピカピカの氷河急行ではなくて新フルカトンネルが開通してすぐの頃アンデルマットからツエルマット間で乗ったときに、古いタイプの食堂車に乗りました。すでに遅い昼もほとんど終わりで最後の予約客の呼び出しに来た係員にこれからで食事が出来るかと聞いたら食堂車はブリーグで切り離しだから、忙しいぞ・・とのこと。それでもと言ったら聞いてくると言った後、すぐ迎えに来て食堂車に行きました。

それでも確かデザートまで食べました。名物の頭の高さから細いグラスに注ぐシュナップスの曲注ぎも見せてくれましたし、旧フルカルートではチャンと傾いている意味があったんだと、これも名物のリーニンググラスを取り出してくれたり(記念につい買いました)。 全部木製の雰囲気のある食堂車でした。

その後・・・定かではありませんが、チューリヒからウイーンまでの夜行列車、その名もウインナワルツアーに乗りました。名前につられたのですが、これも旧式な寝台車・・・でした。ただ当時は夜行列車はなぜか泥棒が多く、食堂車へ行くのに誰か留守番をしないと・・という有様でした。まだコンパートメントスタイルの座席の車両がほとんどで、泥棒は笑気ガス・・を鍵穴から噴射して侵入、荷物も懐もあさるのが常習でした。
つまり怖いので食堂車でも食事が終わったらすぐ戻って、そのせっかくの寝台車でも誰かが起きている始末。
 
もちろん若い小生などはたいていはこの留守番寝ずの番役でした。

セッテベロ・・これは比較的後です。グリンデルワルドからツエルマットへ移動する際、今では旧線なってしまったBLS線の乗ったらこれがミラノ行きの急行で食堂車が付いていました。といっても一両の半分がテーブル式、半分がブッフェ式の当時で言う新型(言い換えれば現代式の)でした。 ちょうどカンデルシュテークからトンネルを抜けローヌの谷を見下ろしながらというほぼ1時間少々を、ベルナープラッテ(スイス式肉おでん?)と白ワインで楽しみました。

でもその後何回かこのルートを抜けましたが、食堂車が付いていたのはこのときだけでした。もちろんビュフェスタイル+バー車両はありますが。 今ではトンネルで一気に時間短縮ですのでそれすら無い・・ようです。

まあ長距離とはいえ乗車時間が短くなっていますので仕方がありませんが・・・。

昔話でした。 

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1件のコメント

  • 読んでて

    何故か乗車経験の無いアッシにも
    行間から漂うノスタルジ~感じちゃいます。

    そっか、昔の客車(食堂車も寝台車も)は
    現在の何でも高速化とは違いそれ独特の味わいがあったんすね・・・。
    何だか羨ましい~!(車内の盗難は困るっすが)
    この思い出は貴重な宝物っすね。

    スイスの傾いたワイングラス!これも有名ですもんね。

    内装が木目の客車も素敵でしょうね・・・ああ、乗ってみたかった!

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    思い出した事・・余談です。

    タマゴタマゴさん

    そういえば、この食堂車の全盛時代・・・、あっ終焉の頃もですが、ヨーロッパの主要列車のほとんどが一本の編成に細切れ(といっても数両毎に)で行く先の違う列車がつながっていました。何しろ長い長い編成です。 

    夜行列車ともなると食堂車の帰りなどはまだかと思うほど他の車両を通り抜けました。

    ですからたぶん食堂車専門の会社も成り立っていたのかもしれません。その後空路の発達で長距離列車が廃れ。都市間急行(ICおよびICE)になって急速に廃れたのかもしれません。

    つまりそれ以前はお金持ち要の寝台車と東欧圏からの出稼ぎ車両とが一緒に走っていたんでしょう。

    そういえば海外旅行が自由化されてすぐの頃、ツアー(けっこう高額でしたね)客のお年寄りが長距離列車で行方不明と言う事件がありました。 どうも夜間に他の車両へ移動している間に編成が切り離されて多方面へ行ってしまったためのようです。

    たしか行方不明のまま・・だったような。

    そういえばフルカ鉄道の復活路線で100年以上前の客車に乗りました。まだ窓ガラスではなく、窓をとめるのも皮ひも・・つまり金具じゃない・・・。あの路線はそんな妙な客車も走らせています。

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