ガイドブックの無い旅 人それぞれに、旅の目的、楽しみ方が違っていて、「ここ」と場所を 他人様には申し上げにくいです。 ただ旅の手段、方法としてあえて言えば、既存の「ガイドブック」や 「旅行記」、「案内本」のない場所へ、自分で調べて放浪と滞在を 繰りかえすのが、人生でも旅の醍醐味だろうと思っています。 旅で苦しむ、「旅に病んで夢は枯れ野を、、」も記憶に残りますしね。 予期せぬ発見もあって楽しいですよ。 知らない町の異なったざわめきも、、、 サハラの砂漠でラクダに逃げられ、遭難した青年も、 高い虚空でサンテクジュベリは死を前になにを思ったか、どこへ行きたい、 というよりも、これまで印象と記憶の強かった旅先の情景を思い出して、 もう一度行きたい、と思うくらいが限界です。歌の文句じゃないけれど 「もう一度、もう一度あなたに会いたい」です。 「生きてかえらぬ死出の旅」というのもあります。 病で生きてる今の身体的苦痛の激しさに、自殺して頸動脈を遮断して死ぬ のが今の自分には苦痛を逃れられる最良残された道かと、ステンレスのリング を3個、首の後ろ用にガ~ゼ包帯とともに準備をして、体力があるうちにと、 その日を待っている身では旅行も取り止め。航空券もキャンセル済み。 今思うのは、ナミビア南手前の、さびしい道の交差点「アルジェリア」という 曲がり角、白い粘土質のずるずるすべる坂道を、昔の岩絵を求めて50km 世界でここにしかない草花を眺めながら一日、人も通らぬ山道を行ったこと、 もう一度行きたい。 「生は夢、幻のごとく、あの旅もこの旅もはかなく、消えて何もない。」 心残りは、21代前、源平時代の摂政関白、妻は平清盛の六女、定子を祖と するご先祖の山城の国普賢寺(京田辺)の山の上の墓標をまだ訪れていない こと。 いつかどこかで会いましょう。 ひがしまち
ひがしまちさん こんにちは 四年ほど前、旅の総仕上げのつもりで 国内でいま一度行って見た所を2ヶ月掛けて 廻ってみました。 心に残る想い出の地は様変わり、 行く先々で裏切られるような気持ちになりました。 あーあー来なければよかった。、 昔惚れた彼女にいま会ったらたぶん同じ気持ちになるのかも。 いま一度と思うものは全て封印し そのままそっとしておいた方がよいですね。 撮ったままアルバムに貼って仕舞い込んだ写真 最近、取り出してみました。 どれも色が褪せ月日の流れを感じるものばかり、 旅先での一こま一こまが昨日の如く蘇りました。 記憶って不思議なものですね。 行くことができるなら無理してでも墓参され ご挨拶をと思うのですが・・・ 2年前、瞬間的ですが幽体離脱を経験してから 彼岸が身近に感じるようになりました。 お大事になさってください。