Re: 有る時は米の飯(あるときはこめのめし)・・・考 のりーたさん 宵越しのゼニはもたねえ・・とは少しニュアンスが違いそうですね。 何とかなるからチマチマ暮らすな・・というおおらかさなんでしょうね。 ですが戦中戦後の育ちはいつでも<全く無くなる>事態を恐れて暮らしていました。多少生活にユトリのある家庭ほどそうだったようで、このチマチマと溜め込んだ穀ゾウムシのいる古米が何かのお祝いか、家庭のささやかな行事に出てくる・・ということが良くありました。 戦後しばらく経ってもういろいろなものが町に溢れるころ押入れの奥の奥のほうからサビの出たコンビーフやゆでアズキの缶詰が幾つか出てきたことがありました。 時々顔をあわせて気炎を上げる昔の仲間(中学以来の男女組・・・)は何かことがあるとこういいます。 「なんにも無くなくってもオレタチは大丈夫だよな。またあそこからやり直せばいいんだから・・・」 ・・で、誰かがまぜっかえします。 「ほんとにあそこに戻れるかい・・?」 「うーん もう歳だからな」 「なに言ってる!。苦労したのは親だろう」 「そりゃそうだ。 あの当時の親ってすごかったなあ。たぶん 怒ってばかりいたけど食べ物なんかはほとんど子どもに食べさせていたんだろうな・・」。 一同 シュン。 でも災害にあわれた方々には申し訳ありませんが、時にはいったん今の便利な暮らしを中断してみる・・ということは悪いことではなさそうです。 東京でも計画停電とやら言うウサンクサイ停電騒ぎ・・原発継続の闇キャンペーンだったという穿った見方もありますが、で不自由な生活をつかの間経験しましたがこれから定期的にこうした便利さ見直し運動があっても良さそうですね。 仕事に遠ざかった年寄りの寝言ではありますが。