私の育った家は・・・ 明治の終わりに立った家だそうで・・一応都内の家です、すが床が高くて小学生なら床下にもぐれる家でした。 何しろ古いので敷居が磨り減っていて夜の夜中に襖が音も無く倒れる・・お化け屋敷仕立てでした。 冬の木枯らしの夜はたたみの合わせ目から冷たい風がスースー、コタツのある部屋は障子と隙間だらけの廊下に雨戸はあるのですが古くなっているのでところどころ節穴が抜けていて、朝はそこから陽が射すシマツ。 こういう家で育っていますから、曲がりなりにも今の建物だと隙間風が無いだけ<暖かく・・・>感じるのかもしれません。 戦争で焼けなかったため戦後の一時期、知人縁者の乳児預かり所みたいになっていましたが預けられた赤ん坊達はこの隙間風の中でだーれも風邪を引いていません。 今でもそのうちの何人かは・・60過ぎですが、お付き合いがありますが、寒かったとは誰も言いません。 この頃の人は何でそんなに寒がるのでしょう。 お腹がイッパイなら寒さなんて感じない・・・世代なんですね。
Re: 私の育った家は・・・ ぼうふらおじい様、おはようございます。 > 冬の木枯らしの夜はたたみの合わせ目から冷たい風がスースー、コタツのある部屋は障子と隙間だらけの廊下に雨戸はあるのですが古くなっているのでところどころ節穴が抜けていて、朝はそこから陽が射すシマツ。 > こういう家で育っていますから、曲がりなりにも今の建物だと隙間風が無いだけ<暖かく・・・>感じるのかもしれません。 ご同様です。 私は田舎生まれでしたが、父の職転で名古屋へ引っ越しました。(生家は他人が済んでいました) 帰省となると叔父宅でした。 (祖母が再婚したため) その家は農家(当時は牛も飼っていました)でして、部屋はだだっ広いですが、「隙間風」だらけ。 でも、あまり寒いとは思いませんでした。 (子供だったし・・・) > この頃の人は何でそんなに寒がるのでしょう。 お腹がイッパイなら寒さなんて感じない・・・世代なんですね。 昔流に云いますと「我慢が足りない」のでは・・・と愚考します。 (学校でも先生が教育熱心のあまり、ちょっと殴った?だけでも大問題になるご時世・・・過保護では? 将来の日本が案じられます) 戦後の高度成長で「衣食足りて礼節を忘れる」ってな事になってしまったみたいo(>_<)o 以前新聞に元戦犯の方が「戦後の日本人は節度と礼節がない」と云うような事を云っていましたが、そのような気がしますので、私も気を引き締めなければと思います。
有る時は米の飯(あるときはこめのめし) ぼうふらおじいさんさん こんばんは 興味深く拝読させていただきました 有る時は米の飯(あるときはこめのめし) http://www.sanabo.com/kotowaza/arc/2005/09/post_1078.html 私は祖母から「ある時は米の飯 無ければ ないなりに」と言われました 米でも暖房でも有るのが当然・・と 段々贅沢に慣れてきます 逆になくなれば、始めは文句を言いますが 文句を言っても仕方が無い・・とか思えば ないことにも慣れてきます 3月の震災でそれを痛感しました(3月でも小雪が舞い散る時期だった) 暖房・食べ物・携帯電話・お風呂・交通手段・娯楽・TV・コンビニなど 「有るのが当然!」と思っていたものが使えなくなって不安なのは最初の数日・・・ おにぎりだけの食事・暖房の無い職場・真っ暗な街・18時に閉店するお店・品物が無くなっちゃったコンビニ・バス停の行列・・・・慣れちゃうものです(笑) 多くの方のご助力で、ライフラインが復旧しても節電&NO暖房モードだったので、街には超厚着の人、携帯の代わりに文庫本を手にする人が目立ちました でも 今ではそんな風景も少なくなり 「米の飯」に慣れるのも早いもんだ・・とか思います・・はい
Re: 有る時は米の飯(あるときはこめのめし) のりーたさん、おはようございます。 > でも 今ではそんな風景も少なくなり 「米の飯」に慣れるのも早いもんだ・・とか思います・・はい そうですよね。 一時期「節電節電」と云っていましたし、ラジオなどでは「今日の消費電力予想」をやっていましたが・・・ 名古屋で開かれた「COP10」では「もったいない」運動が生まれましたが、さてその後は・・・ 今の日本は何でも「通過点」ってな感じになってしまいますよね。
Re: 有る時は米の飯(あるときはこめのめし)・・・考 のりーたさん 宵越しのゼニはもたねえ・・とは少しニュアンスが違いそうですね。 何とかなるからチマチマ暮らすな・・というおおらかさなんでしょうね。 ですが戦中戦後の育ちはいつでも<全く無くなる>事態を恐れて暮らしていました。多少生活にユトリのある家庭ほどそうだったようで、このチマチマと溜め込んだ穀ゾウムシのいる古米が何かのお祝いか、家庭のささやかな行事に出てくる・・ということが良くありました。 戦後しばらく経ってもういろいろなものが町に溢れるころ押入れの奥の奥のほうからサビの出たコンビーフやゆでアズキの缶詰が幾つか出てきたことがありました。 時々顔をあわせて気炎を上げる昔の仲間(中学以来の男女組・・・)は何かことがあるとこういいます。 「なんにも無くなくってもオレタチは大丈夫だよな。またあそこからやり直せばいいんだから・・・」 ・・で、誰かがまぜっかえします。 「ほんとにあそこに戻れるかい・・?」 「うーん もう歳だからな」 「なに言ってる!。苦労したのは親だろう」 「そりゃそうだ。 あの当時の親ってすごかったなあ。たぶん 怒ってばかりいたけど食べ物なんかはほとんど子どもに食べさせていたんだろうな・・」。 一同 シュン。 でも災害にあわれた方々には申し訳ありませんが、時にはいったん今の便利な暮らしを中断してみる・・ということは悪いことではなさそうです。 東京でも計画停電とやら言うウサンクサイ停電騒ぎ・・原発継続の闇キャンペーンだったという穿った見方もありますが、で不自由な生活をつかの間経験しましたがこれから定期的にこうした便利さ見直し運動があっても良さそうですね。 仕事に遠ざかった年寄りの寝言ではありますが。