Re^2: うまく言えませんが。PART3 先に先輩方がお書きになられていたことにお答えいたします。 結論から申し上げましと、彼らは何もしていません。 日本でまっとうに働くことの出来ない連中が、異国の地で何が出来ましょうか? 2005年も終ろうとしているのですよ。ジョン万次郎の時代や、アメリカで竹寿司を始めた方などの時代じゃありません。 正規にタイで働くには労働許可書も必要ですしビザだって必要です。 先輩方が疑念を持たれるとおり、何もしていない連中の吹き溜まりです。 世間からこぼれ落ちた連中のコロニーです。 自転車で真冬のヒマラヤを越えた者、歩いてサハラ砂漠を越えた者、バイクでユーラシア大陸を越えた者、そんなもんは人間としての動物的目的達成感を味わいたいだけの自慰行為でしかありません。 それに共感を持つ者は、ほら先輩方も若い頃自慢しあいませんでしたか? 「濡れたタオルをかけても大丈夫。」だとか、「俺なんか濡れたバスタオルでも平気だ!」とか。あれと同じようなものですよ。 もう少し続かせてください。
Re^3: うまく言えませんが。PART3 PART1から、続きが出てくるのを楽しみに待ちながら 拝見させていただいてました でもここでちょっと??? と思ってしまいました うまく言えませんが、 >自転車で真冬のヒマラヤを越えた者、歩いてサハラ砂漠を越えた者、バイクでユーラシア大陸を越えた者、そんなもんは人間としての動物的目的達成感を味わいたいだけの自慰行為でしかありません 私はこういう経験はないので、発言する資格はないかもしれませんが、 これは、自慰行為というか、自己満足なのかもしれません でも、それによって、得れるものもたくさんあるのではないでしょうか? 若いからできるのではないのでしょうか? もちろん年配の方でもこういう体験をされている方もたくさん いると思います 実際に知っています でも若いうちに、ということもこともあると思います >「日本で駄目な奴は、世界の何処に行っても駄目だ。日本で活躍出来る者は世界の何処に行っても活躍出来る。それは言語だとか、そんな小さいことじゃない。」 確かに、これはそうだな~とは思いました でも、日本でダメな人がみんな現実逃避などで来てるわけではないと 思います というか、旅にでるのはある意味現実逃避の為かもしれない それはそれで目的があればいいのかな?と 正規で働いてる人だけが、長く滞在するちゃんとした理由に なるのでしょうか? >世間からこぼれ落ちた連中のコロニーです。 なんでしょうか? いくら貧乏旅行だとはいえ、旅をするにはそれなりの お金がかかります その為には、もともとのお金持ち以外は、働かなければ なりません 先輩方から見ればあまい!と思われると思いますが、 ちょっと感じたことを述べさせていただきました
Re^4: うまく言えませんが。PART3 最近、マラソンのテレビ中継を見るのが楽しくなりました。 以前は「人がただ走ってるのを2時間も3時間も見ていてどこが楽しいのか?」と思っていました。 そんな話を仲間にすると「そりゃ、おまえが年取った証拠だ!」と笑われます。 若いうちじゃなきゃ出来ないこと。色々あります。私も「若いうちにやっておけばなぁー!」と今更ながらに悔やむことも多々有ります。 夢を現実する人たちを羨ましく指をくわえて羨望の眼差し見たりもしています。 ただ私が言いたいのは、それをいかに社会還元できるか? と言うことなのです。社会還元というと語弊があるかもしれませんが、人が出来ないことを成し遂げたならば、是非とも還元していただきたいと思う訳です。 先輩方、私が疑問に思う部分は、「なにしてるの?」という単純なものなのです。 先輩方、いや私個人としての意見として申し上げるならば、「あまりに目的意識が無いんじゃないの?」「もったいないんじゃないの?」ってことなんですよ。 正規の駐在員以外にも滞在している方も居ますね。1番分かりやすいのは現地採用者です。でもね、せっかく覚えたタイ語なのに、そんな安い賃金で売って良いの?と思う訳ですよ。 長期滞在していれば、自然と言葉なんか覚えますよね。でもそれは長期滞在の日々で得た立派な技術じゃないですか。それを駐在員の数分の1で売っちゃうわけですよね。もったいない。 自分が得た技術を大切に活用してもらいたいわけです。 言い方が悪いから私の真意が伝わらないと思うのですが。 日本で半年期間工をして働き、半年は海外で旅をする方も居るでしょう。それはそれで良いと思うんだけど、なんかもったいない。 まして日本中探しても、タイ語なんてマイナーな言葉が出来る者が何人居ます? 特殊技術ですよ。
Re^4: うまく言えませんが。PART3 bagasさんお早うございます。 若い時だから出来ると言うのはあるかもしれません。 しかし誰にでも当てはまるわけではありませんが、 若い時に好き勝手な事をして歳をとって惨めな思いをしている同年代の年寄りを随分見ています。 私はその様な年寄りに夕食を配達するボランティアを暇だからと頼まれて2年間した事があります。同年代なのでむなしくなります。 5人中4人は同情できない人でした。旅行ではないですが、嫁いびりをしたり、私は地元でその人達の4~50代の頃を知っています。 だからではないですが、独身で子供無し好きな事をやって暮らしている人は今は気楽ですが、他人でもそのような風潮が気になります。 私は5人兄弟の長男で昔はそれが普通でしたが、所謂貧乏人の子沢山、しかしそれなりに何とかなりました。 私は学校から帰ると兄弟の子守をしながら外で遊び、高校では帰ると商売の手伝いで、学校にいる時が一番楽だったです。 それでもおしんの時代ほど悲惨では無かったです。間違いなく生活はよくなりました。 そのボランティアですが、私も一人暮らしの為夕食の資格があるのかと思いましたら、元気な人は駄目だそうです。 1度留守の為食べた事がありますが、安くてその割には美味しかったです。 今は税金を使ってかなり所謂弱者を助けています。 私はこれからも明日の事はわかりませんが、役所に助けてもらう人にはなりたくありません。 今は少ないですが税金を払っています。 年寄り=弱者と言う考えは反対です。勝手になった弱者も多いです。 しかし病気などで本当に困っている人は年代にかかわらず助けなくてはいけないと思います。 私の之までの半生で金銭的に一番辛い時期は働き盛りの40代くらいの時で、海外どころではありませんでした。 まあなんだかんだと言っても年寄りが一番金銭的余裕があります。 その時に元気で飛んで歩けるかどうかです。 今は元気ですが旅行資金が何時も不足気味です。海外旅行を少なくすれば貯まりますが、そんな人生は送りたくないです。 皆さん後で後悔しないように若い時を過ごしてください。 今回の質問もタイにはそのような現実逃避の日本人がいると聞きましたのでお聞きした次第です。 そんな事余計なお世話だ、放っておいてくれと、思われるかもしれませんが、重々承知の上です。
Re^3: うまく言えませんが。PART4 ただ少しだけ彼らの弁解をさせてください。 私が生まれ育った昭和30年~40年頃は、まだまだ隣近所で声を掛け合っていました。少なくても私が育った東京の街では。 名前も知らないような小父さん小母さんでも、通学途中には「おはよう。ちゃんと勉強してくんだよ。」と声を掛けられたものです。 学校の帰りに親に隠れて買い喰いすると、家に帰るとおふくろが既に知っていて怒られる。 町内の情報網は凄かった。 今は? 今では隣に住んでいても挨拶もない。 私はマンションに住んでいるのですが、隣人と外で会っても顔も分からない生活をしています。 そのような中で、互いに名前も知らないのに「飯喰ったか?」「何処行くんんだ?」と声をかけてくれるタイは心地よいのだと思います。 もう1つは、今の日本に魅力が無さ過ぎるのかな? 一生懸命勉強して、一流の大学、一流の会社に入り、休まず働いていた親父が目の前でリストラされている。 勉強するにも、就職するにも、「これで良いのか?」と若い連中には疑念が涌いてくると思います。 今の時代も、今の人間関係も、あまりに無機質ですよね。 ところがカオサンのような処に行けば、同じような者の集合体ですから居心地は良いわけです。 まして、そこに居るタイ人たちは「飯喰ったか?」「何処行くんだ?」と気楽に声をかけてくれる。 それが潤滑油になって知らない者同士も声を掛け合うようになる。 あと少しだけお付き合いください。
Re^4: うまく言えませんが。PART5 もう1つ重要な要素は地理的問題です。 東アジア・東南アジアで見てみると、様々な条件がタイには揃っているわけです。 馴れ馴れしいくらいに外面の良い国民性。比較的宗教による制限が無いこと。国策による外国人への抑圧が少ないこと。航空網・交通網の発達度合い。年間を通しての気候(気温)の変化が少ないこと。ソフト・ハード面の双方に見ての物価格差が大きいこと。 これだけの条件が揃えば、日本だけじゃなく大概の国から人は集まります。 私、タイで暮らしてから、人間にとって、住むのにあたって「都合の良い場所」と「居心地の良い場所」は違うと感じるようになりました。 文章力が無いので上手く表現できません。 長いこと色々書いて申し訳ありませんでした。