Re: うまく言えませんが。PART2

以前、ヤオハンの和田社長とお会いする機会がありました。
結果としては彼も散々な終焉を迎えることになったのですが、今でも1つだけ心に残っている言葉があります。
「日本で駄目な奴は、世界の何処に行っても駄目だ。日本で活躍出来る者は世界の何処に行っても活躍出来る。それは言語だとか、そんな小さいことじゃない。」

日本で駄目でも香港なら大丈夫。タイなら大丈夫。アメリカなら大丈夫。イギリスなら大丈夫。
そんな訳はありません。日本で駄目な奴は世界の何処に行っても駄目なのです。
私は日本からタイに来て、生活・風土・習慣・風習などに慣れず日々悶々と過ごしているうちに自問自答するようになりました。
「自分は日本で充分に日本で活躍出来たのだろうか?」
自問自答しているうちに自閉症になりました。

続かせてください。

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1件のコメント

  • Re^2: うまく言えませんが。PART3

    先に先輩方がお書きになられていたことにお答えいたします。
    結論から申し上げましと、彼らは何もしていません。
    日本でまっとうに働くことの出来ない連中が、異国の地で何が出来ましょうか?
    2005年も終ろうとしているのですよ。ジョン万次郎の時代や、アメリカで竹寿司を始めた方などの時代じゃありません。
    正規にタイで働くには労働許可書も必要ですしビザだって必要です。

    先輩方が疑念を持たれるとおり、何もしていない連中の吹き溜まりです。
    世間からこぼれ落ちた連中のコロニーです。

    自転車で真冬のヒマラヤを越えた者、歩いてサハラ砂漠を越えた者、バイクでユーラシア大陸を越えた者、そんなもんは人間としての動物的目的達成感を味わいたいだけの自慰行為でしかありません。
    それに共感を持つ者は、ほら先輩方も若い頃自慢しあいませんでしたか? 「濡れたタオルをかけても大丈夫。」だとか、「俺なんか濡れたバスタオルでも平気だ!」とか。あれと同じようなものですよ。

    もう少し続かせてください。

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    Re^3: うまく言えませんが。PART4

    ただ少しだけ彼らの弁解をさせてください。
    私が生まれ育った昭和30年~40年頃は、まだまだ隣近所で声を掛け合っていました。少なくても私が育った東京の街では。
    名前も知らないような小父さん小母さんでも、通学途中には「おはよう。ちゃんと勉強してくんだよ。」と声を掛けられたものです。
    学校の帰りに親に隠れて買い喰いすると、家に帰るとおふくろが既に知っていて怒られる。
    町内の情報網は凄かった。

    今は? 今では隣に住んでいても挨拶もない。
    私はマンションに住んでいるのですが、隣人と外で会っても顔も分からない生活をしています。
    そのような中で、互いに名前も知らないのに「飯喰ったか?」「何処行くんんだ?」と声をかけてくれるタイは心地よいのだと思います。

    もう1つは、今の日本に魅力が無さ過ぎるのかな?
    一生懸命勉強して、一流の大学、一流の会社に入り、休まず働いていた親父が目の前でリストラされている。
    勉強するにも、就職するにも、「これで良いのか?」と若い連中には疑念が涌いてくると思います。

    今の時代も、今の人間関係も、あまりに無機質ですよね。
    ところがカオサンのような処に行けば、同じような者の集合体ですから居心地は良いわけです。
    まして、そこに居るタイ人たちは「飯喰ったか?」「何処行くんだ?」と気楽に声をかけてくれる。
    それが潤滑油になって知らない者同士も声を掛け合うようになる。

    あと少しだけお付き合いください。