インターコンチネンタル・・・・そうでしょうか?

私が訪れた時の、プラハ唯一のオアシスが、インターコンチネンタルホテルですよ。当時、町で唯一、エアコンがついてたパブリック施設があそこです。
今では信じられないでしょうけど、社会主義圏の場合、エアコンといった贅沢品は、大衆には基本的に不要なものなので、普通に存在しませんので。

現地はたった3泊位ですが、もう居るのが嫌になって、あそこにいけば、涼しいし、自由主義国家の雰囲気に戻って癒やされるみたいな、むしろ、プラハにして、唯一の最新で西欧風な建物として、あそこだけ異彩を放っていたんですけどね。というか、他の建物が、全部ボロばかりだったので。

今では、70年代モノって感じがしてますか。ただ、社会主義的で笑えたというのは、多分、想像でおっしゃったのでしょう。古いのは笑えたにしても、社会主義的な、というのなら、ああいう感じとは別です。多分、周りの建物が過度に中欧を意識して、キレイに中世風に立て直した為に、比較すれば、そういう印象を与えちゃってるのでしょう。80年代といっても、今は昔ですしね。

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2件のコメント

  • Re: インターコンチネンタル・・・・そうでしょうか?

    すいません、思いっきり想像ですね。
    15年前は自分が海外などに行くことさえ想像してませんでしたから…
    今ごろベオグラードで「ホテルモスクワ」なんて建物に情緒感じては騒いでる、思いっきり無知な俗物です。
    インターコンチですが、そこに至る通りが、現在では
    エルメスやらルイヴィトンやらヒューゴボスやらの一流ブランドや高級レストランが
    一階のテナントに入った、見事に修復された中世風の建物がズラリ並んでいるという
    プラハ随一の派手な通りですから、いっそう「取り残された」感が漂っています。

    現在プラハですが、旅行に何の支障も無い変わりに、特に旧市街は「ザ・観光地」という感じで
    オフシーズンの今でも相当な人口密度で、やはり今一つ好きにはなれないですね。

    そういえば、最初に中欧に行ったとき、四☆ホテルだったのにわら半紙みたいな
    トイレットペーパーに驚いたものですが、最近は主な観光地ではプライベートルームでも
    100%パルプといった感じの上等なものですね。たまにわら半紙に当たると懐かしくなります。

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    うわ~「プラハにエルメス」想像できない

    あのプラハにエルメスやらルイヴィトンがあるなんて~!当時は、ださい国営デパートしかなくて、「これで」とナニゲにクレジットカードだしたら、店員、初めてカードを見たらしく、「これ、なんだ?」みたいな風に、カードを表から裏からなめまわすように見て、他の店員をきゃっきゃとよんで、皆が興味津々(ただのカードなのに)珍しそうに、見いってた位ですよ。私達には、その店員らの反応の方が珍しかった。

    それに、レストランがずらり????

    私が行ったときは、夕食にありつくだけでも、店を探すだけで、歩き回って回って回って一苦労、辺りが真っ暗になった位に、やっと「灯り」を頼りに、一軒のレストラン風の店がそこにあるみたい・・・って感じ。そのぐらい、店の数がなかった。
    で、一軒の小さな店みたいなのの中に入ったら、なんとその中は、世界各国の旅行者の面々が、ラッシュアワーの電車みたいな芋洗い状態。
    (今回の書込で、突然、懐かしい思い出が甦る!)

    要するに、当時はプラハには、そこしか夕飯食べられる店がなかったので、欧米の旅行者が、みんなそこにあつまっちゃってたわけ。(当時、共産圏は国民に自由な旅行をさせなかったので、東欧諸国からの旅行者はいるとしたら超レアな特権階級)

    その時期、プラハをふらふらしてた東洋系は、見る限り、私と友達のたった2名だけだったのですが、その店で、なんと、他の日本人旅行者と突然遭遇。当然、テーブル不足だったし、ご相席。その人が、まわりの他の国の旅行者さん達と、既にできあがっちゃってたもんだから、もう私達もそこへ乱入状態で、盛り上がったのなんのって(皆で、共産圏の悪口でもいいつつ)、店中、旅行者みんなでコンパやってるみたいでした。そこの店だけが、プラハでは唯一すごい楽しかった思い出かな。やっぱ、あの現場で、自由主義って、いいなって体感できましたよ。

    そうそう、ああいう店は、やはり旅行客相手だから、共産圏ゆえに料金安いは安いけど、市民レートよりは高かったですね。ああいう商売は、市民が自由に営業できたものなんだろうか?それとも、素朴で小さな国営レストラン?

  • 建物の部分で補足します

    先ほど書いた部分に、一部補足です。(本旨に関係なくてすみません)

    社会主義的建物には、私が思うに大きく分けて2パターンあって、いわゆるビルディング全般は、こっちでいう所の(私の感覚)収容所みたいな感じ。どれも全く同じな、デザイン性のかけらもない、まるで窓が将棋盤の升目みたいな単調な建物を、だーっと延々と並べるのが特徴だと感じます。

    もう一つは、駅や役所といった公共施設。こちらは社会主義国家の威信を示す為に、必要以上にしっかり立派に大きく、装飾性も一般建物よりは豊かだったりしますね。プラハ駅(昔からの石造りの方)は、駅としてはとても立派だと思いました。エスカレータの流れる速度が異様に早いのが、社会主義の合理性を体現したいのだろうと思えました。ある人に聞くところによると、別の旧欧州社会主義国家も、エスカレータ速度が早かったとのこと。(自由主義化した今はどうだかしりません)

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    05/11/13 13:33

    Re: 建物の部分で補足します

    社会主義国家時代の名残のご意見を拝見しました。いずれも短期の観光でしたが、この8月下旬、チェコ、ポーランドの一部、11年前ハンガリーに旅行して西欧との違いとした感じたことは以下のとおりです。地下鉄が深いところにあるようで、エスカレータが長く、速度が速い。電話する際、コイン使用で故障が多い。コインが電話に吸い取られぱなしでした。そのため、テレカをわざわざ買いました。トイレ事情が一部では依然良くない。ポーランドのクラクフから、チェコのプラハに移動するため、中間にあるチェコのオロモウツという地方都市に一泊しました。ホテルのレベルにもよるとも思いますが、そのホテルのレストランのトイレは古いままで、トイレットペーパーは、トイレの入り口に大きなロールが一個置いてあり、紙もごわごわでした。入り口で、自分で使用分を切り裂いて、おもむろに各自の個室に入ります。私が用を足したトイレは水が流れていきませんでした。列車のトイレはひどい状態のようで、私は行きませんでしたが、妻はあきらめ、プラハまで我慢していました。オロモウツの駅前通りは、道が広く、整然とした大きな建物が続いていました。たぶん、当時、デモ行進するさい見栄えがよく、便利なようにな街づくりをしたのではないかと推測します。一部のインフラには、日本人から見て問題ありと見えますが、いずれ更新されると思います。