レポート

「戦国日本と大航海時代」

公開日 : 2018年06月24日
最終更新 :

海外旅行でうろうろしていると、「植民地の跡」というのは至る所にある。私は個人的には「大英帝国の凄さ」というのは各地で見て回って実感することが多いけど、元々大航海時代はスペインとポルトガルが始めた(?)ものだから、彼らの跡地も色々とあるはずだが、私の行った先はたまたま旧スペイン、ポルトガルの植民地が少ない。

が、16世紀の戦国時代に、なぜ日本はスペインやポルトガルの植民地にならなかったか?というのは、中央政府が崩壊(いや、日本は万世一系の天皇が支配する国で・・・とかいう議論はとりあえず横において)している時代であるのに、きちんとした説を聞いた覚えがない。これは、あれだけ中国の物まねをした大和朝廷が宦官と科挙を導入しなかったのはなぜか?に匹敵するいまいち謎の話である。

結論から言うと、この本、秀吉の朝鮮出兵はスペインのフェリペ二世に対抗するためのもので、その結果、マニラのスペイン総督府は日本軍が攻めてくるとパニックに陥り、結果、スペインやボルトガルが日本に攻めることがなくなった。・・・・という話、信じますか?資料の使い方はきちんとしている。改めて関係地域に行ってみたくなる本である。

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1件のコメント

  • 日本(秀吉)の諜報力

    日本のちんたらしたサッカー見ながら(LAでは日曜朝)書いてますが、 なかなか面白そうな本ですね。

    わたしは日本がアメリカとかフィリピンとかインド(ゴア)のように スペインポルトガルの植民地にならなかったのはスペイン無敵艦隊が新興のイギリスに負けたのが主な理由だと思ってました。

    これによると
    https://en.wikipedia.org/wiki/Spanish_Armada

    1588年の7月とある。

    これによるとこのころ日本では
    http://nrekishi.yoka-yoka.jp/e788679.html

    秀吉の天下統一がなされて(本能寺の変は1582年)、 7月に海賊禁止令と刀狩令発布が出たとある。

    このころ秀吉はどれだけ ヨーロッパの事情を把握していたのでしょうか?

    伴天連追放令は1587年
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%B3%E8%BF%BD%E6%94%BE%E4%BB%A4

    キリスト教徒の少年がバチカンに派遣されたのが1582年
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%AD%A3%E9%81%A3%E6%AC%A7%E5%B0%91%E5%B9%B4%E4%BD%BF%E7%AF%80

    帰ってきたのが90年だそうです。

    オランダ人なんかはプロテスタントで領主国のスペインなんかの悪口をたぶんいっぱい秀吉にいっていたのでしょうね。 日本サッカーなんかも見ていて日本はよその国の事情を察するのが下手(コロンビア戦なんか全然相手の事情とか考えて動いていると思えない)なようだけど、 このころ(鎖国の前)の日本人はどうだったのでしょうか? 海賊(倭寇)とか山田長政(1590年生まれ)のいる時代はそうでもなかったような気がします。  あ、今セネガルが2点目いれました!

    家畜人ヤプーとかこの本とか結構おもしろそうですね。 そこら今度日本に帰ったら買ってこなければいけないですね(読み終わっておいてあるのでしたら、譲ってもらえますか?)

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