レポート

浜通りを走る・・・常磐線踏破記その1

公開日 : 2017年07月17日
最終更新 :

4月1日に常磐線の浪江までが再開したのに伴い、一度、常磐線を上野から仙台まで乗ってみたい、と思っていた。震災の数か月後にいわきに行って以来、「あの地域」には足を踏み入れていない。
http://www.jrmito.com/eq/pdf/20170310_01_info.pdf

不通区間の竜田-浪江間は一日二本のバスが走っているが、実質的には朝のバス一本だけである。このバスに乗るには・・・接続は非常に良くて、上野7:00発(始発は品川)のひたち1号に乗れば、接続してくれる。そしてこのひたち・ときわは例の「指定席以外はどこにでも座ってよい」方式をJRで初めて採用した特急である。この仕組みになってからは乗ったことがなかったので、興味しんしんというところである。

えきねっとで追っかけていたのだけど、土曜日にしてはがらがらである。それでも2日前にチケットレスで予約を入れる。ただ単に「予約が取れました」というメールが来るだけで、何かあったらそれを見せろ、とのこと。このJR東のチケットレスは例えばドイツのDBの仕組みと比べると大学生と幼稚園生くらいのレベルの違いがあるが、JR東は指定席の検札をしないので、このレベルでも問題ないのだろう。

さて当日、えきねっとの空席状況に比べればえらく人が並んでいる。しばらくすると、日ごろ乗り付けているあずさ・かいじに比べえらく立派な車両が入ってきた。車内も立派である。そして、例の仕組みは・・・その車両はほぼ満席で、黄色(もうすぐ人が来るでしょう。)が2つある以外は全て緑である。
https://www.jreast.co.jp/hitachi_tokiwa/howtouse/

黄色にはいつ頃からなるのか知りたかったが、2駅後くらいにその席に乗ってきたものの、よく分からない。歩き方などは「任意予約制」などと書いているが、もちろんJR東はそんな訳の分からない言葉は使わず、ずっと「全席指定です。」としかアナウンスしない。「自由席」にあたる「座席未指定券」と言う言葉も、よく考えてみれば変な言葉である。

取手を過ぎると途端に揺れがひどくなり、線路の状態が悪い。水戸を過ぎるとさすがに座席はほとんど赤になる。いわきには定刻に到着。向かいのホームに止まっている竜田行きに乗り換える。前回来た時は四ッ倉までしか走っていなかったから相当の復旧というか・・・。

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3件のコメント

  • Re:浜通りを走る・・・常磐線踏破記その1

    >さすけねえさん

    チェルノブイリのように、「新浪江町」をどこかに作る方が建設的と思うのですけどねえ。浪江町はその点正直(?)で「町に戻らないと決めている」という町民が過半数いるとウエブサイトに記載しています。人口が半分になった前提の復興計画・・・とも思えませんけどね。

    >ろっきいさん

    新幹線が出来てもしばらくは常磐線経由の○○・・というのはあったと記憶しています。それ以前は常磐線経由で仙台以北に行くのもそんなに特殊なことではなかったですが・・・竜田側は今年の末までにもう少し延びるはずで富岡駅も駅の再建工事(津波の被害を受けているんですね。)をやってました。が、仙台側と東京側の通勤需要だけで何とか採算を合わせるのか・・・よく分かりませんね。

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  • 常磐線沿線

    高島たいらさん、レポートありがとうございます。
    大震災後の復旧が困難になったのは福島第一原発の事故によるものですが、人が安全に暮らせる未来が保証されないと相当厳しいのが現実のようですね。
    電力不足、エネルギー危機が言われたのは記憶のかなたで、今は以前と同じように暮らしています。
    しかし、夜、窓を開けたまま寝ることはしなくなりました。なにかあった時のリスクは減らしたい。

    常磐線は昔は東北本線と同様の長距離列車街道で、電車列車が一般的になるまでは青森・北海道連絡の列車は勾配の少ないこちらの方が多かったですね。
    東北本線の急行八甲田に対して常磐線の急行十和田、昼行はいわてに対してもりおかという電車急行がありました。特急列車はあまり利用しませんでしたが、東北本線のはくつるに対して、常磐線のゆうづるの方が優勢でした。

    常磐線は地図でイメージするより海岸を走る区間が少なく、海はほとんど見えませんでした。ルート選択当時から人々の大津波の経験が生きていたのかもしれません。車窓景観は東海道線のほうが好きで、常磐線は夜行列車で通ることが多かったです。急行十和田の上野到着の前の案内放送で、今列車は定刻より5分ほど早く走っています、というのがありました。日本の列車でそんな早着もあるのかと驚いたことがあります。

    ではお気をつけて。

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  • 浜通りを走る・・・常磐線踏破記その2

    竜田までは外を見ていてもそれほど震災の影響というのは感じられない。除染した汚染土を入れた「黒い袋」もほとんど見ない。竜田にも定刻に到着。バスが2台止まっているのに気付いたがびっくりしたのは降りた乗客の多さである。これだと一台のバスに乗り切れないのでは・・・と二台目のバスに乗ることになった。土日は増車しているとのことで、案外、このルートを走ろうと言う人は多いのかも・・・・

    駅前には放射線量計があり、1.0マイクロシーベルト/時間を越えている。バスに乗ると「国道6号線を走りますが、途中、帰還困難地域を通過するので、そこでは窓の開け閉めはご遠慮ください。」というアナウンスがあった。ほぼ一番前に陣取って、これまた定刻に出発である。

    国道6号線そのものはそこそこ交通量があるが、ほとんどが業務用の車両で、行楽地に行くような車は(当たり前かも知れないが)見当たらない。最初の停車駅は富岡駅で途中、6号線から外れて駅にアプローチするのだけど、建設作業に従事している人たち以外は、全く人がいない。

    ここから浪江まではハリウッドのゾンビ映画みたいな光景が広がる。一見、何事もない街並みに見えるのだけど、人は誰もいない。よく見ると家の中は朽ち果てている。・・・

    富岡駅を出発。富岡駅から数分で警備員が立っている帰還困難区域に入る。しかし、あの警備員の人たちも境目にいる、ということは「人が住むことができない」くらいの放射線を常に浴びている訳で、どのように健康管理をしているのだろう。

    帰還困難区域の建物は全て時間が止まっている。衝撃的だったのは区域にはいってすぐにあった「しまむら」の路面店で、6年前の商品がそのままハンガーにぶら下がっている。もちろん中は・・・これもまた映画の世界である。有名なチェーン店に入ったら、昔の商品が朽ち果てた状態でぶらさがっている。主人公は舌打ちをして、そのお店を出ていく。・・・しまむらもあんな状況でほったらかしにはしたくないのだろうけど、「区域」に入って解体・廃棄作業をする訳にも行かないのだろう。

    枝道は全てバリケードが置いてあり、帰還困難区域をうろうろできないようになっている。外は夏の緑がきれいで、森の木々も全く普通に見える。よくある日本の田舎・・・・ではない。福島第一原発も右手のはるか彼方に見えて、写真を撮ってる人もいたが、とてもそういう気にはなれない。

    浪江町との境界で帰還困難区域は終了。十分くらいで次の停車駅の浪江駅前に到着。バスはそのまま原ノ町まで走るのだけど、一時間後に仙台行の電車があるので降りることにした。なお、浪江町は4月1日に避難指示が解除されているが、
    http://www.town.namie.fukushima.jp/soshiki/2/namie-factsheet.html

    町の多くは帰還困難区域で駅の近くにもホットスポット的に帰還困難区域があったりする。放射線量や被ばくについては(国の理屈上は、ない、はずだが)自己責任でお願いします。・・・

    一時間ほどあるので、駅前を少しうろうろすることにした。大きな道路は車がそこそこ走っているものの、住民は全くいない。富岡はまだ復旧作業に携わっていた人がそれなりにいたが、この街にはそれさえもない。本当にゾンビ映画の一コマのようである。町役場まで行けば商店もあるとのことだが、駅からは遠くそこまで行くことはせず。ガソリンスタンドが二軒営業しており、生きている人間の声が聞けるのはそこだけだった。歩道には雑草が茂り、歩くのも大変である。自宅の再建工事をやっている家を二軒見たが、どういう見込みを持ってやっているのだろう。・・・食堂の一軒くらいは営業していないかと期待したが、どのお店も「解体予定」という札が張ってある。この街を本当に復興させようとみんな思っているのだろうか・・・数年後にまた来てみたい。

    仙台行きの列車も定刻に来る。ここから先の常磐線沿いの津波被害はかなり大きく、線路も付け替えしている。海側には何もなく、水田が広がっている、と思ったら、よく見ると雑草が生い茂っているだけのところも多い。岩沼を過ぎて東北線と合流。仙台に近づくと、今までの映画の世界からようやく現実に戻ってきた気がした。・・・・

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    年に数回ドライブしますが?

    代弁してくださってありがとう。

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