先日、ある会合でいっしょになった若者、珍しく「ドイツはベルリンが一番好き」で、知り合いがいるのも手伝って、いつもベルリンを拠点に(ケルンとかでさえ)動いている、とのこと。同じくベルリン好きにとっては、「やっぱりドイツはベルリンが一番だよね。」という話から始まった。
「クーダムってところ知っていますか?私はクーダム近辺にいつも宿を取って・・・」
(クーダムっていうのはね、西ベルリン最大の繁華街だったんだよ・・・)
「テーゲル空港は最高です。あれほどコンパクトにまとまっていて、市街地にもすぐに出られるドイツの空港は他にはない。・・・」
(昔はBA,エアフラ、パンナムの占領国の航空会社しか飛んでなくて、ルフトハンザは禁止されていたから飛行機で行くには・・・・)
「フリードリッヒシュトラーセ駅の近くに大好きなカフェがあるんです。・・・」
(フリードリッヒシュトラーセ駅には東ドイツの見張り塔があって、機関銃を構えた東ドイツ兵が笑顔で手を振っていて・・・)
「ポツダマープラッツから、中央駅まで徒歩で歩くのが好きなんです。沿道にいろんなお店があって・・・」
(ポツダム広場はちょうど壁があった関係もあって、昔は廃墟のままだったんだよ。1920年代の繁栄は取り戻せないと誰も思っていて・・・)
()は私の心の叫び=おじさんの回顧録、である。そんな話をしたい誘惑にかられるのだけど、何とか耐えた(!)・・・・この時を以って、ベルリンに関しては、今後は回顧録の話はいかなる時もやめよう、と思った。一つの区切りである。
ちなみに彼はスタアラ派であるが、やはり乗換のしやすいウィーン空港経由のテーゲル行きが便利が良かったそうで、オーストリア航空の撤退を非常に残念がっていたのと、フランクフルト空港をまるでどこかの外国の空港みたいに言っていたのが印象的だった。もちろん、今以ってできない新空港の話題にもなったけど(新空港に改装されるシェーンフェルト空港はね、東ベルリンの空港で昔は・・・)なんて話は、もちろんしなかった。