DFB まったく勝手な思い込みには失笑を禁じ得ませんねヾ(℃゜)々。まぁ、余計な押しつけがないだけまだましかも知れませんが... 件の鉄道には開業間もない1995年に乗りました。当時はまだRealpからフルカ・トンネルの手前まででしたが、走行中は大量のシンダを浴びて、家内には大不評でした。とうとう全線開通したんですね。いつか乗りに行きたいものです。 ところで、 ≫ 古いタイプの客車を世界中から買い集め ≫ インドダージリンの紅茶畑の蒸気機関車を買い、 とのことですが、最初の機関車はベトナムからの里帰りだったと思います。で、ちょっとGoogってみたところ、以下の記事がありました。 http://www.swissinfo.ch/jpn/index.html?cid=6058116 2007年当時は日本人のボランティアもいたんですね。
続きです。 yarlan-zey殿 私の乗ったのはグレッチまでです。 秋口の最終日曜日でした。 全乗客もスタッフも全員お祭り気分。 出発時に蒸気圧が上がらず、1時間ずれにもかかわらずみんなで大騒ぎでした。 どこかのコーラスグループが乗っていて、どうも格好の汽車メドレーを歌いだし、これまた大喝采。 停車場から100米ほども離れた車庫まで撮り鉄グループを案内するサービス振り。 その渦中で実は工夫スタイルのおじさんおじいさんの方が偉いんだとわかった次第です。 車掌の親玉は絵に描いたようにコワモテのおばさんで、若手の車掌はボンだかケルンだかのテレビ屋さんの夏休みボランティア。ベッドと食事以外は自分もちでも希望者が多くてもぐりこむのに大変なんだとか。 それに私の乗った車輌は窓がガラスでなく、ブラインドは木製で止め具は皮ひも。100年以上前のレトロ車輌だとか。帰国後この話をしたら先輩の鉄キチ殿がそのタイプは”汽笛一斉新橋を・・・”時代のものかも・ ・とよだれを垂らしていました。 ところがフルカ駅を過ぎてトンネルに入り、いったん閉めた窓が簡単に開かない。 その間煙を避けて車内に来た若い車掌が調子に乗っていろんな話をするので気がついたらローヌ氷河が見える場所のかなりの部分を窓を閉めたまま通過でした。 出発が1時間遅れですから到着も一時間以上遅れ、連絡駅のオーベルワルドまでは彼らの用意した臨時バスがグレッチ駅にしっかり待っていました。 私たちはここであわただしい昼食で、グリムゼル峠越えのマイリンゲン、グローセシャイデック経由のグリンデルワルドでした。 来年秋にでも復旧全線の再チャレンジをするつもりですが・・。
フルかトンネル開通以前に・・・ 乗られてはいないのでしょうか? トンネルは1982年の開業、私が初めてスイスに行ったのが翌年だったかと思います。 勿論出張ですので氷河急行に乗れるわけでも有りませんが、後でわずか1年前に(写真で見た)車窓が見えなくなったと知って、何故かすごく残念でした。 >来年秋にでも復旧全線の再チャレンジをするつもりですが・・。 全通すれば慌しくしなくてもよさそうですね。 私も適当な時期(込み合う前)に行きたいものです。