氷河急行を急造の観光バス路線並みに考えていらっしゃるようですね・・。 booleanさん 氷河急行はスイスを東西に分断していたフルカ峠とローヌ氷河を乗り越えて鉄道で結んで、第2次世界大戦前にようやく完成した当時の技術の粋を集めた路線です。 6月半ばから10月初めまでの運行で、後はお休み。氷河の上を渡した鉄橋は都度修正して蒸気機関車で牽引して走りました。 あまりの急勾配で食堂車のテーブルが傾いているので、足を傾けたワイングラス(リーニンググラス)が売り。 サンモリッツ、ツエルマットをそれぞれ朝出た列車はこのフルカとアンデルマットの間でお昼になるのです。 いまから40年ほど前にフルカトンネルが出来、まっすぐ走るようになって名前だけ苦労して渡った<氷河>の名前が残りました。 つい4-5年前まではたしか5社の路線をつないで走っていましたが、とうとう2社に合併、運行体制を整えて?(整えたはず・・なんですね)今のやり方になったようです。 たしか6-7年ほど前までは特別料金は無く、レトロな食堂車ではもうそんな急坂は無い(いえまったくなくなったわけではありませんが)にもかかわらず傾いたワイングラスでワインを飲ませてくれました。 つまり 氷河急行はたんなる観光客寄せ列車ではなく、彼らがこの厳しい国土を縦貫して走った、そして今も走る鉄道技術のシンボルでもあるのです。 まあ多少の商売っ気を出しすぎて キャピキャピしたガラス張り車輌を走らせたからといって、表面だけを見て馬鹿にしないでやってもらいたい・・・と思います。 世界旅行者さんならこんなことは百も承知だと思っておりましたのに・・。 ご存知の通り、この氷河急行の廃線となった目玉ポイントルートはボランティアによる復活をとげ確か今年から全線開通です。 幸いなことにかっての超難関のローヌ氷河は後退している為氷河をまたぐ線路を毎日?少しづつ動かす必要はなくなっていますが・・・。 ですから今回の事故については心のそこから どうしたんだい・・という気がぬぐえませんが。 すでに何回か書き込んだお話を ついついまた書き込んでしまいました。
足を傾けたワイングラス! ぼうふらおじいさん、こんにちは。 ヨーロッパ、特にスイスについては詳しい知識をお持ちで羨ましいです。 私は南米が主で、ヨーロッパはこれからです。実際、行ったのはイタリアとスイスだけだし、、、 リーニンググラスは、とっても可愛いですよね。二つしか購入せずに反省です。 このグラスはお土産には最適!とっても人気があるのです。人に見せるとみんな”欲しい”と 言いますし。次に訪れる時は沢山購入して帰国です。割れてたりして!? >氷河急行はたんなる観光客寄せ列車ではなく、彼らがこの厳しい国土を縦貫して走った、そして今も走る鉄道技術のシンボルでもあるのです。 いやいや、氷河急行も色んな歴史があるのですね。私はそんな事も知らず、ワインはのみまくり、写真はとりまくりでした。アルコールが入ってあの景色を堪能できる贅沢は一度は味わった方がいいですね。 >まあ多少の商売っ気を出しすぎて キャピキャピしたガラス張り車輌を走らせたからといって、表面だけを見て馬鹿にしないでやってもらいたい・・・と思います。 スイスの青い空、緑の大地にあの紅白の氷河急行はとても映えます。歩き方に写真を投稿した方がいいかな? でも、本当に美しく感じるのは実際に自分の目で見る事ですね。あの美しさは写真より実際に見た方が! 比べ物になりません。 でも、本当に何故脱線したのでしょうね? あんなにゆっくりと走る急行なのに???
川島令三氏の推測 >本当に何故脱線したのでしょうね? あんなにゆっくりと走る急行なのに??? 今朝のニュースで・・・ 2000年に発生した東急日比谷線の事故と似ているとの解説でした。 ・低速で小さなカーブを回っていたことで、 内側に重心が加わり外側の車輪が浮き加減になり、遅いスピードのため、 外側車輪がレールから離れている時間が長く脱線した。 氷河急行の場合他に、車窓を見やすくするためデッキが高い、ガラス窓が重かったのかもしれない・・などで、車両の重心が高かったのでは? との推定のコメントです。 当たっているかどうかはわかりません。 東急事故の件は、台車に問題があったという説もあるようですが、専門家では有りませんので・・・。
鉄道趣味へのお誘い・・・ booleanさん >いやいや、氷河急行も色んな歴史があるのですね。 どの国も鉄道には興味深い歴史的背景が一杯あります。 勿論我が日本の国鉄、JRでも・・・。 車両だけに関わらず、土木、橋梁、トンネル掘削、運行システムと言う重要な産業・技術の集大成であり、それゆえの軍事的な背景や国策などが複雑に絡みますので・・・面白い話が一杯ある奥の深い世界です。 一度お近くの図書館の交通コーナーで適当な本を手に取っていただければ・・・ 一例に・・・ 日本で始めての鉄道、新橋ー横浜間のダイヤ作成は日本人ではなく、大金を積んで呼び寄せたイギリス人だったそうです。 彼は日本人にダイヤグラムを知られないよう、密室でダイヤを組んで、出来上がった時刻表だけを日本人に渡したのだそうです。 何とかその仕組みを知りたい日本人は彼の作った方眼紙のダイヤグラムを偶然見て、その仕組みを知ったとか、あるいあ独学で作り上げた・・・などの説があります。 いずれにせよ、汽車が時速何キロで走れて、駅間距離を何分で走ればよいか、どの駅で列車を入れ替えるか(単線ですので)、など結構頭を使う仕事ですね。 ・・・と日本人が一生懸命勉強していた時代、スイスではすでに電車を走らせ、お金持ちを高い山に連れて行っていた・・・そう思うと、やはりすごいです。
スイスのあの風景の美しさは・・・ booleanさん 少ししつこくなりますが、年寄りに免じてもうすこし・・。 スイスのあの風景の美しさは、かっての日本がそうであったように、利用できる国土を寸土も余さずに利用するべく丹念に人手を入れて維持した結果何だそうです。 あの山の上のほうまで広がるミドリのアルプは1-2年放置すると荒地になってしまうのだとか。放牧された牛が食べた草の代わりにちゃんとお礼のウンチをし、数を制限して食べつくさないようにしっかり管理!(放しっぱなしではないそうです)。 有る間隔を置いてきちんと森を残し、氷河の下に水抜き・・・のトンネルを掘って、最近日本や台湾で騒がれた深層土砂崩れ対策を・・。 最初にスイスを訪れたときは50年前でした。 短い時間ですが仕事をサボって鉄道に乗りました。たしか今度の脱線の近所です。 山の上まできれいな牧草地で素朴な家が点在して・・、ですがそのときの私は信州の山村風景を思い浮かべていました。 カラートタンが普及せず、まだまだコケラ葺の屋根や茅葺の家、白壁の家、もちろん高速道路なんて無い清潔な日本の風景とこんなにも似ているんだと・・・。 当時に比べるとスイスの風景も随分壊れかけましたが、日本のそれと比べると良くもここまでしっかり維持していると思います。 日本の田園風景は世界に誇れるほど美しかったんですよね。 嗚呼。