Re: Re: 「プラハの春」←それは違う

>>東欧は春に行ったらさぞかし綺麗なのでしょうネ~「プラハの春」といいますから。

最初にこれを読んだ時、正直言って意味が全く理解できませんでした!どうしてこういう発想になるのだろうとしばらく考えてみて、もしかすると「北国の春」に由来するのかな?と思い当たったら妙に納得してしまいました。

それはさておき、「人間の顔をした社会主義」というのがこの体制変換におけるスローガンです。現在は西側とほとんど変わらないように見えるプラハの街並みですが、当時の現状がいかに厳しいものであったかを察することができると思います。この政変後に失脚し、ビロード革命後に名誉復権を果たし、ビロード離婚前に急死したスロヴァキア人のドプチェク氏はまさに波乱万丈の人生でした。この辺り社会主義時代からの変遷にもし興味があれば、共産主義博物館はお薦めです。地下鉄MUSTEK駅のそばです。

  • いいね! 0
  • コメント 0件

0件のコメント