10/07/23 11:14

Re: 「プラハの春」←それは違う

>東欧は春に行ったらさぞかし綺麗なのでしょうネ~「プラハの春」といいますから。

あなたのお歳でそんなことを書くとは... 「プラハの春」という言葉が口にされた1968年と言えばあなたはもう中学生か高校生ではなかったですか? ご存知ないはずはないでしょ、この言葉にどう言う意味、どう言う思い、願望、希望が込められているか?

1948年のクーデターで共産党が他のいわゆるブルジョワ政党を政権から排除、独裁政権を確立して以来職場や近隣社会を厳しく監視、統制していた体制が、ドブチェクらリベラル改革派の登場によってノボトニーが退陣して以降急速に緩和され、マスメディアの検閲、統制も緩和、撤廃された、その社会、政治体制の自由化を「プラハの春」と形容するのです。

インターネットで検索すればすぐにわかりやすい説明が出てきます。勉強してください。

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2件のコメント

  • 安芸の宮島は秋に行くのがいいです…と同じです。

    PP&Mさん、相変わらずですな~~~、文章能力が中学生以下ですね(笑)。

    「プラハは、例の戦車が攻めてきた「何とか通り」突き当たりの博物館がエジプトのミイラからさまざまな展示物良かったです。」

    この文章を見たらぴんと来なくちゃ~~~。

    プラハの春も、歴史のいろはは知っています。

    歯は抜けても色は残っています、なんちゃって(笑)昔の小唄。

    成功を祈る!

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    10/07/23 20:22

    勉強してください

    だいたいそんな負け惜しみを書くと思ってましたが、想像通りの反応で正直がっかりしました。もう少しましかと期待してたので...

    別にわたしに対して謝ってもらおうとは最初から思っていませんが、この歴史的に意味のある言葉をそんな軽い使い方をしてかの事件の犠牲者たちに申し訳ないと思いませんか?

    ソビエト軍の侵攻、介入に講義して焼身自殺をした学生のことを知らないわけではないでしょ、あなたの年齢なら? 「プラハの春」の推進者であったドブチェクのみならず、後に大統領になったハベルや、日本でもよく知られたザトペックや、チャフラフスカなどのオリンピックの人気者達、さらに名前も知られていない勇気ある一般の市民があの事件でどのように人生を狂わされ家庭やキャリアを無茶苦茶にされたか、知らないわけではないでしょうに。

    知っててそんな言い方ができるのなら、それはあなたがそれだけのデリカシーしか持ち合わせていない人間だと言うことで、あなた自身に「意見」することはもう止めます。ただし間違ったことへの指摘はビシビシしていきます。もうあなたの気持を配慮したり、人前で恥をかかさないようにとの配慮もなしにね。

  • Re: Re: 「プラハの春」←それは違う

    >>東欧は春に行ったらさぞかし綺麗なのでしょうネ~「プラハの春」といいますから。

    最初にこれを読んだ時、正直言って意味が全く理解できませんでした!どうしてこういう発想になるのだろうとしばらく考えてみて、もしかすると「北国の春」に由来するのかな?と思い当たったら妙に納得してしまいました。

    それはさておき、「人間の顔をした社会主義」というのがこの体制変換におけるスローガンです。現在は西側とほとんど変わらないように見えるプラハの街並みですが、当時の現状がいかに厳しいものであったかを察することができると思います。この政変後に失脚し、ビロード革命後に名誉復権を果たし、ビロード離婚前に急死したスロヴァキア人のドプチェク氏はまさに波乱万丈の人生でした。この辺り社会主義時代からの変遷にもし興味があれば、共産主義博物館はお薦めです。地下鉄MUSTEK駅のそばです。

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